平井城は関東管領上杉氏のかつての居城で城址公園として整備が進められていますが
とにかく石碑やパネルがたくさんあります。本丸部分が整備が進められていて
県道を挟んで西側の二の丸とその南の笹廓は宅地になっています。かつての
本丸は県道沿いに底辺を合わせた五角形の形状をしていて東西北側に土塁が囲み
その外側と南西側に堀を巡らせていたようです。南東側は鮎川に面し崖が切岸の役割をする
天然の要害でもあったようです。パネルにある主郭保存計画の俯瞰図もそれにそった内容に
なっていますが川沿いの部分はまだ整備が進んでいない様子。
平井城は永享10年(1483)に勃発した永享の乱に際し、関東管領上杉憲実が総社(蒼海)の長尾忠房
に命じて築城したとする説と、応仁元年(1467)に上杉顕貞が築城したとする説があるようです。
いずれにせよ天文21(1552)北条氏に攻められ落城するまで、関東管領上杉氏の居城として
機能したとされています。
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