長久保城は築城時期については定かではありませんが、戦国期には執拗に駿河に侵攻してくる北条氏に対する、今川氏の防衛拠点だったようです。天文14年(1545)には北条氏の城となっており北条氏綱の弟・葛山三郎長綱(北条幻庵)が始めに入り、清水太郎左衛門尉康秀が城将の時に今川義元の攻撃を受けたようです。9月24日に武田・北条・今川の間で和睦が成立し、義元が駿河・富士二郡を支配下に置くことが決定し、今川氏の城番が入ったようです。
城山神社は周囲に対して小高くなっており平山城や丘城としての雰囲気を持っています。周囲に土塁が良好に残り、かつては八幡曲輪・南郭として機能していたようです。東のトイザらスあたりが、かつての本丸のようですが当然のように何の遺構も残っていません。
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