広瀬城からの転戦です。県道路肩(36.223366、137.185788)に路駐し、登城口(36.222565、137.183540)に向かいました。
築城年代は定かではないようです。
応永年間(1394年~1428年)末期に藤原師言が築いたとの伝承もあるようですが、天文年間(1532~1555年)に古川二郎による築城とも云われます。
1564年(永禄7年)に武田家重臣山県昌景から逃れた上杉家家臣・塩屋秋貞が入りました。
しかし、秋貞は謙信死後に織田信長に仕え、信長死後の1583年(天正11年)に討死しました。その後は一時三木氏の勢力にありました。
1585年(天正13年)第二代金森家当主金森可重は、養父である金森家初代金森長近と共に飛騨平定戦で活躍し、戦国大名姉小路(三木)氏を滅ぼすと古川城に入ります。
1586年(天正14年)に宮川対岸の平城である増島城が完成すると、可重は古川城から移って城主となったため、古川城は廃城となりました。
この城は「蛤城(はまぐりじょう)」とも呼ばれていますが、これは飛騨へ入国した金森氏がこの城へきたとき、城内に蛤石があったため、以後蛤城と呼ばれるようになったそうです。
主郭は西端が一段高くなっています。主郭の東西に曲輪があり、南側には帯曲輪があります。
主郭の西面と東側から登る虎口付近に石積みの残石があります。
蛤城の由来となった蛤石は三郭に存在し、ちょうどそこに標柱も立っています。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=百足城(城びと未登録 岐阜県飛騨市)に向かいます。
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