しょうじょう

庄城

富山県砺波市

別名 : 庄ノ城、庄の城、壇城、段の城
旧国名 : 越中

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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:庄城 (2022/07/30 訪問)

千代ヶ様城からの転戦です。弁天温泉前空スペース(36.589341、136.994385)に駐車しました。

正平年間(南朝暦1346~70年)南朝方で足利一門の有力者の越中国守護・桃井直常が壇城を築いて拠り、砺波郡一帯に越中国一乗寺城、井口城、野尻城、加賀国松根城などの支城を築き支配しました。 
応安元年(北朝暦1368年)対桃井強硬派の斯波義将が越中国守護に任じられ、能登国守護吉見氏頼らと共に桃井氏討伐を開始しました。翌年、義将の配下二宮円阿によって攻められ落城しました。
1510年(永正7年)越後国守護代長尾為景が長森原の戦いの後に一時期居住したようです。 
天文年間(1532~55年)越中国木舟城主・石黒成綱の弟、石黒与三右衛門が拠ったようです。
1576年(天正4年)上杉謙信によって攻められ落城、与三右衝門は庄ノ城を退去しました。
1581年(天正9年)7月、織田信長に近江国長浜へ呼び出された成綱や与三右衝門ら一族三十人が丹羽長秀配下の兵により謀殺されているそうです。
一説によると神保氏が拠っていた折、佐々成政に攻められ落城したとも云われているが確証はなく、廃城年代は不明のようです。

弁天温泉の東の一段高い畑となっているところが、館跡のようで説明板があります。
犬が吠えて見学できず早々に撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安川城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 桃井直常
築城年 正平年間(1346〜1370)以前
主な改修者 石黒氏(壇石黒氏)?
主な城主 桃井氏、石黒氏、神保氏?
廃城年 天正4年(1576)以降
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡(壇城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 富山県砺波市庄川町庄
問い合わせ先 砺波市文化芸術係
問い合わせ先電話番号 0763-82-1918