みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

おっちゃん

鶴城縄張り図 (2017/05/13 訪問)

現地案内板より抜粋。

+ 続きを読む

おっちゃん

鳥越城跡案内図 (2019/04/19 訪問)

現地案内板より抜粋。

+ 続きを読む

おっちゃん

鳥羽城跡案内図 (2017/01/28 訪問)

現地案内板より抜粋。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

ちょうど1年前。 (2021/07/07 訪問)

五稜郭のはね出し石垣を確認しに,気合を入れて散策を開始。しかし,あっという間に見つけてしまい,ちょっとガックリきた記憶があります。もうちょっとドキドキさせてほしかったです…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

本丸は三段構え (2022/05/23 訪問)

 本丸は二の丸の間に二の丸畝掘りより厳重に大きく畝掘り障子堀で守られ、二の丸から本丸西橋土橋を経て土塁虎口で守られて居ます、北側は高土塁で守り、本丸内郭は三段の構え、下段に弾薬庫、兵糧庫が在ったようです、南東諏訪神社側から三の丸へ。
 北東の一角に天守台が在り、天守台と北側の高土塁の間を通って大横堀畝掘りかな?を木橋で渡って北に丸へ出ます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

「福山城を描こう」-新しくなった福山城を描いて応募しよう-

令和の大普請が終わり,新しくなった福山城の絵を募集しています。

1. 応募期日:2022年(令和4年)8月2日から9月30日
2. 対象者:小学生,中学生の個人
3. 作品内容   
2022年7月以降,改修工事の終了した福山城や伏見櫓など福山城内の建物を,よつ切画用紙に描いた絵とする。
4. 審査方法 優秀賞等を選び表彰する。(最優秀賞・優秀賞・佳作など)
5. 作品の展示・公開
 福山城博物館に一定期間展示し公開する。
6. 応募先   
 〒720-0061福山市丸之内一丁目8番 福山城博物館友の会事務局(℡084-922-2117)
   郵送も可とする。
   展示終了後の作品の返送はしませんので,各自で受け取りください。

+ 続きを読む

福山城自由研究の募集をしています

福山城に関する自由研究を募集します。

  ① 募集テーマ

    「城・城跡・築城・城下町・人物・出来事」など,福山城に関する研究

  ② 応募対象者

    全国の小学生・中学生・高校生の個人

  ③ 部門

    個人賞 小学生の部,中学生の部,高校生の部

  ④ 募集期間

    2022年(令和4年)9月1日(木)~10月30日(日)

⑤ 応募規定

  ・レポート(写真,グラフ,図等含む)の提出(50ページ以内・模造紙2枚まで)

  ・入賞作品は博物館友の会会誌等に掲載することがあります。

   この掲載については,応募を以てその許諾をいただいたものといたします。

  ・研究に利用した本やホームページなどは,必ずレポート末尾に書名・作者名・出版社名を明記してください。

  ・応募された作品は原則お返ししません。

  ⑥ 入賞発表 2022年(令和4年)12月

    部門ごとに,優秀賞,築城400年記念事業実行委員長賞,主催者賞他を授与いたします。

+ 続きを読む

カズサン

二の丸登城路 (2022/05/23 訪問)

 二の丸内郭部からの続きです。
 二の丸西虎口櫓台下から南側下にカーブして二の丸登城路が左右土塁に護られて、三の丸の箱井戸、田尻の池間の二の丸登城路口まで続いています。
 丁度三人ほどの方が草刈りをされ登城路整備中でした、二三言葉を交わして感謝申し上げました、この様に山城を探訪できるのも整備の方々のお陰です。
 
 本丸編に続きます。

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

『福山城』資料集の購入希望者を募集しています

福山城築城400年記念事業の1つとして,福山城博物館友の会が編集を手掛け作成している『福山城』資料集出版のお知らせです。
 ・内容
① 福山城に関する論文(小和田哲男先生執筆)
② 本文  ・古絵図(水野・松平・阿部時代の地図)
      ・古写真(明治初年から昭和戦前までの天守,櫓など城郭写真)
       ・古図面(天守,伏見櫓,筋鉄御門の実像)
       ・古文書(備陽六郡志を主に各資料による各時代の城郭と城下町)
③ 版型  A4版 縦組 縦書き 二段組 カラー(古絵図)約200P
④ 予価  2,800円
⑤ 編集  福山城博物館友の会,福山城資料集編集委員会
⑥ 発行  福山城博物館友の会,福山城築城400年記念事業実行委員会
⑦ 発行予定  2022年8月
⑧ 発売  福山城博物館友の会

 ・申込方法 FAX・ハガキにて,住所・名前・電話番号・希望冊数を記載し以下へ申し込みください。
       発売日決定の後,受け取り方法等通知いたします。

 ・申込先  〒720-0061
       福山市丸之内一丁目8番
       福山城博物館友の会事務局
       ℡084-922-2117 FAX084-922-2126

+ 続きを読む

カズサン

二の丸内郭部 (2022/05/23 訪問)

 元西櫓より南北に切られた畝掘りを木橋で渡り、二の丸西の虎口、土塁と北側の櫓台で守って居ます、内部は北に大土塁が守り南側に傾斜して居ます、櫓台が東の本丸畝掘りの手前北側にもう一つあります。
 西の櫓台下から南斜めカーブして二の丸登城路が三の丸の箱井戸と田尻の池の間に抜ける二の丸登城路に続いて居ます、左右は高土塁で護られて居り、兵士の移動が分からぬような構造か?山中城本郭中一番の広さです。

 二の丸登城路に続きます。

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

人吉城の復興状況(2022夏)-②- (2022/07/06 訪問)

(-①-からの続きです)

■中御門(写真①②)
御館から中御門への道は立ち入り禁止区域です。しかし右側にある狭い脇道から三の丸・二の丸・本丸へと登ることはできます。
■本丸(写真③)
本丸にはもともと天守は立っていませんでした。護摩堂が立ち、祈とうする場所だったようです。その跡が残っています。三の丸・二の丸・本丸は、草がかなり生えていてあまり眺望は望めなかったのが残念でした。(大火の前は二の丸に藩主の御館がありました)。
■林鹿寺(写真④⑤)
御館の前には、林鹿寺があります。ここは西南戦争の時、西郷隆盛が陣所として一カ月間過ごした所です。薩摩軍は人吉城に陣を敷き、三の丸に砲台を設置して官軍と戦いました。しかし球磨川の向こうの村山にいる官軍めがけて砲撃するも届かず、官軍の砲撃は人吉城まで届いたそうです。林鹿寺にはその時亡くなった薩摩軍の兵士を祀った石碑がありました。
■大手門跡と多聞櫓(写真⑥⑦⑧)
多聞櫓と隅櫓はきれいに化粧直しされ修復されていました。
■人吉城全景(球磨川より眺める)(写真⑨)
ここは球磨川の上流域であるにもかかわらず、相変わらずかなりの水量がありました。(昨年今頃も氾濫ぎりぎりまできたそうです)。

全体的には、2年前よりかなり復旧されてきているのではと感じました。しかし、閉鎖中で職員がいないせいか、100名城であるにもかかわらず、あちこちに草が生えて荒れ放題になっており、少し悲しい感じがした訪問になってしまいました。歴史館が復活されれば、解消されるのかもしれませんが・・・(すぐには難しいのかもしれません)。

JR肥薩線は2年たっても未だに不通で、それだけでなく被害があまりにも大きく採算面や復旧費用の問題もあり目途も立っていないようです。よって今回は、博多→新八代までは九州新幹線(写真⑩)、新八代駅→人吉IC(宮崎行B&S高速バス)、人吉IC→人吉城(路線バス)で行きました。根本対策のダム計画もどのような方式にするのか議論されていますが、完成は20~30年も先の話になるので、それまでに再度豪雨で氾濫しないか心配です。球磨地方の方々は恐怖と隣り合わせで大変と思いますが、1日も早く安心して暮らせる日々が訪れ、そして人吉城が1日も早く元の姿を見せてくれる事を心より願っています。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

人吉城の復興状況(2022夏)-①- (2022/07/06 訪問)

2020年7月4日九州南部豪雨により人吉城は横を流れる球磨川が氾濫し水没しました。あれからちょうど2年がたち、今どうなっているのか気になったので訪れてみました。(すいませんが2回に分けて投稿させていただきます)。

【人吉城の歴史】
人吉城は、鎌倉時代に源頼朝の命を受けた遠江の相良氏が地頭として赴任し築城、幕末までの約700年間、相良氏が治めてきました。文久2(1862)年に大火があり城内の建物はほぼ焼失。翌年、防火のために「はね出し」という西洋の工法で石垣が造られた事で今は有名です。(「武者返し」とも呼ばれますが、藩主の館を火事から守るのが主な目的だったようです)。

【復興状況】
災害の影響は今でも残っています。城内のあちこちには立ち入り規制区域があり、人吉城歴史館はまだ閉鎖中です。おそらく、相良氏に関する貴重な資料や展示物も水没の影響を受け簡単に修復できない程の相当なダメージがあるのではないかと私は思いました。歴史館の復旧にはまだまだ程遠いのかもしれません(誰も職員がいなかったので詳細は聞けませんでした、すいません)。

■はね出し石垣(藩主御館下:写真①②)
石垣の近くまでは行くことはできます。しかし、石垣の真下は立ち入り禁止区域です。そのせいか、石垣のあちこちの隙間から草が生え、せっかくのはね出し石垣が・・・何かちょっと見栄えが悪くなったというか・・・少し残念な感じでした。
■水の手門(写真③)
立ち入り禁止区域です。よって遠方の水の手橋から撮影しました。
■歴史資料館(写真④⑤)
未だ閉鎖中です。100名城スタンプは裏口から押せます。裏口は24時間施錠されていないとの事ないので、ひっそりと開けて押して来て下さい(パンフレットもご自由にお取り下さいと置いてありました)。その裏口には、ここまで水没しましたと書いてありました(私の背丈と同じくらいです!😲)。
■西外大曲輪(写真⑥⑦⑧)
芝生養生中のため、立ち入り禁止区域です。井戸のある地下室も立ち入り禁止でした。
■城主の御館跡(相良神社)(写真⑨⑩)
ここには文久2年の大火の後に建てられた城主の御館がありました(はね出し石垣の上)。現在は相良神社が立っています。ここから上の段に被害はありませんでした。庭園跡が残っており、ここが藩主の御館であった事を物語っていました。


【余談】この日はとても気温が上がりむし暑く、スマホのカメラが途中で起動しなくなったため(「高温のため撮影できません」のメッセージ)、あわてて球磨川を渡った所にあるコンビニで氷を買ってきてスマホを氷で冷やしながら汗だくで撮影しました。こんな事もあるんですね(笑)😊

(-②-へ続きます)
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

金剛院城(福井県越前市深草) (2022/06/05 訪問)

金剛院城(城びと未登録)は、築城時期や築城者など詳細は不明ながら、織豊期には府中城から北ノ庄城に移封になった青木一矩に替わって子(甥とも)の青木俊矩が城主となっていますが、青木父子が関ケ原の戦いで西軍に与したことから改易となり、江戸初期に城跡に金剛院が再興されて現在に至ります。

金剛院の駐車場に車を駐めて登城開始。金剛院山門前の寺標には金剛院城趾の記載があり、境内の金剛院の説明板にも金剛院城に関する記述が見られます。境内の西辺には土塁が南北に長くしっかりと遺っており、土塁外側の駐車場になっているあたりが往時の堀跡なのかもしれません。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

行ってました、大野城 (2022/06/19 訪問)

以前「城と標柱」で衣笠城の投稿した際に「大野城も津田城も行ったことない」と書いてました。
が、行ってました。
福岡でも越前でもない近隣の大野城です。
市川大野駅から徒歩で10分。
市川五中が建つ城山が城跡です。
高台にあり、地形的には城を感じます。
中学校構内には遺構もあるようですね。
正門に説明板があります。
グラウンドを挟んで天満宮が建っていますが平将門が建てたとの伝説も残っています。
元カープの大野さん、66歳だそうですが今でも130km/hの球を投げられるとか。
数少ない地元のヒーローの一人です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

③敷石・第1水門・第2水門・高石垣 (2022/06/07 訪問)

 西門からは城壁沿いの見学コースを歩きました。
 敷石や列石からかつての姿を想像、その場所に立っている不思議を噛みしめ、お城はタイムマシンがなくても行ける過去なんだなとしみじみ思ったりしました。
 石畳の如くに敷き詰められた敷石は畏れ多くてはじめはその上を歩くことを躊躇していたのですが、そうもいかないところは歩いてしまいました。しかしこれがとても歩きづらく、通路としてだけでなく水はけのために配された石だということを身をもって知ることができました。
 最初の宝探し、第1水門と第2水門クリアしました。石積みの上の版築、二つの水門の間の土塁や池。石や土そのものがガイドとしてこのお城のことを語ってくれ、見ているだけで十二分に満たされました。
 第2水門からしばらく進んだところの高石垣からの景色も期待通りの素晴らしさ。もう全部丸見えです!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

すぎ

小谷城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

+ 続きを読む

すぎ

玄蕃尾城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

+ 続きを読む

すぎ

金ヶ崎城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

+ 続きを読む

すぎ

国吉城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

+ 続きを読む

織田晃司

天守リニューアル (2022/07/02 訪問)

8/28まで本丸広場には立入禁止ですが天守工事の足場は完全撤去され北面の鉄板張りを拝見することはできます。

リニューアル天守に目が行きがちですが福山城の真の主役は伏見櫓といっても過言ではない。

+ 続きを読む

ページ724