立野城は現在は城山台第二児童公園になっていて、その上の墓地も城址に含まれます。墓地の写真をはしょっていますね、申し訳・・。
とはいえ、現在城址はかつての姿を留めてはいません。かつては信貴山ケーブルの下駅近くの張りだした丘陵上に築かれていて、信貴山旧参道を挟んで、南側に二段の郭、北側に三段の郭と帯郭を配置し、北東に枡形の様な馬出を備えた郭があり、さらに北東に櫓台を備えた広くて長い郭が有ったようです。概ね、4のエリアで構成されていて、それぞれに土塁や堀などを備えた要衝と呼ぶにふさわしい城郭であったようです。できれば、その状態で見たかったとは思いますが、時代の波には逆らえないようです。
至徳元年(1348)には大乗院方の立野氏の居城であったとされ、戦国時代の城として完成されたのは永禄年間(1558~70)の末頃、松永久秀の信貴山城の出城としてのようです。
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