圓福寺が城跡、南北朝時期の合戦で南朝方が籠るも全滅となった場所です。
当時は島であり、その後村上水軍の一族が拠点としていました。
鞆城築城の際に陸続きとなったとのことです。
城跡には遺構は無く、本堂前に説明板が立っています。
瀬戸内海に面しているので眺望は良く、眼下に鞆港を見下ろすことができました。
お昼は鞆の浦名物の鯛を食べたいな、と。
鯛めしもよかったのです頭の部分が乗った鯛そうめんをいただきました🐠
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2025/12/18 06:36
元は島だった (2025/12/06 訪問)
圓福寺が城跡、南北朝時期の合戦で南朝方が籠るも全滅となった場所です。
当時は島であり、その後村上水軍の一族が拠点としていました。
鞆城築城の際に陸続きとなったとのことです。
城跡には遺構は無く、本堂前に説明板が立っています。
瀬戸内海に面しているので眺望は良く、眼下に鞆港を見下ろすことができました。
お昼は鞆の浦名物の鯛を食べたいな、と。
鯛めしもよかったのです頭の部分が乗った鯛そうめんをいただきました🐠
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2025/12/17 06:50
鞆城 広島県福山市 (2025/12/06 訪問)
城びと未登録ですが信長に追放された足利義昭を迎えて毛利氏が築いた城、歴史的にも意味を持つ城です。
本丸には歴史民俗博物館が建ち、有料駐車場もあります。
ここまでの道はやや狭く、観光客もそれなりにいるので海辺の駐車場を利用するのがよいかもしれません。
駐車場からすぐに石垣がありますが発掘調査で出てきた石を再築したもので当時の姿とは異なるようです。
この日は歴史民俗博物館は展示替えのため休館、本丸からは瀬戸内海が望めます。
本丸の南西側には石塁が僅かに残っています。
下山し、鞆の浦の街を少し散策しました。
二の丸と三の丸の石垣も少しだけ残っています。
派手な観光地ではありませんが何となく風情を感じる街並みです。
【見どころ】
・本丸に少し残る石塁
・本丸からの眺望
・鞆の浦の街並み
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2025/01/13 16:24
2024/05/22 00:50
鞆城の警護も果たした海城 (2024/01/04 訪問)
大可島城は円福寺周辺に築かれていました。康永元年(1342)伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝方が燧灘で合戦となり大可島城に籠る南朝方は全滅したとのことです。戦国期には村上水軍の一族が鞆の浦一帯の制海権を握っていました。
足利義昭が鞆城に滞在している間は、大可島城主がその警護の役割を果たし、かつては独立した島であった大可島城も鞆城の建設に際し、陸続きとなったそうです。現状は海に突き出た小さな半島状の地形で、港街の風情が良く出ています。
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| 分類・構造 | 水城 |
|---|---|
| 築城主 | 岡部出羽守 |
| 築城年 | 興国3年〔南朝〕/康永元年〔北朝〕(1342) |
| 主な城主 | 岡部氏、村上氏 |
| 遺構 | 曲輪 |
| 指定文化財 | 市史跡 |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 広島県福山市鞆町古城跡 |