じょうはなじょう

城端城

富山県南砺市

別名 : 城ヶ鼻城、荒木館、荒木城
旧国名 : 越中

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善徳寺鐘楼
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朝田 辰兵衛

驚きが2つも\(◎o◎)/!! (2023/10/08 訪問)

安居城の攻城後,せっかくなので終着のJR城端駅までやって来ました。油断していたら2つの驚きに遭遇。
まずは,推定地中心部といえる「城端別院 善徳寺」の散策中。鐘楼の石垣に「ナント!」と叫びました。加賀との国境近くとはいえ,ここは越中。金沢城と見間違う石垣に『どーゆー経緯で…』と目を疑いました。
もうひとつは城下。天然の堀となっている山田川の先にあるスーパーのネーミングです。その名も「A·COOP なんと セ●レ」です。「どこ出かけるの?」「セ●レに」という家族間会話が日常的に交わされているかと思うと,「ナント,おそるべし!」と言わざるを得ませんでした…。

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しんしんちゃん

西の切岸はかなり険しい。 (2021/11/18 訪問)

城端城は城端別院善徳寺が建っている場所に築かれて
いたとされ、善徳寺は戦国期に瑞泉寺、勝興寺と並んで、
加賀一向一揆の中心となりました。
現在の善徳寺は左を山田川、右を池川に挟まれた△形の
台地上に築かれています。寺の西側はかなりけわだった切岸に
なっていて、かつての城塞としての防御力は健在です。
永禄2年(1559)か元亀3年(1572)にかつての城主、荒木大膳が
善徳寺に城の敷地、城門を寄進したと有ります。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:城端城 (2022/07/30 訪問)

福光城からの転戦です。公営駐車場(36.515722、136.902667)に駐車し、善徳寺山門(36.515554、136.901807)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、この辺りを治めていた土豪の荒木善太夫(大膳とも)によって築かれたと云われています。
荒木大膳は1572年(元亀3年)に城地を善徳寺に寄進して廃城となったと云われています。
善徳寺は瑞泉寺や勝興寺と共に越中一向一揆の中心として活躍した寺であり、大膳は一向一揆勢力に属していたと思われます。

唯一の遺構と伝えられていた移築大手門(36.620305、136.940774)が万福寺にあるようですが、時間の都合でパスしました。建立は1688年(貞享5年)のようです。
また、善徳寺の太鼓堂は城端城の遺構とする言い伝えが在るようです。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=井口城に向かいます。

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カズサン

城端別院善徳寺 (2020/09/21 訪問)

 東海北陸道城端SAで車中泊仮眠してましたので朝6時過ぎ、金沢城鼠多門探訪前に、福光ICを降り城郭放浪記さんのGoogleMap案内ガイドを頼りに善徳寺西の公共駐車場に車を停める。(大型バス、乗用車駐車可能、トイレ完備の大型駐車場)
 駐車場からは段丘崖が聳え城域、城壁の景観が眼前に迫ります、城域は山田川、池川が濠と三方挟まれた堅城ぶり、寺院の案内板に城端城記述として荒木大膳が城端城を譲り善徳寺を招致したとある。特に城端城としての案内板は有りません。現在は城端別院善徳寺に成ってます。
 富山県は一向宗の勢力が強く伏木の勝興寺、井波の瑞泉寺、ここ善徳寺が一向一揆の中心勢力として活躍した。
 朝のお勤め時間お経が聞こえる中での探訪参拝でした。
 門前町、絹の町として整備が行き届き観光地にも成って居り静かで趣のあるエリアです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 荒木氏
築城年 戦国時代
主な城主 荒木大膳、斎藤九右衛門、河内才右衛門(佐々氏家臣)
廃城年 天正13年(1585)以降?
遺構 移築大手門(万福寺)?、移築太鼓堂(善徳寺)?
指定文化財 県文化財(大手門)
住所 富山県南砺市城端(推定地)