町の観光HPに「松山城主上田氏の家老として仕えた、山田伊賀守直定の居城と伝えられています。標高216mを測る本郭を中心に、大小17の郭が残されています。竪堀が多く用いられ、巧みに組み合わされた小口のつくりなどが特徴的で、戦国時代の典型的な山城です。」と載っている。
登城口から登り詰めると尾根に出て、右は官ノ倉山方面の尾根になる。出た場所を含め堀切が二重で本郭へは東斜面を巻く。通常の本郭への道は、通行禁止になっており、西の郭側から二の郭に出て本郭へ向かう。途中には帯郭・横堀?・竪堀などが残り、囮小口下には石積みがある。西の郭を分ける堀切、西から回り込む小口跡・囮小口上部を過ぎ二の郭へ向かう。上段の平地から本郭小口へ、郭内は奥がやや高くなり、小口辺りに土塁跡が僅かに残る。
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