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赤い城

なかなかの遺構が。 (2021/06/19 訪問)

藤橋城からの転戦で徒歩30分とちょっと。
最寄りは東青梅駅となります。
妙光院から登ると立入禁止。
光明寺に周ります。
横の道を登ると水道施設があり、その向かいから城域に入ります。
少し進むと二郭、周囲を堀が囲んでいます。
主郭からは青梅市内を一望できます。
主郭から下っていくと三郭、妙光院の墓地となっています。
その下にも郭があり、土塁が囲んでいます。
さらに降りると妙光院の立入禁止の立て札に。
こっちからは行けるのか、と思いながらも墓地があるからかな、と何となく納得。
城廻りはマナーが第一ですね。

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カズサン

【お城川柳】本丸と二の丸復元丑寅櫓で一句

 ・ よみがえる 丑寅櫓 二つあり

 本丸に丑寅櫓が25年前の平成8年復元し昨年令和2年二の丸に丑寅櫓と続き屛風折れ土塀が復元し丑寅櫓が西尾城に二棟出現しましたので詠んでみました。
 後は天守台に木造復元天守閣を待っております!

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】水攻音頭は… (2018/06/09 訪問)

「備中の 水攻音頭は 自虐ソング」

一度,生で観てみたい。

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】続・シラス台地には… (2020/12/05 訪問)

「シラスの地 ここにもなかった しらす丼」

この展開,読まれていたのではないかと思います。

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火ノ島豊後守正宗

新高山城 (2021/07/04 訪問)

続53城目。
続・瀬戸内漫遊5城目。
スタンプは本郷駅近くの図書館(生涯学習センター)に置いてあります。城までの地図もついでにいただけます。登山口までは車で10分程度です。ちょっと細い道でしたが、登山口前に駐車場があります。
ただ、ここからの登山は半端なかったです。山頂までおよそ30分以上かかる地獄の山道でしたが・・・・やはり山城はいいものです。城一つを攻略したかのような感慨を得られます。

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火ノ島豊後守正宗

三原城 (2021/07/04 訪問)

続52城目。
続・瀬戸内漫遊5城目。
JR三原駅に隣接している城址公園です。
見学は10分程度で終わります。。。あまり見るところはなかったかな。

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火ノ島豊後守正宗

備中高松城 (2021/07/04 訪問)

続51城目。
続・瀬戸内漫遊4城目。
市街地から離れたところにある静かで趣のある城址公園でした。
朝早くに来たのですが、けっこう人が多かったです。
第一駐車場に停めれなかったので、ちょっと先の第二駐車場に停めました。

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肉球

惣構 (2021/06/25 訪問)

以前から惣構というのが気になっていました。
今回は時間にゆとりがありましたので一回りしてみました。
結構な距離を歩く覚悟をしていましたが当日は蒸し暑くヘトヘトになりました。

途中レンタサイクルを使用している観光客がいて『使えばよかった』と。
しかし坂も多いし、、、
当日歩いた歩数は軽く30,000歩を超えてました。
この計画には水分アミノ酸必須です。 
金沢城だけで5度も投稿しましてすみませんでした
 

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肉球

加賀八家 (2021/06/25 訪問)

百万石の大名ともなると家老の禄高も高禄。
奥村宗家17,000石・本多家50,000石・村井家16,000石・長家33,000石・
前田家(直之系)11,000石・前田家(長種系)18,000石・奥村家(支家)12,000石・横山家33,000石
立派な大名ですね。
奥村宗家の邸跡は兼六園の隣、医療センターとなっており石積みと板塀が残っており
約10,000坪の敷地だったようです。
本多家は加賀藩一の高禄。分家の長屋門が本多公園に移築されてます。
その他は学校や公園、住宅となっており案内板が建っています。

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肉球

石垣いろいろ (2021/06/25 訪問)

石垣の宝庫と言われる金沢城の鶴の丸広場には基本的な展示石垣があり勉強してから散策することが出来ます。
石川門だけでも切り込みハギと打ち込みハギ。江戸時代中期の改修により2種類の積み方になったようです。
三十間長屋の石積みは切り込みハギで表面は粗く縁だけ綺麗に揃え石のゴツゴツ感を強調されてます。
東の丸の高い石垣は金沢城築城当初からの野面積み。
橋爪門は二の丸御殿への入り口ということで戸室山から産出された戸室石が敷かれ格式高く築かれました。
数寄屋敷の石垣には○✖️△など刻印がたくさん刻まれてます。
などなど石垣だけでも見応え十分です。

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織田晃司

立派な模擬天守 (2021/07/03 訪問)

模擬天守建築の際、発掘調査が行われたそうですが、
はっきりと遺構がわかるものが見つかりませんでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:新府城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の3城目は新府城です。
韮崎民族資料館から転戦。新府公園駐車場(35.737801、138.426310)駐車しました。
神社階段から攻城しました。この階段、結構きついです。階段横に参道(乙女坂)あります。

新府城は1581年(天正9年)、武田勝頼が家臣の真田昌幸に命じて築かせた城です。
躑躅ケ崎館にかわる新たな本拠地として築いただけあって、非常に大規模な城であり、武田家を代表する甲州流築城術の集大成となる城でしたが、織田軍が甲斐へ侵攻すると勝ち目が薄いと見た勝頼は自ら城に火を放ち、落ちていきます。
家臣 小山田信茂の岩殿城へ向かった勝頼でしたが、信茂の謀反にあって入城かなわず、天目山を目前に田野の地で自刃。ここに武田氏は滅亡しました。
その後は新府城も廃墟となっていましたが、徳川家康が北条氏と甲州をめぐって争った際には、これを修復して本陣とし、戦局を好転させたと伝えられています。
現在も土塁や空堀などの遺構が残り、本丸跡には神社が建立されています。

民俗資料館でいただいたパンフレットがとても役に立ちました。
大手桝形虎口のあたりは開けていて大きな桝形虎口ときれいな丸馬出し、三日月堀が最高です。
新府公園駐車場に駐車、無料、東出構の目の前、常時開放、トイレ洗面なし。
攻城時間は45分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:白山城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の2目は白山城です。
日ノ出城から転戦。分岐点(35.699472、138.425631)から西へ進む細い道へ入り、白山神社入口の防獣ゲートを開けて中へ入り空スペース(35.699527、138.424516)に駐車しました。

白山城は甲斐武田氏の祖である武田信義によって築かれた城です。山麓にある武田信義館の詰の城として築かれました。
1186年(文治2年)に信義が死去すると、居館とともに一時廃城になったようです。
その後、武田氏が本拠を躑躅ヶ崎館に移すと、信義の次男・忠頼を祖として武田信長が再興した一条氏、武川衆の青木氏、山寺氏が城主となったとされます。
1582年(天正10年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡します。
1582年(天正10年)6月、本能寺の変で織田信長が死去すると甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生し、甲斐では三河国の徳川家康が新府城を本陣に七里岩台上に布陣し、若神子城に本陣を置く北条氏直と対峙しました。
天正壬午の乱において武田遺臣の一部は徳川家康に臣従し、白山城には武川衆の青木氏・山寺氏が配置され、諏訪口の監視を行いました。
白山城は天正壬午の乱において修築されていると考えられています。
江戸時代初期の寛文年間(1661年-1673年)廃城となりました。
現在城址は国指定史跡として整備されており、馬出しや枡形虎口などの遺構を確認できます。南東山腹にある白山神社に登山道があります。

城址はコンパクトながら土塁・空堀があり遺構の状態は良いです。発達した虎口が目を引きます。
攻城時間は40分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:日ノ出城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の1城目は日ノ出城です。
石碑説明板前(35.734232、138.453940)に駐車しました。

築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に日一揆によって築かれたと云われています。
1416年(応永23年)に上杉禅秀の乱が勃発すると甲斐国守護武田信満は禅秀方に与して戦ったが敗死しました。
これによって甲斐国守護の武田氏は衰退し、代わって一族の逸見氏や穴山氏、跡部氏といった有力国人が台頭します。
こうしたなか、輪宝一揆と日一揆という二つの小豪族集団があり互いに対立、日一揆は武田信長に与し、輪宝一揆は逸見氏や跡部氏と与して敵対し、1433年(永享5年)に荒川原で戦って武田信長・日一揆方は大敗を喫し壊滅しました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡して織田信長が本能寺の変によって倒れると、北条氏と徳川氏によって旧武田領の争奪戦が繰り広げられました。
家康が新府城に本拠を移した際に、日ノ出城が修築されたが、北条氏との和睦により役目を終えました。

石碑と説明板の写真を撮って撤収です。(跡碑以外は消えかかっていて、よく見えない)
攻城時間は5分くらいでした。

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うっちー信繫

小田原評定は無駄な長会議ではなかった!真実とは?

【豊臣秀吉の軍勢に包囲され、籠城戦か野戦か、毎日のように緊急会議が開かれる事態となったが話がまとまらなかった。】
これが所謂【小田原評定】である。しかしこの通説が近年では否定されつつある。新説【事実?】を読み解こう。

通説では毎日のように開かれた【緊急会議】であるが、実は月二回開かれる定例会議であった。
更に籠城で会議合致しており、意見が入り組んだ訳ではない。
ルイスフロイスの日本史によると、豊臣軍も疲労や長期戦への不安等により士気低下が起こり、兵糧不足で苦戦した。と書かれ、そこそこ北条の籠城策も効果を発揮していると見てよいだろう。
このように小田原評定は無駄な会議でなかったのだ。
ここまで、 日本史の謎検証委員会箸 2018年 彩図社 最新研究でここまでわかった戦国時代通説のウソ を参考に書きました。

~ここから個人の見解~
籠城するという選択も、「籠城策なんて阿呆な選択だ!」と批判する方もいますが、上杉氏や武田氏を撃退した小田原城なのだから籠城策も妥当。更にまだ上洛してない東北大名が動けば勝機はある。それでも北条氏の籠城策を批判する方には「じゃあ北条氏はどのような策を実行すれば納得しますか?」と問いたい。
北条のプライドもありますしね。

次回の投稿は 【外国の城と日本の城の違いとは?外国の城の専門用語まで解説します!】 です。お楽しみに!

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じゅんじん

再建中 (2021/05/05 訪問)

火事は怖いね。今でも神社の宮司さんです。

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じゅんじん

武田流 (2021/05/05 訪問)

カエルの鳴き声に癒されました。

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じゅんじん

2回目 (2021/04/10 訪問)

仕事が早く終わったので寄りました。

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じゅんじん

桜のころ (2021/03/27 訪問)

毎年の楽しみ🌸

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イオ

【お城川柳】

城めぐり ご当地グルメに 舌つづみ

せっかくいろんなところに行くんだから、ご当地の美味しいものを食べるのも城めぐりの楽しみのひとつですよね(焼鯖そうめん、大変美味でした)。でも、行列のできる名店に並んだりしていると、その分だけ城めぐりをする時間が少なくなって、

城下町 寄り道しすぎて 本末転倒

…などということにもなったりしてしまいます。グルメだけでなく、観光名所でも同じことで、先日も敦賀市内をめぐった後は、金ヶ崎の退き口にちなんで信長が逃れた朽木街道を通り、朽木氏の館に立ち寄って帰るつもりが、敦賀城下で寄り道しすぎたため、敦賀だけで帰る羽目になってしまいました…。

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