山吹城は国の史跡「石見銀山遺跡」に含まれており、2007年に石見銀山が世界遺産に登録されるにあたって構成要素の一つの「銀山柵内」に当城が含まれています。標高414m、比高200mの山城ですが実際に登ってみると結構しんどかった記憶があるので、ここで登録してしまいます。(できればもう登りたくない)
延慶2年(1309年)ごろに石見銀山が発見され、その守城として大内氏によって築かれたとされています。戦国期には大内氏と小笠原氏の間で銀山を巡る争いが起こり、天文6年(1537)には尼子経久によって占領されます。やがて大内氏に代わって毛利氏が銀山の争奪戦に加わり永禄5年(1562)には毛利元就の手中に収まったそうです。関ヶ原の合戦後は幕府領となり大久保長安が山吹城に入りますが翌年、大森代官所に拠点を移したため廃城となったようです。
山吹城は最高所を主郭として南北に4段程度の郭を配しています。東西の側面がほぼ無防備になりますが特にこれといった防御の仕掛けは無いようです。南側には多数の畝状竪堀を有しているようですが未確認です。もしもう一回行くことがあったら確認に行きますかね‥
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