やまぶきじょう

山吹城

島根県大田市


旧国名 : 石見

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主郭
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しんしんちゃん

何気に国の史跡で世界遺産だったりする。 (2013/10/05 訪問)

山吹城は国の史跡「石見銀山遺跡」に含まれており、2007年に石見銀山が世界遺産に登録されるにあたって構成要素の一つの「銀山柵内」に当城が含まれています。標高414m、比高200mの山城ですが実際に登ってみると結構しんどかった記憶があるので、ここで登録してしまいます。(できればもう登りたくない)
延慶2年(1309年)ごろに石見銀山が発見され、その守城として大内氏によって築かれたとされています。戦国期には大内氏と小笠原氏の間で銀山を巡る争いが起こり、天文6年(1537)には尼子経久によって占領されます。やがて大内氏に代わって毛利氏が銀山の争奪戦に加わり永禄5年(1562)には毛利元就の手中に収まったそうです。関ヶ原の合戦後は幕府領となり大久保長安が山吹城に入りますが翌年、大森代官所に拠点を移したため廃城となったようです。
山吹城は最高所を主郭として南北に4段程度の郭を配しています。東西の側面がほぼ無防備になりますが特にこれといった防御の仕掛けは無いようです。南側には多数の畝状竪堀を有しているようですが未確認です。もしもう一回行くことがあったら確認に行きますかね‥

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くらのり

山吹城 (2017/04/01 訪問)

1309年(延慶2年)頃、石見銀山が発見され、その防衛用の城として、周防・長門国の大内氏当主・大内弘幸によって築城されたとの伝承がある。標高414mの要害山上に築かれた山城で、その規模は要害山全体に及ぶ。
頂上付近に南北52m東西32mの主郭を配し、19本以上確認できる畝状竪堀群や土塁、空堀、石垣等で防衛線をなしている。なお、大森の集落に面している主郭北側のみに石垣が築かれていることから、"集落側に見せるための構築物"を築いていたためと考えられている。周囲には、石見城・矢筈城・矢滝城があり、共に石見銀山遺跡に登録されている。

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イチ

銀山を守る山城 (2021/12/05 訪問)

石見銀山のそばにある山城。曲輪や畝状竪堀群が魅力であるが藪化で見ることが出来ませんでした。
しかし、主郭からの三瓶山は雄大でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/08 訪問)

多機能トイレ前駐車場(35.106787、132.437565)に駐車して攻城。
朝5:00の攻城の為、真っ暗です。ヘッドライトを頼りに本丸まで進みました。途中、撮った写真で使えそうなものは標柱を撮った写真位でほぼ全滅。攻城時間70分で投稿可能なものは本丸で撮った説明板のみとは悲しい。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大内弘幸
築城年 延慶2年(1309)
主な城主 大内氏、尼子氏、毛利氏、大久保氏(徳川氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、土塁
指定文化財 国史跡(石見銀山遺跡)
再建造物 碑、説明板
住所 島根県大田市大森町銀山他
問い合わせ先 島根観光連盟
問い合わせ先電話番号 0852-21-3969