城端城から,徒歩約60分。周辺の集落は独特の空気感を漂わせています。生活するにはかなり不便なところという印象。道路標識に目を向けたら,東の方向には「白川郷」や「五箇山」の標識。西の方向には「金沢」の標識。その通過点といえば,自然と越中の香りからは遠ざかる気がします。
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2023/11/17 21:05
2023/09/10 13:17
出てこなかった小判千両 (2021/11/18 訪問)
上見城は北側の主郭と南側の副郭の二郭が確認でき、二郭の周辺には土塁が残り、
東側の虎口から侵入し、北側の虎口から主郭に向かいます。主郭の西側あたりにも
土塁が残っているようです。上見城には天正年間(1573~1591)に篠原太左衛門が
居城したとされています。「越中古城記」によると城域は東西17間、南北40間と
有ります。換算すると東西31m、南北73mとなります。城郭大系には落城らしき
記述があり井戸に小判千両を入れた箱を沈めた言い伝えがありますが、調査では
錆びた薬研と刃物しか出てこなかったようです。今では石で塞がれていますが
調査員(?)のちょっと残念そうな顔が浮かんできますね。
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2022/08/27 07:23
2022夏の青春18キップ11日目:上見城 (2022/07/30 訪問)
寺家新屋敷館からの転戦です。未舗装入口(36.499594、136.883270)先の登城口付近に駐車しました。
上見城北側道路沿いに「上見城跡」説明板があり未舗装の道路が登り口付近まで続いています。
築城年代は定かではないようですが、天正年間(1573年〜1592年)の城主は笹村太左衛門(太郎左衛門とも)であったと伝えられています。
南北二郭で、南の曲輪は四方に土塁が巡り、東と北に虎口があります。
北の曲輪は南北に長く南端に井戸があり、東西の端には南の曲輪の土塁から延長された土塁が続いています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福光城に向かいます。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 渡辺照? |
築城年 | 南北朝時代? |
主な城主 | 渡辺氏、篠村氏 |
廃城年 | 天正年間(1573〜1592)以降 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、虎口、井戸 |
指定文化財 | 市史跡(上見城跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 富山県南砺市上見字瀬戸山 |
問い合わせ先 | 南砺市ブランド戦略部文化・世界遺産課文化振興係 |
問い合わせ先電話番号 | 0763-23-2014 |