大可島城は円福寺周辺に築かれていました。康永元年(1342)伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝方が燧灘で合戦となり大可島城に籠る南朝方は全滅したとのことです。戦国期には村上水軍の一族が鞆の浦一帯の制海権を握っていました。
足利義昭が鞆城に滞在している間は、大可島城主がその警護の役割を果たし、かつては独立した島であった大可島城も鞆城の建設に際し、陸続きとなったそうです。現状は海に突き出た小さな半島状の地形で、港街の風情が良く出ています。
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2024/05/22 00:50
鞆城の警護も果たした海城 (2024/01/04 訪問)
大可島城は円福寺周辺に築かれていました。康永元年(1342)伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝方が燧灘で合戦となり大可島城に籠る南朝方は全滅したとのことです。戦国期には村上水軍の一族が鞆の浦一帯の制海権を握っていました。
足利義昭が鞆城に滞在している間は、大可島城主がその警護の役割を果たし、かつては独立した島であった大可島城も鞆城の建設に際し、陸続きとなったそうです。現状は海に突き出た小さな半島状の地形で、港街の風情が良く出ています。
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2023/10/24 13:59
2023/05/29 23:32
分類・構造 | 水城 |
---|---|
築城主 | 岡部出羽守 |
築城年 | 興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342) |
主な城主 | 岡部氏、村上氏 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 広島県福山市鞆町古城跡 |