三の丸土塁の一部とその上に植えられた「姥杉」が市役所に残る。黒門(冠木門)は一旦他所に移築されたものを戻したようであるが、当時の正確な場所は不明なようである。
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2022/11/23 12:01
三の丸土塁の一部とその上に植えられた「姥杉」が市役所に残る (2022/10/18 訪問)
三の丸土塁の一部とその上に植えられた「姥杉」が市役所に残る。黒門(冠木門)は一旦他所に移築されたものを戻したようであるが、当時の正確な場所は不明なようである。
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2022/11/23 11:56
リニューアル工事進行中 (2022/11/22 訪問)
大河ドラマ「どうする家康」に合わせて浜松城天守閣リニューアル工事中です、昨日登城した折り工事関係者の方に尋ねましたら、天守閣の塗りは終わったようで明日以降覆ってるシート、仮設足場の撤去が始まる様な答え、12月20日工事完了が待たれます。
また日本庭園のもみじの紅葉は同かなと訪れましたがまだまだ緑のまま、しかし日本庭園の水が抜かれて清掃整備中、初めて水が抜かれた日本庭園の池を見ました、底はコンクリートが打たれて居たのですね、初めて見ました、リニューアル工事に合わしたのか、池の桟橋と木橋が傷んだ所を修復、木部追加工作されて居ました、池の整備工事は終わり、明日以降に水を入れるとの事、ラッキーな体験でした。
大河ドラマ館は建物関係は完成の様で工事足場は無く成って居ました、またドラマ館前庭の三つ葉葵の芝庭も完成の様、天守曲輪南東端より眺めてみました、紅葉のケヤキ並木は景観の為か本丸下、二の丸登城路辺り低く剪定されて居ました、また周辺の道の本丸東下、北下、大河ドラマ館との連絡散策路と成る辺りはドラマ館オープンまでに修復整備されるようです。
どうする家康浜松大河ドラマ館のプレオープンは令和5年1月22日(日)、グランドオープンは令和5年3月18日(土)です、前売り入場券も購入済みです、後はネットで入場日を予約入れるだけ。
既に「どうする家康浜松大河ドラマ館」のサイトはオープンして居ます。
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2022/11/23 10:54
短い1本の通りから3人の偉人が生まれる (2022/10/18 訪問)
城跡は市役所にわずかに遺構が残るのみだが見どころは城下。吉小路通り200mの距離に高野長英、後藤新平、斎藤実の生誕地がある。この短い1本の通りから3人の偉人が生まれたというのはある意味奇跡的であるとも言える。高野長英は碑と案内版のみだが、少し離れたところに幼少期に過ごしたとされる母の実家が残っている。後藤新平は生家が残っており、斎藤実は生誕の地に建て直した旧居(斎藤本人は数日間過ごしたのみだが、その後夫人が居住)が残っている。斎藤実記念館には226事件の遺品が展示されており、事件の壮絶さを物語っている。斎藤夫人の「撃つなら私を撃ちなさい」と兵隊の前に立ちはだかって斎藤実をかばった(で、実際に3発撃たれている)というのは有名な話。
ちなみに水沢江刺駅からタクシーで行ったのだが、運転手は大瀧詠一と小沢一郎の話ばかりしていた。これで水沢江刺駅の発車メロディが「君は天然色」であった謎が解ける。岩手は総理輩出県ではあるが、小沢一郎はなり損ねたと言えるのかもしれない。帰りは水沢駅を利用したが、通勤通学時間帯でも1時間以上電車がなく、市役所の最寄り駅でもこんなものなのかと地方の交通事情の悪さを痛感した。
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2022/11/23 10:39
おもてなしの心 北畠具親城 (2022/11/05 訪問)
織田氏に滅ぼされた、北畠再興を目指した具親。ここは、伊賀の中でも山深く、旧臣も密かに参じ易かったであろうと解説されています。厚い土塁で守られた単郭城が多い伊賀において、山全体を利用した大きな連郭式の城郭です。
県道沿いに目立つ看板があり、登城口、城域に手書きの表示があります。「ようこそ、いらっしゃいませ。城主」がよいですなあ。
さて、この度、ちょっとマニアックで賞:城と標柱、看板部門で一位に選んでいただき、ありがとうございます。この投稿を借りて、皆様にお礼申し上げます。
面白いものやとんちが効いたものが多いなかで、癖がなかったのがかえって評価されたのかも。一方、優等生っぽくて、ちと、気恥ずかしい感も。赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」が好きで、城とトマソンの共演写真が撮れたら最高です。
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2022/11/23 09:51
2022/11/23 09:18
木造復元できそう (2022/10/30 訪問)
大垣駅の目抜き通りから案内板を目安に振り向いたら、いきなり城門と天守に会えます。
あまり登城した感じがないですが、裏の公園側から眺めればなかなかの景色です。
外観復元のRC造天守の内部は関ヶ原の合戦の解説が詳しく書かれています。
元々の天守は空襲で失われてしまいましたが、古写真が多く残っています。外観だけでなく内部の写真もあり、また柱の位置など設計図もありそうなので、木造復元も不可能ではない印象を受けました。財政面がネックですかね。
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2022/11/23 09:07
本丸曲輪 (2022/10/22 訪問)
(続き)
御殿場跡から大手道を進むこと10数分で大手曲輪に着きました。大手曲輪といっても腰曲輪程度の小さな曲輪で、岩が転がっているくらいですが、見上げると二の曲輪西辺の石垣があり、城域に入ったことを感じます。大手道から二の曲輪に入ると、奥に進んで先ほど見上げた西辺の石垣へ。写真を撮ろうと斜面を少し降りてみましたが、なかなかの急斜面の上に石垣とくれば攻め上るのは困難だったでしょうね。
そして山頂部の本丸曲輪に到着。本丸曲輪には安土城天守の試作とも云われる不等辺多角形の天守台が綺麗に遺っていますが、後世に積み直しされているようです。池田恒興による改修が岩村城の落城により途中で打ち切られたためか、天守台の周囲には矢穴のある石材が散乱しています。本丸曲輪の周囲には帯曲輪や腰曲輪が配され、割られた石材だけでなく自然石もごろごろとしており、あちこちに石垣が見られました。
本丸曲輪から南に搦手道が続いているようなので、急斜面をストックと灌木を頼りに降りていくと、鞍部には堀切がありました。堀切から搦手道という名の獣道を灌木をかき分けながら進み、藪にしか見えない小曲輪を経て、踊り場に到達。踊り場も自然地形のままの平場でしかありませんが、それでもしっかり「搦手道」「小曲輪」「踊り場」と表示が立てられているのはすごいなぁ、と。…というか、搦手道側は堀切以外は表示がないとわからないんじゃないかと思います。
山城サミット可児大会でリーフレットをもらって以来の念願をようやく果たすことができましたが、山麓部の御殿場跡といい山頂部の本丸曲輪といい、よく整備されていて期待に違わぬ見応えのある城でした。そして、あまり人が訪れなさそうな東砦や搦手道にも案内表示が立てられていることに驚かされました。本当に大切にされているんですね。
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2022/11/23 07:00
2022/11/23 00:27
8回目の登城になります。 (2022/11/04 訪問)
3年前の台風で破損した本丸の一段下、中の丸の八王子神社の覆殿の修復が完了し、見違えるように立派になっていました。ひとまわり大きくなっていましたが、正面は旧材も使用され、かつての面影も感じられます。
松木曲輪でお弁当タイムのあと下山し、御主殿跡をひとまわりしました。
この日は知人と一緒だったのでガイダンス施設にも寄りました。すると「桑都ツアーズ 八王子城主からの指令 秋の陣」がちょうど始まったところだったので、早速「天の書」の指令に挑戦。八王子博物館(はちはく)の「地の書」の指令と合わせてキーワードを導き出すという問題だったので、はちはくにも行き、はちはく単独問題の「人の書」の指令も解いてご褒美2ついただいてきました。
八王子博物館はJR八王子駅南口直結のビルの一角ですが、御主殿発掘調査の展示もあり(企画展)、その充実ぶりに感動しました。行きやすいのが何よりです。
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2022/11/22 23:59
2022/11/22 23:09
浜御殿 東京都中央区 (2022/11/06 訪問)
浜離宮恩賜庭園です。
新橋駅からは徒歩で12分で大手門口に着きます。
まずは堀に沿って石垣を眺めながら歩きます。
元々は江戸城の出城なので城にしか見えません。
大手口に戻り入場料300円を払い入園ですがこの大手口もらって桝形。
やはり城にしか見えません。
中に入ると内堀があります~
やっぱり城です。
将軍お上がり場や庚申堂鴨場など徳川将軍家の庭園としての見どころもあります。
横堀水門から海水を引き入れた潮入の池なども見どころですかね。
四季を通じて楽しめる庭園として人気ですが我々から見るとやっぱり城、中の御門も桝形になっていました。
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2022/11/22 22:52
大自然の営みに挑み続ける (2022/05/03 訪問)
地元の「伝える会」のご尽力なのだろう。圧倒的な柵列に文字通り圧倒される。出来たばかりの柵列の隣で早くも朽ち果てる柵列も見られ、それはまるで大自然の営みに対し果てることのない戦いを挑み続けているようにも感じられる。
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2022/11/22 21:07
堀江城を俯瞰 (2022/11/17 訪問)
元会社OB仲間と近場の舘山寺温泉で全国旅行支援クーポン、地域クーポン活用して一泊早めの忘年会を行いました、翌日に大草山に在るオルゴールミュージアムに初入館者、数拾年振り入館者、120年から100年前のオルゴールの音楽鑑賞と観覧、屋上でカリオンの自動演奏鑑賞。
屋上は浜名湖が全面見渡せる絶景ビューポイント、遠く富士山、遠州灘、浜名湖大橋、東名高速S字橋、浜松の高層ビル群と圧巻の見晴らしです、直下に舘山寺パルパル遊園地が見渡せて、そこは堀江城跡、城跡の全体が俯瞰でき構造の有様が実感できます、また展示俯瞰写真には舘山寺温泉の建物案内、名所案内と有り、遊園地の中心地に堀江城址の案内、遠く志津城跡の案内などは大河ドラマおんな城主直虎の効果でしょうか?以前は無かったように記憶しています。
堀江城跡の俯瞰だけでなく浜名湖の絶景ビュースポット大草山オルゴールミュージアムを舘山寺宿泊の折にはお訪ね頂くのも宜しいかと?
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2022/11/22 20:20
2022/11/22 19:51
出野城 (2022/10/16 訪問)
【出野城】
<駐車場他>駐車場はなし。出野八幡宮前<35.270143, 135.361738>の道路脇に停めました。
<交通手段>車
<感想>日帰り丹波の黒豆購入と城攻めの旅2城目。出野城は鎌倉時代、承久の乱で功があった武蔵国片山郷の片山平九郎右馬允広忠がこの丹波国和知荘地頭職を賜り移って築城したといわれます。戦国時代末期には片山氏に代わって出野氏が居城としたといわれます。
城跡は八幡宮になっています。上記ポイントよりスロープ道を少し登ると出野八幡宮の鳥居がありその先に比高のある高い切岸階段、途中に判別不能の竪堀のような凹みも見受けられます。主要部は社殿があり2段状になっています。神社の奥に下段の曲輪があり奥に進むにつれて藪化しています。更に奥に堀切と連続竪堀があるようなのですが、ちょっと進むにはキツイので下段の曲輪で引き返しました。
<満足度>◆◇◇
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2022/11/22 19:22
本庄氏の築城 (2022/11/20 訪問)
屋敷地、本庄氏館、薬師山、福館、詰めのサルクロ
と各所に遺構が残る大城郭です。
館跡は広大で土塁と堀がきれいに残っています。
小高い山城にある福館には2箇所で畝状阻塞が確認
できます。3m位で50cmくらいの凹凸がそれぞれ
10本位でしょうか。藪が邪魔で写真では表現できま
せん。山頂にあるサルクロへは2つの堀切を穿った
細尾根をとうり登り詰めますが、整備されてないの
で時期を選ばないとキツイですね。食い違い虎口の
遺構は何となく確認できますが、藪が凄く、看板等
もありません。
麓の神明宮に看板があり駐車可能です。
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2022/11/22 18:30
愛犬と散歩しつつ巡る (2022/11/16 訪問)
愛犬と近場の吉田城へ行ってきました。
お天気がよく絶好の城巡り日和でした。
三の丸から本丸、鉄櫓を眺め二の丸へ。
鉄櫓の内部公開時間が10時~15時。
犬連れなので入れませんが入りたかったです。
閉館が15時と早いのでご注意ください。
二の丸と本丸の間にある千貫櫓の石垣が崩落し通行止めになっています。
千貫櫓台の修復に伴う発掘調査で希少な埋め殺しの石垣が見つかったそうです。
三の丸口まで散策し、小学校の横を通りながら裏手の腰曲輪まで行ってきました。
石垣の刻印があるはずなので探しておりましたが、犬連れに行きあいその場を離れるため断念しました。
刻印探しにまた訪れる予定です。
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2022/11/22 13:49
#21 別名なし (2022/11/19 訪問)
鬼ノ城だけでは本当の良さはわからない。鬼城山全体と必ずセットで行くべくですね。
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2022/11/22 08:07
御殿場跡と東砦 (2022/10/22 訪問)
小里城は小里川南岸の城山に位置し、山頂部の本丸曲輪、山麓部の御殿場跡、御殿場跡東側尾根の東砦からなります。
戦国中期に小里光忠が築いた山城で、武田方の秋山虎繁の東美濃侵攻では小里氏は織田方につき、小里城には池田恒興が入って、岩村城攻略の拠点として改修されました。本能寺の変の後、森長可に小里城を追われた小里氏は三河に逃れて徳川家康に仕え、関ケ原の戦いの戦功により旗本として旧領に復帰して山麓に陣屋を構えましたが、江戸初期に無嗣断絶となり、小里城も廃城となりました。
県道沿いの小里城跡駐車場に車を駐めて登城開始。県道を渡ったところの登城口から登り始めると、すぐに御殿場跡の石垣に行き当たります(右手奥にもあります)。山麓の御殿場跡(陣屋跡)は三段の曲輪からなり、下段と中段の間には石垣が長く続き、大手門と伝わる虎口が設けられています。発掘調査では建物礎石や石組水路なども確認されているようですが、草に埋もれていてよくわかりませんでした。
御殿場跡東側の尾根にある東砦にも行ってみました。御殿場跡から案内表示に従って進み、御殿場跡東端の切岸をながめつつ谷を越えると東砦に至ります(徒歩約3分)。東砦は尾根上に階段状に曲輪群が設けられていますが、ほとんど未整備で東砦の表示が立てられているくらいです。東砦南端には堀切があるようなので尾根沿いに上って行くと、えっ!? と思わず声が出るほどに小さな堀切がありました。それでもきっちり表示が立てられているのはすごいなぁ、とは思いますが。
さて、御殿場跡に戻って大手道から山頂部の本丸曲輪に向かいます。その道中には城門のように並んだ二つの大きな岩があり、北方向の眺望が開けていました(続く)。
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