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朝田 辰兵衛

【かるた】新発田城の読み札 (2021/08/21 訪問)

方角を 惑わす三シャチ 新発田城

敵の方向感覚を惑わす,稀有な三シャチを詠んでみました。
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※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】春日山城の読み札<城郭名修正済> (2016/06/18 訪問)

くびき野の 安寧見守る 春日山城

春日山城から眺望する「くびき野」と,山頂部に鎮座する「毘沙門堂」を詠んでみました。
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※続け,常連の猛者たちよ!

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AJ

どうする正信 (2017/03/21 訪問)

三河を去った本多“松山”正信。しばしお別れですね。「伊賀越え」あたりでまたひょっこり顔を出してくれるでしょう。さて、話題はちょっと未来へ。

場所は相模国・玉縄城址(神奈川県鎌倉市)。北条早雲による築城、あるいはそれ以前から砦があったとされる平山城は小田原防衛ラインの一角。残念ながら、遺構の多くはマンション建設で破壊され、史跡指定も難しい状態だとか。通りすがりの私は革靴だったこともあり、今回は山登りも途中まで。

ご覧の通り、行政はもっぱら北条推し。場所柄、決して珍しくありません。故にあまり知られていませんが、この地は家康の関東移封後、本多正信 が拝領します。わずか2万石(1万石説も)。側近中の側近とは思えない少なさ。

正信はその後、一切の加増も望まなかったというのが多くの方が指摘するところ。他の三河家臣団と一線を画した大参謀と家康の関係はやはり特殊なようで、石高では測れない何かがあったのでしょうね。2人の関係性、最後まで丁寧に描かれることを期待したいと思います。

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atsufumi

お花見できます。 (2023/03/24 訪問)

見事な桜花!
古城公園として整備され、本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪には桜がたくさん植えられていて、今、まさにお花見の季節でした。
城門・物見櫓が復元整備されていたのですが、老朽化のため取り壊されちゃったそうです。残念!

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todo94

三河日帰りドライブ・4城目 (2023/02/23 訪問)

大樹寺の駐車場が満車だったためスルーし、松平郷に向かう途中で立ち寄りました。書院、花火資料館等、一通り見学して松平家の墓所に向かう途中には土塁もありました。岡崎市の施設のようですが、なかなか楽しめるスポットでした。

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キンヤ

大きな空堀と土塁がよく残された城 (2023/03/05 訪問)

説明板によると築城時期は諸説ありますが、鎌倉時代に武士の館として使われ、関東の覇権をめぐる動乱期の1400年代初め頃に、現存する土塁と堀が拡充・再整備されたと推定されるとのことです。

青島判官恒儀が築城したと伝承もありますが、天長6年(829年)に没していることから、この伝承は考えにくいようです。
戦国期の後北条氏時代には山田伊賀守直安が城主であったとも伝わるそうです。

本郭は方形で南以外の東・北・西側は大きな空堀と土塁で囲まれてます。
ニの郭北側には、木が伐採され丸裸になったクランク状の巨大な土塁があり驚きました。

周囲は宅地や高速道路がある平城ですが、空堀と土塁がよく残された、なかなか良い城でした。

時間の都合で本郭、ニの郭北側の一部にしか行ってませんが、掲示されている縄張図から、二の郭・三の郭まで含めると広大な城域であったことが分かります。
この日、青島城の前に行った菅谷館と広い郭や縄張りが似ているように思えました。

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朝田 辰兵衛

雪捨て場になってなくて良かったです。 (2023/03/04 訪問)

往々にして館跡は雪捨て場と化しているのでは…と思います。越後を基準にして申しわけないですが…。
ま,ここは農地に改変されていましたので,雪捨て場の心配はありませんでした。

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水内総社日吉大神社 (2022/03/23 訪問)

 長野駅から徒歩圏内にある水内総社日吉大神社が跡地です。石碑と案内板があり、神社の本殿は土塁の上に建てられているようです。

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丸子表の戦い (2023/03/22 訪問)

 第1次上田合戦の時、丸子表の戦いの場所として知られる城です。依田川と内村川を天然の堀とする山城です。遊歩道が整備されています。丸子公園側より登城しました。各所に表示板があり散策の助けとなってくれます。2郭には模擬櫓が建てられていました。本郭には雨水を溜めて使用した井戸跡があります。堀切等は浅くなっていました。石積みがあったようですが見逃してしまいました。

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天候に恵まれて (2023/03/22 訪問)

 真田昌幸が上田城を築くまで真田氏の本拠地としていたとされる城です。公園として整備されています。所々表示があり、それなりに散策を楽しめます。堀切(推定)の表示はありますが、ほとんどわかりません。近くに天白城があり、見下ろされている感じがあります。この日は気候もよくのんびりするにはいいところです。

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小城小次郎

長城のようなプランが想定される (2022/11/12 訪問)

勝尾城砦群の東南端にあった最前線の城砦は、一部に石積みが施された土塁&空堀囲みの楕円形の主郭と、その主郭とは無関係に穿たれた長大な横堀とで構成されるエリア。谷全体を長城のように囲んで守る壮大なプランが想定される。

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真田氏の支城 (2023/03/22 訪問)

 真田信綱によって築かれたと伝わっています。眼下には真田本城が見えます。真田本城もしくは真田氏館を守るための支城と思われます。尾根の東に曲輪が展開して、主郭の西側は岩を削って作られたと思われる大堀切があり見ごたえがあります。所々に石積みも見られ、思ったより楽しく散策できました。

 真田氏館跡から徒歩で行ける近くの集落に案内表示があり北赤井神社を経由して登城することができます。北赤井神社に案内板がありました。

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御屋敷公園 (2023/03/22 訪問)

 御屋敷公園として整備されています。土塁が残っていて当時の雰囲気を伝えています。
真田氏歴史館は休館日でした。

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横尾采女正 (2023/03/22 訪問)

 横尾氏が築いたとされる城です。横尾氏は村上義清に従い上田原合戦に参加しますが討ち死してしまい、その後、城は真田氏のものとなったようです。南に段郭を幾重にもめぐらして、背後を二重堀切と副郭により防御しています。ところどころに石積み、土塁等も見られました。ただ石積みが草でわかりにくかったり堀切の表示があっても埋まっていてほとんどわからない所もありました。登城路は整備されていて比較的歩きやすかった。

 横尾バス停から北へ少し歩いて行くと古城緑地広場の案内表示がありそこを右へ曲がるとすぐに左手に尾引城(横尾城)の表示と案内板があります。登城口から約20分で主郭へいくことができます。

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千葉城 (2023/03/22 訪問)

 松代道と洗馬道が交わる要衝の地にあり、以前千葉(せんば)城と記載されている城ではないかといわれています。海野氏の一族である横尾氏が築いたといわれています。その後、真田氏が支城として改修したとのことです。山頂の主郭から南へ伸びた尾根に曲輪を配置して背後は堀切により防備を固めています。堀切は複数あると思いますが、最初の堀切が深さもあり見どころだと思います。
登城路は整備されていて歩きやすくなっています。登城口から尾根をひたすら登り約20分で主郭へは行くことができます。傍陽(そえひ)小学校が城館の跡地といわれています。

上田駅からバスに乗り傍陽バス停下車して登城しました。一番近いバス停は八幡前バス停だと思いますが本数も少なく傍陽バス停を利用しました。バス停から徒歩約15分で登城口へ行くことができます。

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ぴーかる

神西城 (2023/02/25 訪問)

【神西城】
<駐車場他>那賣佐(なめさ)神社参道入口前<35.314689, 132.700878>に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅5城目。第七の城、現地説明板によると神西城は1223年に相模国鎌倉から小野高通が地頭として出雲国神門郡の神西へと下向し神西氏を名乗り、この地に築城したようです。その後神西氏は十二代続き戦国時代には尼子氏に仕えます。尼子氏時代後期に仕えた神西元通は有名で尼子勝久と共に尼子氏再興を目指しましたが上月城の戦いで自刃しました。
 登城ルートはいくつかあるようですが那賣佐神社からの最短ルートを選択しました。神社裏から竹林を通るルートの頂上が主郭で主郭は開けています。北側の眺望は良くて神西湖や出雲の町が見えます。主郭奥に△状の鉄パイプ組があって、その東側にかけて曲輪がありそうなのですが藪化がひどくよく分かりませんでした。主郭から北側にかけても竹林であまり曲輪らしき遺構は観察出来なかった。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

三重堀は圧巻 (2023/03/12 訪問)

展望台の模擬天守が目印。
駐車場もあります。
能満寺から登っていくと空堀が出迎えてくれます。
模擬天守の前には三日月堀も。
このあたりは公園として整備されていて地元の方も散歩をされていました。
何と言っても見どころは西側の三重堀。
ここも三日月の形状に掘られています。
元々は今川氏が築いた城ですが、武田と徳川の間で争奪戦が繰り広げられました。
模擬天守だから、と通り過ぎてはいけません。
三重堀を見に行く価値は高いです。

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チェブ

暴れん坊将軍の馬。 (2023/02/25 訪問)

千葉県松戸市に、ポツンとある「金ケ作陣屋」の標柱。
近くには、イトーヨーカドーやコンビニ、カフェやお肉屋さんと、お店があります。

「金ケ作陣屋」は小金牧という放牧場があり、牧の管理をしていたそうです。

幕府のお馬事情を調べてみたら、8代将軍 徳川 吉宗さんは、かなり熱心です。
外国から馬を輸入して改良したんだとか。
「金ケ作陣屋」でも、外国馬がいたのかな?

昔、観た『暴れん坊将軍』の白い馬。
やっぱり、大きい馬の方がカッコいいもんな、と、ドラマと現実がゴッチャになった「金ケ作陣屋」攻めでした。

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真田昌幸 (2023/03/21 訪問)

 久しぶりの上田城です。公園と整備され、今日も多くの方が散策していました。2度の徳川軍の来襲を退けたことで知られる真田氏の城ですが、現在みられる縄張りは仙石忠政によって築かれたものとのことです。尼ヶ淵付近から見る櫓と石垣が好きです。

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真田幸隆 (2023/03/21 訪問)

 真田幸隆が築城したと地元には伝わっていたようですが、正確にはわかっていないようです。日向畑遺跡を経由して登城しました。登城路は整備されていますが、安山岩質の岩が露出していて歩きにくいところもあります。主郭周辺位はその岩を利用したと思われる石積みがあります。主郭背後の堀切はよく深さが保たれていて見ごたえがあります。この堀切を降りて行くと水の手から下山できるようですが、今回は行っていません。下って行くと屋敷跡とされる安智羅神社付近にでるようなので、こちらが大手筋ではないかと思われます。遠見番所跡も行っていません。この時期花粉症がつらくさらに登る気にはなれませんでした。

 上田駅よりバスを利用して真田バス停下車し、そこから徒歩15分くらいで登城口に行くことができます。バスの本数が少ないのと、真田バス停は3ヶ所あり要注意です。

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