あれっ? いつのまにか「赤色立体かるた」が終わってる。第二弾、期待してます。
案内板によると、正暦2年(991)に藤原秀郷の子孫道直が築城し、川野辺・那須の二郡を領して川野辺太夫と称し、その後川野辺氏の城館として南北朝の頃まで続いたとのこと。
応永元年(1394)太田より佐竹景義が城主として入り野口氏を名乗りましたが、天文9年に野口幹成が佐竹義篤に叛き討死すると幹成の家臣・野口四天王(どんなメンツ?)は義篤に下り、野口城は廃城になったようです。
城址は畑とソーラーになっていました。北に二重の空堀があるようですが、藪が酷くて良く見えない。
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