五日間で九州13城巡りしてきました。
初日は、福岡城址、大野城址、佐賀城址。二日目は、吉野ヶ里遺跡、名護屋城址、平戸城。三日目は島原城、熊本城、人吉城址。
四日目、鹿児島城址、飫肥城址。五日目、岡城址、府内城址。
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2022/11/21 15:22
2022/11/21 14:12
長谷川秀一改修の槙山城 (2022/11/03 訪問)
賤ヶ岳合戦後秀吉家臣長谷川秀一が朝倉氏、柴田氏の城郭を大改修した槙山城、車で登れるとの情報で今回の越前未踏の城廻りに入れました。
福井ICを降りて一乗谷城方向に進んで行くと東前方に山城らし山容が目に入り目的の東郷槙山城でした、情報と案内はいつもの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
古城盛衰記さんの案内に有る様に県道32号線沿いの白山神社と赤坂公民館の間にある林道から入ります、入ると直ぐに害獣除けゲートが有り開閉して出入り、林道は舗装されて走行しやすい約600m程登って二の丸駐車場に到着、トイレ有り、駐車場脇に案内解説板と城名石碑が並んで立って居る。
二の丸北に小高い丘、天守閣跡と表記されて居る、天守台跡は若干広い平地、長谷川秀一公碑と忠魂碑が建って居る、縄張図、俯瞰図に北東方面に古城跡曲輪群の記載が有るが目視では良く分からない、降りて二の丸駐車場約10台は可能かな? 天守閣台を東に回って残存石垣が在るとの情報で確認するが草木に隠れて若干目視できる。
二の丸南の千畳敷へ、登城路には害獣除けの電線が走って居り跨いで入る、広い千畳敷には歌碑、句碑、遊戯器具設置、南に高い土塁が千畳敷幅いっぱいに伸びている、高土塁の南には堀切、樹木に覆われた曲輪が在り更に南に深く広い堀切が構えてる、グーグルマップを見ると一乗谷城方面の山容に繋がってる。
下城してゲートを開閉し周辺見ると熊注意の恐ろしいマーク、登る前に気が付かなかったので一人のんびり30分見学しましたが、冷や冷や物でした。
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2022/11/21 11:05
敦賀運河(疋田舟川)跡 (2022/11/03 訪問)
疋壇城跡に登城前には愛発舟川の里展示室を見て、登城後元西愛発小学校跡地の南側階段を降りると敦賀運河に繋がる水路に出ます、疋田街道筋に水路が流れ、桜の並木は紅葉で彩って居ました。
幕末頃、敦賀湊と琵琶湖を繋ぐ敦賀運河は一時期あったそうです、敦賀湊と琵琶湖・京都大阪の流通を担って居り、平安の清盛の時代から敦賀運河の構想は有ったそうで、時代時代に構想企画が上がっては消えの繰り返しの様でした。(案内看板の内容を私なりに抜粋)
投稿写真は最初は展示室とし、後は上流側の疋壇城跡、元西愛発小学校跡から降りる南階段、上流部の水量調整溜りから順に下流に側へ、水路と街並み桜紅葉を愛でて散策順です。
疋田の町並み水路、敦賀運河跡の史跡の方が疋壇城跡より有名の様で疋壇城跡探訪中は私一人、運河街並みの見学者がほとんど、帰り頃は展示室横の駐車場は満車でした。敦賀運河舟川の勉強をさせて頂きました。
疋壇城を終えて降りた敦賀ICに戻り北陸道へ次の東郷槙山城を目指す。
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2022/11/21 08:52
安( ・᷄ㅂ・᷅ )土 (2017/05/25 訪問)
天守閣ではなく、天主閣
天主閣があれば、凄かったんだろうなぁ
滋賀県作らんかなぁ
安土は時間なくて、登れず( ・᷄ㅂ・᷅ )、要リベンジ
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2022/11/21 06:27
三原市内 (2022/11/03 訪問)
三原城から北上した山間地に所在します。城を示す表示を見つけることは出来ませんでしたが、恐らく此処で間違いないのかなと思います。
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2022/11/21 00:55
三浦半島6城めぐりの最後 (2022/10/29 訪問)
「住吉神社」「正覚寺」「住吉城址」「住吉城解説板」の4カ所のポイントに混乱、どこを目指しているのかもわからなくなって通らなくてもいいトンネルに入ってしまったりかなり迷いました。(「住吉城址」には入れません。)
何とか解説板と正覚寺にたどり着き、ようやく目的達成、6城目ゴールインしたのはほぼ日没時間。そのため住吉神社までは行けませんでしたが、夕暮れ時の海岸沿いを彷徨い歩くのは何とも気持ちよかったです。
鎌倉駅に戻るとかなりの人でごった返していて、行楽シーズンの休日に観光地に来ていたことに気づき……旅行のお土産っぽく鎌倉殿の瓦せんべいを買ってみました。
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2022/11/21 00:53
2022/11/21 00:49
庚申塔 (2022/10/29 訪問)
佐原城から芦名城(館跡)とされる大楠小学校まではバス2本乗り継ぎでしたが、路線バスだけで三浦半島を横断できるのはありがたいです。
小学校手前左側の階段を下りたところにある庚申塔、“かつては小丘上にあったが明治末に現在地に”とあります。その丘が坂の上の芦名荘(東側の岩山=詰城)だったところでしょうか。
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2022/11/21 00:48
歴史を伝える石碑にじわっとくる (2022/10/29 訪問)
久里浜駅より歩きましたが、京急線だと北久里浜駅の方が若干近いです。
目指すは畑の中にあるという石碑。Googleマップで道路の行き止まりのところと確認しました。坂の途中のマンションの少し下に最初(写真①)の案内があり、そこから坂道を登りきったところに2つ目(写真②)の案内。そのすぐそばに『佐原十郎義連城跡』の碑と説明板がありました。鎌倉時代初期を駆け抜けたお城のようでした。
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2022/11/21 00:45
権現山公園と合わせて。 (2022/10/29 訪問)
青ケ台城より徒歩で向かいました。
現地の撮影は遠慮しました。
以下、バーターです。
最寄りの金沢八景駅に隣接する「権現山公園」は江戸時代は円通寺の境内だったところで、今年の4月に開園したばかりの新しい公園です。まず目に飛び込んでくるのは歩道橋下の石垣。コンクリートの壁に化粧の施された古い石垣が貼りつけてありますが、公園整備の際にはさらに古い(1707年以前)石垣が見つかったそうです。円通寺客殿奥の階段を上がったところにかつて東照宮があり、さらに登ると見晴らしのいいベンチスペースがありました。
茅葺き屋根の客殿は見学可能。三つ葉葵が目を惹きます。この客殿の中に中世から現代までの金沢の移り変わりのパネル展示があり、なかでも中世や近世は大変興味深い内容でした。
ここから鎌倉へとつながる六浦道は切通しめぐりをした際に朝比奈切通しまで歩いた道でした。
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2022/11/20 23:58
平田篤胤生誕&終焉の地 (2022/10/17 訪問)
殿様でもないイチ思想家が生まれた城下で生涯を終えるのも珍しい。墓も市内の秋田大学の裏手の山中にあるが、遺言により墓は師である本居宣長の伊勢松坂の方向に向けられているといわれている。
その他、生誕地の近くには藩校(明徳館 )跡がある。尚、隣接地には秋田県立秋田明徳館という名の高等学校の立派な校舎があるが、藩校の流れを直接汲むわけではないようである。
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2022/11/20 23:35
見所は高石垣と城代屋敷跡 (2022/10/30 訪問)
安濃津藩の支城である伊賀上野城
城代屋敷跡の隅には筒井時代の天守跡碑があります。
高石垣以外には城代屋敷跡の石垣や空堀、城下の藩校等が残っています。
1.模擬天守
2.本丸西面の石垣
3.本丸南西面の石垣
4,本丸南東面の石垣
5.城代屋敷跡北西面の石垣
6.城代屋敷跡西面の石垣
7.城代屋敷の表門跡
8.移築永倉
9.藩校崇広堂の長屋門
10.城址遠景(芭蕉の森から)
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2022/11/20 23:29
近隣に「ドキュメント72時間」で有名な「うどん自販機」 (2022/10/17 訪問)
久保田城に移る際に佐竹氏が破却した城だが、現在は神社と公園となっており案内板があるのみで遺構はなく、親子が遊んだり喫煙者が居たりと近所の人々の憩いの場になっている。
ちなみに、近隣には「ドキュメント72時間」で有名となった「うどん自販機」があったが、その後撤去されスグ隣の秋田市ポートタワー「セリオン」に移転し営業中。TV効果で大変有名になったせいか様々なグッズも販売されており、土崎の町おこしに一役買っている。
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2022/11/20 22:32
土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころ (2022/10/17 訪問)
観光的には中土橋通りから登城するのだろうが、大手門跡から旧三の丸を抜けて黒門跡経由で二の丸に入るのが本来のルートと言える。全体的には公園として整備されてしまっているものの遺構はそれなりに残っており、土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころが点在するが、特に帯曲輪門跡に見応えがある。ちなみに、二の丸には秋田犬との触れ合いコーナーがあり楽しめる。
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2022/11/20 21:09
2022/11/20 19:13
はちはく(サザンスカイタワー八王子 3F) (2022/11/20 訪問)
本日は天気予報が雨だったので、降りだす前に軽く八王子城の御殿を見てきました。
八王子城のガイダンス施設に立ち寄った際に、特に集めている訳ではありませんが八王子城の御城印の情報(ここでの配布・販売は無し)があり、八王子駅南口にある桑都日本遺産センター 八王子博物館にて対応しているとの事だったので、雨も降ってきたし屋根付きの施設と言う事で行ってきました。
現地はサザンスカイタワーの3Fの結構な広さの区画で、入場無料な上に撮影OKという大盤振る舞いです。
ここでは八王子城と滝山城の御城印が販売されておりますが、購入の際には必ずその2城を見学済であるエビデンスの提示(写真や100名城スタンプ等)が必要になるのでご注意を。
現在八王子城ガイダンス施設とはちはくの2ヶ所の課題をクリアすると先着で北条氏照の御朱印が頂けるそうなので、お時間あれば行ってみてはいかがでしょうか?(~12/11迄)
珍しくお城以外の情報記事書いてみました。。。
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2022/11/20 17:46
石垣を必要としなかったのだろう (2022/05/03 訪問)
古図では本丸に「山城」と記されている通り、現地に行くと確かに山の上だと実感できる。石垣がないのでワンランク低く見られがちだが土の城の粋を集めたこのお城には城壁としての石垣が必要なかったのだと思う。
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2022/11/20 17:40
二の丸にハマった広島城訪問 (2005/11/27 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第22弾は、広島県広島市の広島城。
広島湾に流れ出る太田川を水堀とした、その河口部の三角州に築かれた近代城郭。
築城時は現在と違い海が近く、厳島神社や瀬戸内航路に繋がる地。
陸路は京都と福岡を結ぶ山陽道が通り、北へは出雲や石見銀山に通じるエリア。
1589年に毛利輝元が築城を開始し、吉田郡山城から本拠を移転。
関ヶ原の後は福島正則が引き継ぎ、一説ではこの時の拡張整備で山陽道(西国街道)を城内に引き入れた模様。
その後は明治まで浅野氏12代が城主を務めました。
現在、三の丸から外側の城郭は失われたものの、内堀内の本丸と二の丸は天守と櫓が復元され広島城跡公園に。
広い本丸は元々北の上段が御殿、南が馬場だったようで、下見板張りのシブい天守は南小天守と東小天守を持った連立式だったとのこと。
実際に訪問すると、本丸は大本営時代の名残が濃く、城の雰囲気は薄い印象。
一方で小島のような馬出構造の二の丸が、武士の時代の城らしさを感じさせてくれた広島城でした。
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2022/11/20 17:30
山名城から尾根歩きで (2022/11/17 訪問)
山名城址の入口から尾根に付けられた遊歩道を西へ向かう。遊歩道は石碑埜路(いしぶみのみち)と名付けられ、至る所に万葉集の歌碑が建てられている。金井沢碑の分岐からやや下り、下がりきった所からが主要な跡になる。
説明板に根小屋城は永禄11年(1568)、或いは13年に、武田信玄が山名・鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡の望月甚八郎・伴野庄の伴野助十郎を入れ守らせた。鷹の巣とは寺尾にある茶臼山城址のことで、北条氏康・上杉謙信に対する狼煙台として築かれた・・・等々が書かれている。
下りきった鞍部には右回り、左回りの道がある。ここにも万葉集の歌碑があり、その裏は堀跡らしく思える。右回り・左回り共に堀切の底を歩くようだ。右周りに行くと堀切の先に追手の標識があるが、どの辺りから上がってくる道があるのか。左には本丸に続く入口。先の右手には自然地形なのか竪堀のように切れ込んでいる。上は郭があるが、笹・木々が多く先に進むのを諦めた。本丸の虎口は右に直角に折れ枡形を形成している。本丸内からは一部で高崎市街が眺められる程度。枡形虎口の反対に坂虎口跡があり、下るにしても急斜面過ぎる上に枯れ葉が多く立木に捕まらなければならない。どなたかの意見で本当に虎口だったか疑問とあった。西に回り込むと堀切がある。堀の左は狭い郭のようだが、下草・木が多く分からない。東の鞍部に向かうが横堀の底らしい。
予備知識なく、井戸跡・土橋跡などまだ観るべき場所があったのが後日分かった。山名城説明板同様、簡単な縄張図でも載っていればもう少し堪能できたか。
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2022/11/20 16:13
西播磨の山城「落ちない城:白旗城」 (2022/11/19 訪問)
「西播磨山城11」の投稿です。
まずは登城口に「落ちない城 白旗城」とタイトルのある説明板が目を引きます。
「落ちない城」であるから受験生向けに上郡町の何か所かで白旗城の絵馬が販売されており、
ふもとと山頂の絵馬掛所で願掛けするのだそうです。
獣除けの柵の中に入りほどなく進むとふもとの絵馬掛所があり、それを過ぎると登りとなります。
尾根までは踏みしめる足元の石や山肌に散らばる石、立っている大岩も青く、また周りの杉の木も
幹が青く、幻想的な青い森の中を進んで行きます。不思議な場所に居るような感覚に包まれました。
その途中には石垣や木に止められた大岩などがあり、ここで既に見どころ満載。
石垣は斜面に長く伸びており、登り石垣のような造りとなっているように見えます。
尾根に上がると様子は一変して、山城の領域と入って行く。
堀切があり、櫛橋丸跡や二の丸、本丸と山城の遺構を満喫しながら歩いていると広い三の丸に到着。
青い森の上にこんな広大な曲輪があり、またその先まで進むと、また堀切や竪堀も残っており、
最後まで飽きさせません。
山頂の広大な山城跡を十分に楽しんだ後、登ってきた幻想的な青い森、途中にあった石垣や大岩を
山下りの目線で見て下りると二重の楽しみを味わえる印象的な山城です。
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