現地での案内は「平山家住宅」となっていて、重要文化財に指定されている古民家が公開されています。平山館としての遺構は古民家後背の竹林の中。空堀、土塁が巡っていました。
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2023/01/31 06:51
平山家住宅 (2023/01/01 訪問)
現地での案内は「平山家住宅」となっていて、重要文化財に指定されている古民家が公開されています。平山館としての遺構は古民家後背の竹林の中。空堀、土塁が巡っていました。
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2023/01/31 06:51
城下町テイスト (2023/01/15 訪問)
谷村町駅から徒歩で数分。
都留市役所と谷村第一小学校のあたりが城跡です。
小学校敷地内に石碑が立っています。
元は小山田氏の築城で、近くの勝山城は詰城。
江戸時代には陣屋が置かれ、裁判所前に谷村陣屋跡の石碑もあります。
さらに市役所前には家中川の石碑も。
そばを流れる小川がその痕跡でしょうか。
市役所から小学校にかけて塀が黒く塗られていますが、城下町テイスト黒塀塗漆事業で城下町の雰囲気を再現しているそうです。
観光戦略の一つだそうですがうまく広がると良いですね。
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2023/01/30 22:37
日本一大きな漆器! (2022/09/17 訪問)
昨年秋に訪ねたらちょうど漆塗り替えの最中だった。ホンモノの漆をホンモノの漆工職人さんが手作業で塗り替えている。手間暇かけて磨きをかけられた漆黒の天守は日本一大きな漆器と言ってよいと思う。
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2023/01/30 20:07
往時の姿を留める貴重な歴史遺産 松本城 (2022/11/24 訪問)
現存している漆黒の天守 松本城
街中にある。
最初の築城当時は深志城という城名だったようだ。戦国時代末期、石川数正親子により、徳川家康をは愛する城の一つとして築かれた。1582年松本城と改名。現存天守12城のうち、5層の天守を有するのは、松本城と姫路城のみ。城内の階段が非常に急で、落下するのではないかと今日はの連続だった。落ちた人はいないらしい。翌日しっかり筋肉痛になった。
お城の佇まいは美しく、お城の周辺で写真撮影している人がとても多かった。夜にはライトアップしているようだ。
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2023/01/30 18:40
整備の進んだお城 (2023/01/30 訪問)
初めて訪問しましたが、石畳みをはじめ、かなり整備されている様子でした。堀跡など遺構は少ないようですが、地元の有志の方の取り組みで案内がわかりやすくなっておりました。積雪の関係で一部登城口は利用できませんでしたが、25分と軽く登りやすい印象です。
近場に駐車場も整備されていますが、住宅地の中を進むため、車での訪問は一度調べてから行った方が良さそうです。
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2023/01/30 14:38
レジェンドアンドバタフライ観ました (2020/11/01 訪問)
天守からの眺めが今も忘れられません。
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2023/01/30 11:16
徳川紀行〜お墓物語〜 (2016/01/28 訪問)
近年の核家族化、高齢化、未婚化で一般的にお墓の維持、継承が難しくなっているのだとか。一方、どのお墓に入るか(入れるか)で、残された親族がゴタゴタするという話も相変わらずあるようで。以下、時代はやや遡りますが、とある大家族の場合。
鬼門か裏鬼門かーー。
ともに徳川家の菩提所としてアピール合戦を繰り広げたとされる増上寺(東京都港区)と寛永寺(同台東区)。幕閣は将軍が亡くなるたびに双方の面子を立てるための調整に腐心したのだとか。結果生じたのが以下のようなたすき掛け。
増上寺:2、6、7、9、12、14代
寛永寺:4、5、8、10、11、13代
あと3人。神君は久能山として、事の発端、鬼門封じで上野に寛永寺を開基した3代家光は初七日後に大好きなジージを祀る日光に改葬。そして15代慶喜は寛永寺に隣接する谷中霊園内に神式で埋葬されています。大寺院の霊廟と比べ、こちらはちょうどいい感じの寂寞感です。
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2023/01/30 10:19
二条城のハート♡ (2023/01/07 訪問)
夕方に行ったのであまり時間がないものの、人が少なくポイントを押さえてじっくり見れました。
ここで大政奉還が表明されたのか…と感慨深くなりました。
多くの間の造りや襖絵の違いが興味深かったです。
唐門の細かく美しい装飾をじっくり見ていたら、ハート♡を発見!こういう発見が楽しくてたまりません!
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2023/01/30 07:17
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー58城目 (2023/01/01 訪問)
朝田辰兵衛さん同様、先週うちも1日断水しました。貯水タンクへの水道本管の凍結でタンクが空になっていたのです。仮復旧はしていますが最強寒波は伊達ではありませんでした。
さて、腰越城から昼食をとって向かったのは嵐山町役場。元日でもスタンプを捺すことが出来ました。杉山城にも結構な人が訪れていてこの城の人気が高まってきていることが実感できます。初めて訪れた2009年には殆ど人が居ませんでしたから。
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2023/01/30 05:49
都留市内を見渡せる (2023/01/15 訪問)
初めて乗った富士急行、谷村町駅で降りて徒歩10分。
城山と呼ばれる山が城址です。
登城口を目指して歩くと川棚口登城口の小さな案内板。
ここから登ることにしました。
小さな神社を経てさらに登ると内堀に着きます。
この堀、主郭を囲んでおりかなり深いです。
堀底には城壁から崩れた石も転がっていました。
さらに西側を進むと竪堀と縦土塁、その先には大澤櫓台へと続き、土橋と竪堀で隔てられています。
ここが一番の見どころでしょうか。
引き返し主郭へ。
主郭北側には少し石垣も見られます。
主郭からは都留市内を一望、気持ちいい!
帰りは本来の大手道を降りて行きました。
こちらは公園として整備。
二の丸、三の丸、うねった虎口など見どころもありました。
規模はそうでもないですが、歩きやすく見どころも多い良い城でした。
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2023/01/29 21:06
つい最近まで現役の行政機関だった場所 (2022/08/18 訪問)
町の中で川が南北(上下)に分かれる分水嶺上の不思議な町に、天領5万石を管轄する代官所があった。石見大森代官所の出張陣屋、更には府中市役所支所として、実に300年余の間、町の行政を支えた場所でもある。
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2023/01/29 20:47
関東管領の城へ その1 平井城 (2022/12/03 訪問)
昨年12月初旬は関東管領の城、群馬県藤岡市の平井城へ。
秩父山地北麓の緩やかに傾斜した扇状地の扇頂部。
鮎川の断崖を天然の要害とした城。
地域的には、上野国の統治だけでなく武蔵国ともネットワークを取りやすかったでしょうか。
一説では関東管領上杉憲実が鎌倉公方と室町幕府の板挟みにあっていた1438年頃、鎌倉からの退却に伴い築いたとのこと。
以後、小田原北条氏の侵攻により越後へ退き始める1552年まで、山内上杉氏の居城でした。
現在は、城域のほとんどが民家と農地になっており、断片的な本丸のみが土塁と空堀を復元した関東管領平井城址公園。
崖際の本丸は時代に応じて改変されたらしく、二ノ丸とは逆の崖側に虎口を配置している点がおもしろいところ。鉢形城の二の曲輪西側虎口や新府城の搦手虎口が思い起こされました。
また歩いていると声を掛けられ、二ノ丸西堀の名残を教えて頂きました。子供の頃は魚を釣ったのだとか。
総曲輪まで歩きまわり、滞在時間は約1時間半。
こんな平井城訪問が、私の城巡りの137城目となりました。
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2023/01/29 20:18
2023/01/29 20:11
2023/01/29 20:06
2023/01/29 19:57
要害山城 (2023/01/08 訪問)
【続百名城56城目】
<駐車場他>要害山登山口駐車場
<交通手段>車
<見所>土塁・虎口・曲輪
<感想>新春1泊2日甲府盆地の旅3城目。2日目の朝一に登城しました。登山道はかつての大手道のままだったようで、登城口付近に門跡の石積み、登山道には土留めの石積みが随所に見られます。大手虎口の手前に竪堀があります。虎口石積遺構は武田氏館跡に見たものと酷似していたので詰城の方にも同じような建造物があったことを思わせる。曲輪は城跡内部の大手道を中心に左右に大きく山を囲むように広がり段状になっています。大手虎口や主郭手前の虎口は枡形になっており見応え十分です。主郭は土塁囲みで最奥の土塁がひときわ高くなっています。主郭土塁も石積みであったようでほんの一部石積みが残されています。主郭背後には大堀切、搦手側は尾根上の折れ曲り虎口や堀切土橋の土留めの石積みが見応えあります。甲斐武田氏も堅固な詰め城を持っていたことを認識しました。予習をせずに来たので予想外の見応えに大満足です。
<満足度>★★★
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2023/01/29 17:43
給湯器凍結しました。 (2022/12/17 訪問)
最強寒波の到来で,みなさんは生活に支障をきたしてはおられないでしょうか…?
私事で恐縮ですが,先週の水曜日から金曜日の間,給湯器が凍結しました。
知人は自宅内で水道管が破裂して,生活スペースが3分の1に縮小しました。私なんかはまだかわいい方なんだな…と。
みなさんのご無事をお祈り申し上げます。
さて,相模線第3弾は,海老名城。ここで日没となりましたが,ららぽーと海老名がきらびやかにライトアップし,方向を見誤ることはありませんでした。しかし,海老名城は墓地内。この時間帯の攻城は,あまり気持ちのイイものではありませんでした。
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2023/01/29 17:33
天神山城 茨城県日立市 (2023/01/09 訪問)
周辺に駐車場は無く、大窪城から歩いて行きます。
案内板に沿って民家の脇の道を登ると墓地があり、さらに案内板があります。
進むと二郭の土橋があり、さっそく堀底へ降りて行きます。
この時季なので歩けますがやや藪となっています。
二郭を周回し、主郭にぶつかっていました。
この部分は横矢掛りとなっています。
主郭にも土橋がかかっていました。
主郭には説明板も立っています。
2つの郭で成り、周囲を堀が囲む常陸らしい城でした。
愛宕山も行って大久保三城制覇したかったのですが時間切れ。
また今度機会があれば。
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2023/01/29 16:53
安祥松平氏発祥の地 (2023/01/15 訪問)
現在は、安祥城址公園として整備されています。
本丸跡と二の丸跡が残されています。
本丸は、大乗寺の境内となっています。
二の丸跡には八幡社が置かれています。
三の丸跡には、安祥公民館,安城市歴史博物館,埋蔵文化財センター・市民ギャラリーがあり、そこに駐車できますが、遺構は見られません。
安城市歴史博物館の常設展は安城の歴史が展示されています。
わずかではありますが、安祥城についての展示と解説VTRを見ることができます。
見学所要時間:40分(博物館の常設展見学も合わせて)
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2023/01/29 10:06
現在進行形のお城。 (2023/01/03 訪問)
「藤岡城」は住宅と田畑の中に、ポツンとありました。
932年、平将門さんが花岡館を築城したのが始まりのようです。
一端は廃城しましたが、足利氏が再興しました。
秀吉さんが活躍した時代には、小田原征伐で落城します。
車1台が、通れるか?と、不安なくらい細い道です。
途中に「藤岡城」の案内柱がありました。
ナビで通り抜けできるか確認し、前進します。
本丸跡に『三所神社』がお祀りしてました。そちらに「藤岡城」の説明板があります。
この説明板の文章が、『~なります。~します。』とやさしい感じです。
『ここで○○がありました。』の過去形でない表現。「藤岡城」が伝承の中で語り継がれてきたお城で、地元の方々が守ってきた感じが伝わります。
調べてみたら、近年「藤岡城」の再検討が進められているそうです。
石垣があって天守が残って、どんな歴史があったのか分かっているお城も、もちろんですが、、、。
地元の方々が大切にしている「藤岡城」のような未知のお城も、同じくらい素晴らしいです。
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