なまずえじょう

鯰江城

滋賀県東近江市


旧国名 : 近江

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①鯰江城址碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:鯰江城 (2024/10/06 訪問)

八日市駅で東近江市ちょことバスに乗り鯰江バス停に着きました。鯰江バス停のすぐ側に、城址碑説明板前(35.108779、136.241987)があります。

築城年代は定かではないが、六角氏の重臣である鯰江氏によって築かれたようです。
鯰江氏は三井乗定の養子となった六角高久が鯰江氏を名乗ったのが始まりで、戦国時代には観音寺城の佐々木六角氏に仕えていました。
1568年(永禄11年)に観音寺城の戦いで六角氏の居城である観音寺城が落城したため、城主の鯰江貞景は甲賀郡に逃げていた六角義賢・義治父子を迎え入れ、主家復興のため織田信長に抵抗しました。
貞景は鯰江城に空濠の増設・土塁の増強を含む改修を施し、百済寺の僧や一向宗と結び籠城したが、1573年(天正元年)9月、柴田勝家らの軍勢によって落城しました。
鯰江城落城後、鯰江氏は全国へ散り各大名に仕えたが、貞景の子・定春は豊臣秀吉に従い、大阪に鯰江の地名を残しているようです。

石碑、説明板の写真を撮って速攻で撤退しました。
鯰江町住宅案内図を見ましたが、鯰江さん結構いらっしゃいました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=高野城を目指す為、中小路バス停から近江鉄道湖国バスを利用して紅葉橋北バス停へ向かいました。
ちなみに鯰江城から中小路バス停までは徒歩で30分ちょっとかかります。

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鯰江貞景 (2022/08/27 訪問)

 織田信長に追われた六角義賢、義治父子が一時期反抗の拠点にしたこともある城です。土塁などが一部残っています。案内板は鯰江バス停前、鯰江自治会館、鯰江農業集落排水処理施設の3カ所にあります。

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やなぎぶそん

遺構はほとんどない (2021/12/11 訪問)

石碑があるくらいで、遺構はほぼ消失しています。

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じゅんじん

なまずのお城 (2006/07/16 訪問)

城址碑、説明板、土塁かな。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 鯰江氏
築城年 不明
主な城主 鯰江氏
遺構 石垣、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県東近江市鯰江町