くろさきじょう

黒崎城

福岡県北九州市


旧国名 : 筑前

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①	黒崎城碑(本丸)
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トク

黒田六端城を行く:(1城目)黒崎城 (2025/01/19 訪問)

JR黒崎駅北口から東へ歩いて15分、そこから小高い丘を15分登った頂上に黒崎城はありました。ここは黒田六端城の一つです。

関ケ原の翌年、黒田長政は豊前中津から筑前福岡へ、細川忠興は丹後宮津から豊前中津へ国替えとなります。その時、慣例では前年の年貢は置いて行くのが原則なのですが、何と長政が持って行ったため忠興は大激怒! 年貢を返すよう求めます。しかし長政はこれを拒否したため、両者は犬猿の仲となり一発触発の状態になりました。よって長政は忠興との戦に備え、豊前国境に六つの城を築城して重臣を配置します。これが黒田六端城です。

ここは長崎街道が眼下に見える、六端城の中でもまさに忠興が居城とするため築城していた小倉への玄関口にあたります。ここに長政は、父官兵衛の時代からの重臣を務める「井上九郎右衛門(之房)」に築城を命じ15,000石で与えます。之房は大河ドラマ軍師官兵衛では高橋一生さんが演じられ、有岡城に幽閉されている官兵衛を助け出したシーンなどはまだ私の記憶に残っている人物です。しかしその後一国一城令があり、黒崎城はわずか十数年で廃城になってしまいました。石垣などは洞海湾の護岸工事に使われたそうで、今では一部しか残っていないようです。

途中の黒崎駅で、うどんとかき揚げ丼の定食を食べました。さくさくのかき揚げとだしだけでとったうどんはとても美味しかったです。でも九州の人間はこの味が当たり前なのですが、関東の方はしょうゆ味に慣れているので、このあごやかつおだしだけの味では物足りないかもしれませんね(笑)。逆に私はしょうゆ味のうどんはちょっと・・・という感じです(笑:すいません)。

ちなみにこの騒動の結末は、榊原康正の仲介で、長政が分割返済するという形で決着したようです。しかしこの一件で、いつ戦を起こすかわからないと警戒された長政は、徳川幕府から完全に信用を失い、危険人物にされてしまいます。時を同じくして危険人物とされていた福島正則は、石垣の無断修理を理由に改易されてしまいました。徳川秀忠は長政に、江戸へ来て弁明するよう求めます。次は長政の番か? このままでは黒田家が危ない! さあどうする長政? (この続きは天守復元論争で)。

次は六端城の2城目、若松城へ向かいます。
 

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井上周防之房 (2024/12/27 訪問)

 黒田氏の筑前六端城のひとつで黒田二十四騎の一人、井上周防之房が城主でした。高石垣に囲まれた曲輪を持った豊織系城郭であったようです。現在は公園として整備され石垣が一部残っています。
 JR黒崎駅の北側に見える山が城址で徒歩約15分で行くことができます。

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ぴーかる

黒崎城 (2023/09/09 訪問)

【黒崎城】
<駐車場他>黒崎城跡駐車場10台分ほどあり。
<交通手段>車

<見所>石垣跡
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅8城目。黒崎城は黒田六端城の1つでそれほど比高の高くない小山の道伯山頂に築かれました。城主に黒田二十四騎の1人である井上之房を1万6千石で置きます。この城も一国一城令により廃城となります。
 現在は公園化されており三の丸跡が駐車場になっています。駐車場から南に二の丸跡、広い本丸跡があります。二の丸北側の曲輪壁、舗装道路側に多く石垣跡が見られます。主郭南西側、大きい城跡碑がある裏側に土塁、曲輪壁にも石垣跡が見られます。当時は全面石垣で取り巻いていたと思われますがかなり崩落しています。豊前小倉藩の細川氏を牽制する城にしては、残る石垣跡は古風な中世の野面積みです。国境最前線の黒田六端城のわりには本丸の広さから山頂居館だったことも感じさせ、それもまた古風な印象を受けました。

<満足度>◆◆◇

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にのまる

黒田六端城めぐり② (2022/12/30 訪問)

若松城最寄りの戸畑駅から4駅10分で黒崎駅に到着。
近いのはありがたいけれど、18きっぷの元がとれたかどうか…^^;
黒崎城は「城山緑地公園」となっていますが、駅に降り立つとすぐに“あの山にちがいない!”という小山を見つけることができました。
ただ、改札口の反対側だったので、線路の向こう側に行くのに少し迷いました。

城山の麓の広場には黒崎本陣跡の説明板やいくつかの石碑があり、城石村開作成就の碑について江戸時代の堤防工事の際に城山の石垣を運び出したことなどが記されていました。江戸時代は資源リサイクルがあたりまえの時代。廃城後の石垣にも新たな役割が与えられ、活用されたということなのだと理解しました。

ここから石段と坂道を上って、黒崎城址入口に到着です。
しかしそこにあったのは「樹木剪定のため立入禁止」のバリケード。
城址を目の前にして撤退せざるを得ないのは残念な気持ちもありましたがメンテナンスしてくださるのはありがたいこと。ギリギリのところから撮れるだけ写真を撮り、次回のお楽しみとしました。
そして長崎街道黒崎宿の名残のある通りなどを歩きつつ駅に戻りました。東構口のあたりは城の南側の堀を埋め、城下町から宿場町として整備されたとありましたので、堀跡のようです。

黒田六端城めぐりと銘打ってみましたが今回はここまでで、あっという間に中断です(・_・;
次回の帰省時に時間が取れれば黒崎城再訪から続けようかと思います。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 黒田長政
主な城主 井上氏(黒田氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 県史跡(黒崎城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県北九州市八幡西区屋敷1
問い合わせ先 北九州市八幡西区役所コミュニティ支援課
問い合わせ先電話番号 093-642-1441