吉川元春館からすぐ近くにある屋敷跡。こちらも国指定史跡。
吉川元春館と同様の技法の石垣が数十mに渡って残されているが、民有地のため石垣の上は畑になってる。
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2025/12/28 00:40
2024/05/23 21:36
吉川氏城館跡 (2024/01/03 訪問)
吉川元春館の北西側、すぐ近くに松本屋敷跡が有ります。中央に門跡があり、なかなか趣向をこらした石垣が残っています。案内板によると吉川元春の妻が「ふもと」の「かり宿」に住んでいたとされ、松本屋敷がこれにあたるとされています。
現状は畑の石垣のようですが吉川氏城館跡(駿河丸城跡,小倉山城跡,日山城跡,吉川元春館跡,西禅寺跡,万徳院跡,洞仙寺跡,常仙寺跡,松本屋敷跡)の一つとして、国の史跡に登録されています。しかし、吉川氏城館跡 多いなあ。
城びとの城以外の遺構でお勧めなのは万徳院跡です。以前投稿させていただきましたが、吉川元春館跡・松本屋敷跡と合わせて石垣をじっくり見比べて堪能するのも有りだと思います。
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2023/11/03 15:18
国史跡松本屋敷立石垣 (2023/10/05 訪問)
駿河丸城跡を終えて、地道を南下し車を吉川元春館の駐車場に駐めて、徒歩で国道433号線北側山裾に在る松本屋敷を訪ねる、歩いて約400m程です。広島県未踏の城探訪3城目です。小雨が降ったりやんだりでした。
住所:広島県山県郡北広島町海応寺354
駐車場:吉川元春館、戦国の庭歴史館駐車場を利用、徒歩で松本屋敷へ。
参考資料:グーグルマップに依る。
7年前の平成28年6月、吉川元春館を終えて小倉山城へ行く途中にチョイ寄りと思ったのですが、国道沿いに在るものと思ったのですが遭遇せず、しっかり地図で確認して居なかったせいですが、1本北山裾に入った集落道沿いだったのですね。
国道からの案内指示板も確認して、7年振りに松本屋敷跡を初登城、国道から田圃を挟んだ山裾、石垣は吉川元春館、の石垣と同じ立石をある間隔で挟んだこの地方独特の積み方です、南中心に枡形虎口の石垣囲い、上部は現在そば畑に成って居ました。
東角に案内板があります、間口約70m、奥行き40mで南面の中ほどに6mの門、吉川元春館と共通する石積手法が用いられている、吉川元春の妻が「かり宿」に住んでいたと有りこれが松本屋敷に当たると考えられる。吉川元春館が完成するまでここに滞在していたのでしょうか?(案内解説板抜粋)
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2023/01/13 19:09
吉川元春妻の仮住まい所 (2022/12/11 訪問)
【松本屋敷】
<駐車場他>駐車できそうなところはありません。吉川元春館跡から徒歩でいくのが良い。
<交通手段>車
<感想>1泊2日萩・浜田の旅、4城目。松本屋敷は吉川元春の妻である新庄局が日下城から吉川元春館に移るまで住んでいた所と考えられます。新庄局について調べました。熊谷信直の次女で名は芳珪(よしけい)といい醜女だったそうですが吉川元春(当時は未だ毛利)が願って夫婦になった(政略結婚ですが吉川元春は側室を持たなかった)そうです。勝気な性格で義姉の五龍局と険悪な仲だったそうですが、家内では良妻賢母だったそうです。
先達方の投稿の屋敷跡の犬小屋には犬は居なかったので助かりましたが、家の方に居て前を通っただけで凄く吠えられました。触発されて近所中の犬達が大合唱となってしまい、ばつが悪い感じとなりました。
屋敷跡の方は全面の石垣が残り、上面は田んぼになっていますので直線の石垣のみが見られます。
<満足度>◆◇◇
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| 分類・構造 | 屋敷 |
|---|---|
| 築城主 | 吉川元春 |
| 築城年 | 天正10年(1582) |
| 主な城主 | 吉川元春妻 |
| 廃城年 | 天文19年(1550) |
| 遺構 | 石垣、庭園跡、井戸跡、土塁 |
| 指定文化財 | 国史跡(吉川氏城館跡) |
| 再建造物 | 台所、石碑、説明板 |
| 住所 | 広島県山県郡北広島町海応寺 |
| 問い合わせ先 | 北広島町教育委員会生涯学習課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 050-5812-1864 |