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肉球

現存最古の天守じゃなかったけど (2021/06/24 訪問)

1628年に建造されたと発表されましたが石瓦や狭間の多さなのか
私には犬山城より古く見えてしまいます。
何度か訪れていますが天守閣全景を撮影できる場所が限られて
かなり遠くから撮影してみました。
もう少し木が少ないと良いのですが

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小城小次郎

広大な三崎城の一部だったという見方も面白い (2021/04/24 訪問)

三浦道寸父子の最期の地は内と外の二つの引橋によって今の三浦市全体を守る広大な「三崎城」の一部だったという見方もある。お城の既成概念を大きくはみ出していてわけがわからないが、わからないからこそ城は面白い。

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くっしー

眺望がすばらしい (2021/07/04 訪問)

城跡から見える景色が素晴らしいです。

たどり着くのには少し苦労しました。

天竜川の支流、沢川付近まではカーナビでたどり着いたのですが、城跡はそこより北の少し高い場所にあります。

下から見ていて、城を作るのには良い立地だと思いながら、そこにいくまでの道が分からずウロウロしてしまいました。

最終的に遺跡の西側に道しるべがあり、細い道を登っていくといきなり景色がひらけました。

県史跡の標柱・説明看板のところまでたどり着き、どこに車をとめようかまた迷ってしまいましたが、

さらに100mほど行くと東屋があり、数台車を止められるスペースがあったので、そこに車をとめました。

その東屋からの眺望が最高ですよ!!

遺構としては空堀がとても見ごたえがありましたね。

曲輪は耕作地や空き地になっているので城っぽくありませんね。

平安時代の城ですが、発掘調査で戦国時代にも使われていたということが分かっているそうですよ!!

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こうちゃん

駅のホームから見えるのとは別物! (2021/07/06 訪問)

ちょっとびっくり!とにかく石垣に感動!正面→右から上がって櫓の間に見晴らし台が設置→天守台→左から降りるコースで単純だけど見応え抜群!気になってる人は絶対行くべし!二基の三重櫓の向きが違うのに気づいてね!

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肉球

間部氏が築いた城下町 (2021/06/23 訪問)

間部詮房の弟詮言が越後村上城から移され鯖江に陣屋を築いたようです。
住宅街に埋もれた一角に小さな公園がありその付近が藩庁跡。
藩主別邸跡に建つ松阜神社に移築門があり
そこから1~2分の所に家老植田家の長屋門が残っています。 

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肉球

本保陣屋・福井県越前市 (2021/06/23 訪問)

越前国の幕府直轄領を統治するため築かれた陣屋跡です。
一部の跡地は整備された公園となっています。
陣屋門は越前市内の陽願寺に一部書院は千代鶴神社と個人宅に移築されてます。

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にのまる

【お城川柳】

帰宅後に遺構の見逃しあるを知る

見逃した遺構気になり再訪す

再訪のついでに別の城へ寄る

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】遠征のため,1週間ほど投稿をお休みします。 (2021/06/15 訪問)

「せめぎ合い? いや,調和の美なり 細と黒」

細=細川,黒=黒田でお分かりいただけると思います。

明日から,遠征に出かけますが,川柳でヒントを出します。
「夏はイイ 津軽海峡 冬はイヤ」
土日は福祉関連。そして…
「本土越え ちぇるちぇるランド 飛んじゃうよ」
まだ,この地の続日本100名城は閉門中なので,違う選定も視野に入れております。

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てぬき親父

お城川柳

耳すます 鴬張りが お気に入り

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カズサン

【お城川柳】故郷の城でも一句

 ・ 夢をみる お城をいだく 久松山

 鳥取城が聳えてる久松山は因幡鳥取のシンボルです、高校三年間汽車通学で通い鳥取駅乗り降りで聳える城山久松山を眺めていました、半ドンには城跡の二の丸天球丸に登り、たまに山上の丸の天守台本丸二の丸三の丸、太閤ヶ平に登ったりと思い出が多くある鳥取城久松山です、帰省の度には上には登れてませんが内堀辺りから石垣群、久松山を眺めて居り、目を閉じればしっかりと浮かんできます。

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モト

戦国時代へタイムスリップ (2021/06/01 訪問)

復元された建物と塀が魅力的です。
それらの建物と元々残る堀との情景がかなり気分を盛り上げてくれます。
他の城と比べますと周りに現代の建物が少ないのでそれがさらに昔の城跡の様を容易に想像でき、一瞬でタイムスリップしたような感じになりますよ。

公園として整備されてますので見学もしやすく、それでいて空堀なども見所も多いです。
これで3度目ですが、いつ来ても城跡の全体の雰囲気に満足させられております。
茨城県でおすすめの城はと言われたら間違いなく5本の指にはいる城跡ではないかと思います。

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イオ

【お城川柳】

とんかつで ガス欠知らずの 朝ごはん

「腹が減っては戦ができぬ」の一件以来、山城歩きには非常食(カロリーメイトとか)を持ち歩くようにしていますが、朝食をしっかり摂れば、お昼を過ぎてもしばらくはガス欠にならずにすむことを学習しましたので、この頃は目的地に向かう途中の「松のや」で、得朝ロースかつ定食(490円)で腹ごしらえするのが定番になっています。早朝からとんかつ(+選べる小鉢はコロッケ)というのもなかなかにアレですが、さらにセルフサービス店ではご飯やみそ汁もおかわりできますので、ガス欠になる心配は全くありません。…というかカロリー過剰摂取?(笑)

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todo94

伊自良温泉 (2021/06/05 訪問)

越前大野に行く前に近くの物件をターゲットにしてみましたが、なかなかの山奥でした。こんな山奥なのに伊自良温泉はそれなりに賑わっているようです。閉館した資料館には上味みママーズの看板が掛かっていました。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:武居城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の13城目は武居城です。
妙義山城から転戦。武居城跡公園駐車場(36.117281、137.879431)に駐車しました。

武居城は鎌倉時代に洗馬庄(せばのしょう)の地頭であった三村氏が築いたと言われています。
16世紀の初め頃、三村氏が本拠を芦の田に移すまではこの城が三村氏にとって最も重要な城であったようです。
その後も城の改修が続けられ、現在の遺構は戦国時代末期のもののようです。

戦国時代、三村長親は信濃守護・小笠原氏に従い勢力を伸ばしていましたが、小笠原長時に従って出陣した「塩尻峠の合戦」で山家昌治や西牧信道らとともに信玄の調略に応じて寝返ります。
しかし長親はその後、謀反の疑いをかけられて処刑されました。

現在城址には二重の堀切や畝状竪堀群などの遺構が良好に保存されており、また各所に案内板が設けられているなど見学しやすく整備されています。
登城口から10分程度で城域に到着し、登り口で杖と熊よけ鈴を貸し出しています。
攻城時間は30分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県塩尻市)妙義山城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の12城目は妙義山城です。
先達城から転戦。本洗馬歴史の里資料館駐車場(36.107118、137.911051)に駐車しました。

洗馬荘の領主三村氏の居城で、1523年(大永3年)に三村忠親が築城し、それまでの武居城から本拠を移したそうです。
戦国時代、三村氏は小笠原氏に従っていましたが、1548年(天文17年)の「塩尻峠の戦い」では三村駿河守長親は西牧、二木氏らとともに信濃守護・小笠原長時に叛き、小笠原方大敗の要因となりました。
その後、武田氏に仕えましたが、謀反の疑いがかけられ、1555年(天文24年)武田晴信によって長親と家臣二百余人は撫で斬りにされ、三村氏は滅亡しました。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができ、山麓の居館跡に建てられた「釜井庵」の背後から登山道が整備されています。

城址には現在、妙義山神社が鎮座しています。
三村氏の館「釜井庵」を登城口に、雨が降ってきたので、滑らないようにゆっくり登りました。
攻城時間は40分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:先達城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の11城目は先達城です。
笹尾砦から転戦。常昌寺駐車場(35.880534、138.294415)に駐車しました。

先達(せんだつ)城は1528年(享禄元年)武田信虎が諏訪侵攻の際、ここにあった新五郎屋敷 を城に取り立てたという記録があり、これが先達城と考えられているようです。
当時は甲斐と諏訪の国境は富士見町の御射山神戸の南、堺川と思われ、ここで合戦があり、この城は武田軍が諏訪侵攻の為の前線基地として築いた砦であったと思われるが、現在新五郎屋敷がどこにあったのかは特定できないそうです。
信玄の時代には地元の伝承によると家臣、多田淡路守常昌の居館があり、常昌は長篠の合戦 で討ち死にしたといいます。
境内の墓地には常昌の墓碑があるが、文献上ではどのような人物であったのかは 判らないようです。

現在城址は常昌寺の境内となっており、城址碑や案内板が設置されています。また北側には土塁と思われる地形が確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:笹尾砦 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の10城目は笹尾砦です。
深草城から転戦。城山公園駐車場(35.835703、138.320187)に駐車しました。

笹尾城は享禄4年(1531)一月、甲斐国内の今井氏や大井氏、栗原氏などの国人層の叛乱に際して、武田信虎によって築かれました。
直接的には、これら国人層と結んだ諏訪頼満の侵攻に備えてのものだったようです。
信玄が甲斐・信濃を支配下におさめた以降も1582年(天正10年)の武田氏滅亡時まで砦または狼煙台として使用され、その後の「天正壬午の乱」でも北条氏が陣城として利用したそうです。
現在城址は城址公園として整備されており、土塁や堀切などの遺構を確認することができるようです。(立ち入り禁止のため未確認)

とても立派な駐車場完備です。 20210627日現在、倒木のため立ち入り禁止になっていました。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:深草城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の9城目は深草城です。
谷戸城から転戦。田んぼ付近の空スペース(35.846535、138.3830)に駐車しました。

深草城は平安時代末期に逸見氏が築いたという伝承が残っているが、確かなのは戦国時代に武田氏の家臣である堀内氏が居城としていたことで今も末裔の人たちが暮らしているそうです。
八ヶ岳の南西にある丘陵地帯に築かれた丘城で、谷戸城の支城であったと考えられています。
堀内下総守とその子である堀内主税助が城主をつとめていたとあり、主税助のときに落城しました。
その後、武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」では北条氏が利用しましたが、撤退後に廃城となりました。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができるようです。

丸太橋を渡り内部に進入。想像していたより広かった。
北と南に分かれた曲輪は土塁に囲まれており、特に北東側が良く残っている。城の周りは川に囲まれていた。
攻城時間は10分くらいでした。

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くっしー

住宅街にこじんまりとしたお城 (2021/07/03 訪問)

小さなお城ですが、

土塁がしっこり残っていて、

その周りにお堀があって、

高台という立地もお城らしさがあっていいいですね。

土塁の中は公園になっているので、自分が行ったときは誰もいませんでしたが、

天気の良い土日などは地域の憩いの場としても素晴らしい場所なんだろうなと思います。

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くっしー

少し静かすぎるかな。 (2021/07/03 訪問)

コロナの影響があるにしても、全く人がいなくてびっくりしました。

桜の時期に来ると綺麗なんだろうなとは思います。

とても大きなお城で、広いのに建物がほとんど残っていないので見学していてちょっと間延びしてしまいますね。

しかし、お堀は素晴らしい。深いですね。

大手門のところに少しだけ石垣が残っていましたが、あそこの枡形がしっかりと残っていれば見栄えするのになぁ~と…

もっと面白い見せ方はあると思うんですよね。

例えばVRで建物を再現するとか。

少し批判的な内容を書いたので、気分を害された方がいたら申し訳ありません。

ただ、ポテンシャルはもっとあるはずの城だと思いますよ!!



隣接する高遠町歴史資料館は面白かったですね。

特に大奥最大のスキャンダル“絵島・生島事件”の絵島の流された場所ということで、絵島囲屋敷が復元されていたのは面白かったです。

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