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織田晃司

天守リニューアル (2022/07/02 訪問)

8/28まで本丸広場には立入禁止ですが天守工事の足場は完全撤去され北面の鉄板張りを拝見することはできます。

リニューアル天守に目が行きがちですが福山城の真の主役は伏見櫓といっても過言ではない。

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零汰

そこに城があるから行ってみた:5 日平城:熊本県玉名郡和水町 (2022/02/10 訪問)

熊本の南関・玉名方面を集中して訪問した際にグーグルマップで見付けて行ってきました。標高342.1mに主郭のある城跡です。
標高320m辺りまで舗装林道で行く事ができます。城内には案内板と縄張り図が有るのでスマホで撮った縄張り図通りに遺構を廻るだけのとても楽な訪問となりました。

主に二郭に遺構と案内板が集中しており、主郭は手付かずとなっていますが、定期的に手入れをされているように思われます。

所要時間45分:1.6km:累計高低差86m

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小荷駄

高島城跡 (2022/06/12 訪問)

天守東側の駐車場は一時間しか停めることが出来なかったです。諏訪湖湖畔の駐車場から歩いて散策しました。予想より人が多くて天守等早足にての散策でしたが久しぶりの家族とのお城巡りのため楽しかったです。コロナの終息を願います。

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小荷駄

佐日吉城跡生 (2022/07/01 訪問)

近江鉄道五箇荘駅から城跡東側の登城口まで徒歩40分程でした。そこから10分程で城跡に着きました。特に南側から西側にかけての石垣が見応えが有りました。道も整備されていて歩きやすく有難いです。整備管理されている皆様ありがとうございます。尚東側登城口周辺にはトイレと駐車場は見当たりませんでした。 暑くてこの後の和田山城跡は断念して宮荘川の紫陽花を見に行きましたが暑すぎてなのか終わりなのかわかりませんが枯れはじめていました。金堂の街並みを散策して帰りました。和田山城跡には改めて行きたいです。

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カズサン

元西櫓は二の丸の馬出か? (2022/05/23 訪問)

 西の丸外周、内部、見張台の探訪を終えて、南側の虎口から、元西櫓間の大堀切土橋を渡って元西櫓虎口から元西櫓に入る、曲輪内は狭いが土塁が囲ってる、東の二の丸深い掘割と西の大堀切に挟まれて曲輪、元が付いているので、西の丸、西櫓の曲輪が出来るまでは、ここが山中城の西先端の西櫓だったのでしょうか?
 東は堀の深い畝掘りで割られ木橋が架かり二の丸と繋がってる、二の丸の馬出の様であるが?良くは分からない。
 
 

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カズサン

西の丸内部と物見台探訪 (2022/05/23 訪問)

 西の丸に南側の登城路虎口から入ります、意外に広く西に高く傾斜し一段高く物見台が有り西櫓が直ぐ近く見渡せる、周囲は土塁が取り囲み、西先端の見張台も三方土塁で囲ってる、西櫓に在った後北条氏の角馬出の解説板に由ると、西の丸から木橋を掛けて西櫓に繋がり、西の丸が兵站拠点の役割をしていた、十分の広さは有る、虎口は登って来た南側と北側に土塁横矢が掛かった虎口が有る、ここからは帯曲輪を通って北の丸へ抜け、手前大堀切土橋を渡って元西櫓に繋がってる。
 西の丸には発掘調査の結果建物跡の痕跡が無いと山中城の建物解説板に載って居ました。
 

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カズサン

西の丸外周探訪 (2022/05/23 訪問)

 西櫓の外周、内部探訪を終えて、東隣の西の丸外周の畝掘り障子堀切岸を見学観察、南側の畝掘り、切岸が令和元年の台風19号被害で痛々しいブルーシートが覆われて居る、山中城西の丸の基本部分は問題ないが芝の植栽盛り土の流失と同案内板に記載されて居ましたが景観は宜しくない、復旧をお願いしたい。
 外周南、北は畝掘り、南の西櫓間は障子堀、切岸はツツジの植栽で緑豊かです4月末5月初めはツツジで綺麗な事でしょう、東側は大堀切で元西櫓間が割られてる。
 三の丸から登ってきて西の丸、西櫓へ続く南側の畝掘り景観は圧巻であり、11年振りの登城でも、最初に驚きであり山城探訪の興奮を味わう⁉
 
 

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イオ

新善光寺城(福井県越前市京町) (2022/06/05 訪問)

新善光寺城(城びと未登録)は、南北朝期に足利(斯波)高経が新善光寺跡に築いた城で、南朝方との抗争の拠点となりましたが、新田義貞に攻められて落城し、高経は小黒丸城に落ち延びました。その後、藤島の戦いで義貞が討死し、義貞の弟の脇屋義助を美濃に追いやって越前国を高経が平定。城跡には正覚寺が創建されて現在に至ります。

正覚寺の駐車場に車を駐めて登城開始。正覚寺北部(本堂裏手)の駐車場の奥には土塁が遺っており、土塁の向こう側は堀になっているようですが、時季的に藪に沈んでいて全くわかりませんでした。土塁の上には説明板が建てられています。また、西部の墓地にも土塁(の一部)が見られますが、そのつもりで見ないと気付かない程度です。南部の山門(府中城表門移築)の脇には新善光寺城の城阯碑があり、付近の正覚寺の寺標や説明板にも新善光寺城の記載が見られます。
 

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源二郎

現存ってイイ! (2022/07/04 訪問)

思っていたよりも天守までの高さがあって驚き!と同時に疲れた!!
着見台から下を覗くと実感わきます✨
天守では当時のままの木材と新しい木材の見分け方を係のお兄様に教わり、西の丸の三重櫓では竹生島を真正面に見られる狭間△を見つけて係のお姉様と盛り上がりました。ソロ🏯攻めでしたがとても楽しかった…✨
平日&雨だったせいか、空いていて待ち時間なく天守に入ることが出来ました。
特に櫓や西の丸、出曲輪などはほぼ人がいなかったのでゆっくり見学する事が出来ました。

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朝田 辰兵衛

越後府跡(新潟県阿賀野市) (2022/07/02 訪問)

1837(天保8)年,水原の大地主・市島徳次郎が別邸として「継志園」を築造したのが始まりです。北越戊辰戦争で会津軍の本営となり,その戦火で建物はほとんど焼失してしまいました。
1869(明治2)年,明治政府はここに「越後府」を設置。同年7月に水原県と改称。翌年3月に廃止。県政の中心となった時代は短いですが,会津へ抜ける若松街道沿いにあり,水原から新発田,豊栄,白根に抜ける道が放射状に整備され現在に至っています。

水原代官所から約1㎞。グダグダしていたのはここです。現在は公園として開放されており,市民の憩いの場となっています。春には桜が彩ります。2017年4月15日の画像が残っていたので,ラスト3枚追加しておきます。

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にのまる

②西門・角楼・城壁 (2022/06/07 訪問)

 学習広場の展望台からその威容が望めた西門は、近くで見るとさらに存在感と迫力がありました。堂々たる西門を眺めていると近世城郭の櫓門も遡ればここに辿り着くのではないかと思えてきます。西門と一体となって強固な防御力を発揮する角楼に立つと城の本質的な意義はどれだけ長い年月を経ても変わらないものだということを実感しました。
 全長2.8km、一部に高石垣を配しながら約30haの城内を囲む城壁の基本は高さ約6mの版築土塁で城壁の内外両側に敷石が施されています。西門から続く城壁の威圧感には只々圧倒されるばかりでした。版築土塁については書籍や写真で見たり築地塀からイメージしたりしていましたが、こんなにスゴイものだったとは。惚れ惚れするかっこよさです。
 いわゆる“なんちゃって感”や“テーマパーク感”が微塵も感じられないのは、現地史料に忠実に復元された賜物である故と思います。そして、様々な伝説をもち廃城後は山岳信仰の対象となった鬼城山へのリスペクトがあるからこそ文献史料のない謎の城がこんなにも素晴らしくよみがえったのだと感じました。長い眠りから醒めたのがほんの50年前。この城にこれから刻まれる歴史を見られたらいいなと思いました。

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赤い城

高台のマンションの傍らに (2022/06/19 訪問)

東千葉駅から徒歩で15分。
城跡にはマンションが建っています。
隣に建つ春日神社は少し雰囲気があり、一段高くなっています。
マンションと神社の間に空堀のような窪みがあり、麓に向かって落ちていました。
遺構のような気がします。
神社の裏手にも土塁のようなものがありますが何とも。
周辺は住宅地でもあり、遺構が残る方が奇跡?
でもそうであって欲しいと思うのは仕方ないですね。
千葉氏の馬加城の支城だそうです。

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小城小次郎

お城の北側は (2022/01/26 訪問)

天守の北側に降りて行ったのはこの時が初めてだったが南側より山が険しくて堅城の感を強くする。石垣も心なしか南側より古いようだ。城下にもお城の名残が強く残るのでいずれしっかり歩き回ってみたい。

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零汰

そこに城があるから行ってみた:4 高佐砦:宮崎県日南市 (2022/06/28 訪問)

標高202mに当時の烽火石組の残る主郭を持つ砦跡を訪問しました。100名城飫肥城の東側に位置する連絡用の砦だそうです。グーグルマップで見付け、毎度の事ながら予備知識無しで訪問です。

登山口を探す事は諦めて登り易そうな場所から200m直登しました。砦跡という事で山頂のみに遺構が有ると思い込んでいましたが、標高165m辺りで段状の曲輪が7.8か所有りました。登り易い場所を選んで進み辿り着いたので当時も同じようなルートを通り曲輪を利用していたのでしょう。

山頂には大きく2つの曲輪が有り、北側最高標高部に主郭、南側に細長い曲輪が有り、西側には土塁や竪堀が付いています。南側の曲輪に到着して付近を物色したところ、曲輪東はほとんど自然地形でした。西側の崖を横目に自然石の間を50m程北に進むと主郭に辿り着きます。そこは西の飫肥城に向けての烽火石組みが残っており眺望は抜群です。

主郭より北側に向けて登山道がありました。下山途中に東側に巾が広く浅い竪堀を2本見ることが出来ます。本来の登山道が訪問し易かったです。が、直登によって曲輪を見ることができ、想像が広がったので良かったと思っています。

所要時間1時間35分:2.2km:累計高低差249m

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カズサン

西櫓の内部探訪 (2022/05/23 訪問)

 西櫓の外周を探訪観察した後に南側の登城路より入ります、三方が土塁で守られ、西の丸方向が開放されて居り、後北条氏の角馬出解説板に由ると、西櫓と西の丸間には木橋が架けれられて戦時角馬出の機能を西櫓に持てせていたようです、又内部には掘立柱建物が発掘調査で判明し地表表示と解説板が設置されて居ます。
 北側の西の丸側に櫓台が有り下に通路?スロープで北側畝掘りを越えて架橋を設けて、南側登城路と二方向の馬出虎口を設けていたようです、この狭さの機能では大軍豊臣方には効果が無かったようです。
 富士山が見えたら最高の眺望場所です。今回は残念でした。
 

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カズサン

西櫓の外回り探訪 (2022/05/23 訪問)

 11年振りの山中城登城、沢山写真を撮りましたので各曲輪各所に分けて投稿させて頂きます。
 先ずは西櫓に三の丸堀を抜け、畝掘り障子堀横を通り抜けて進行、生憎期待の富士山は雲に隠れて観ず、一番の楽しみでも有りますのに残念です。
 西櫓の周囲畝掘り障子堀を堪能する、西櫓の角馬出機能である馬出路に架かる架橋の解説板が、発掘調査で判明したと想像図も入れて解説されて居ました。
 狭い尾根筋に畝掘り障子堀と機能豊に構築しましたが大軍の豊臣方には効果も余り無かったようですが、城好き堀好きにはたまりません、良く整備保存して頂き感謝しかありません。
 

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イオ

一国一城令の特例 (2022/06/05 訪問)

府中の名のとおり越前国の国府や守護所が置かれた地で、戦国期には朝倉氏の奉行所が設けられていましたが、織田信長による越前平定後は、府中三人衆のひとりの前田利家が二重の堀に囲まれた本格的な城に大改修して居城としました。利家が能登国に移った後は何度も城主が入れ替わりましたが、結城秀康が越前国入りすると付家老の本多富正が城代となり、一国一城令の特例として明治まで続きました。

越前市役所の駐車場に車を駐めて登城開始。地表面には遺構は見られませんが、市役所本庁舎建設に伴う発掘調査で江戸初期の石垣が発見されており、発掘された石を用いて市役所南東部に石垣が復元されています。復元石垣の脇には石垣出土状況の説明板があり、出土状況の写真を見ると往時の雰囲気がよく伝わるように復元されているなぁ、と嬉しくなりました。また、復元石垣の北部には城址碑と本多富正公顕彰碑も建てられて(移設されて)います。

市役所から西に徒歩8分の正覚寺には府中城の表門が移築されています。越前国の城門らしく福井城や丸岡城と同じく笏谷石による石瓦が用いられており、なかなか立派な門でした。また、正覚寺から西に徒歩6分の龍泉寺は本多氏の菩提寺で、明治に府中城が廃城になった際に勘定奉行所の表門が移築されています。
 

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todo94

県内の城めぐり2022㉝ (2022/05/28 訪問)

この日最大のターゲットは高梨氏館。長野県内の城で旭山城と並んで数年来、ずっと行きたいと思っていた城にやっと行くことが出来ました。空堀と土塁がきれいに巡っていて期待通りの佇まいでした。土塁の中に築地塀が埋もれているというのは非常に稀なケースとのことです。

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モト

見事な堀切に感動です (2022/05/24 訪問)

高床山のキャンプ場からおよそ10分くらいでのろし場に到着。
そこから10分で本丸や二の丸へ到着できます。
堀切など魅力的な遺構に出会えます。
特に本丸付近の大堀切と大堀切に囲まれた堀切り達が見応えあります。
階段が設置してあって堀切に降りて登ってを繰り返して進みますが深い堀切りに大満足でした。

意外というのは失礼ですが期待以上の素晴らしい遺構が見れましたよ。
ぜひ行ってみてください。

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零汰

そこに城があるから行ってみた:3 湖雲ケ城 :宮崎県日南市 (2022/06/28 訪問)

思い付きで宮崎の日南方面に城跡訪問に行きました。結果的に城びと登録の4城とグループマップで見つけた2城とトレース1城の計7城です。今回も全て場所と登城口のおおよその特定のみで初見を楽しむ一発勝負の訪問です。ここは良く遺構の残っていた城跡です。帰宅後、宮崎県調査報告書で確認した所縄張り図の記載は無し、説明文も2行しかない無名の城跡です。ですので初見で現地を見た結果の想定の投稿になります。

湖雲ケ城は標高197.3mに山頂が主郭という事で向かいました。山全体には果樹園となっており舗装してある林道が有ったのでそこを行けるところまで登って行きました。標高125m辺りで道に不安を感じたのでそこからは徒歩で向かいました。済んでの所地元の方々は軽トラックで城域近くまで行っているようでしたが。

東側に進み、道路が砂利に変わった辺りから城域が始まり、北面に小山が見え始めたらすぐに空堀断面が目に入ります。そこは4曲輪だと思っています。空堀が林道を除く外周全てに回っていました。元々は全周に空堀があった物が林道によって南側の空堀は改変されたのでしょう。そこから北面の曲輪群を見ながら進むと大きな空堀と切岸が見えてきました、そこが主郭です。主郭の南側は崖になっており空堀は主郭を取り囲むように施され竪堀となって崖に向かっていました。

主郭に西側、東側には空堀りを隔てて主郭より低い高さに広い曲輪が2つあります。そこが2.3曲輪だと考えました。大きな曲輪以外にも幾つかの小曲輪や石積もあり、無名ながらも遺構のある楽しめた城跡でした。

所要時間45分:1.8km:累計高低差153m





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