JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目の8城目は埴原城です。
水番城から転戦。蓮寺華・埴原城駐車場(36.187055、138.008412)に駐車し、獣除けフェンス(36.188080、138.010250)まで200mくらいでした。
埴原城は信濃国の守護・小笠原氏の家臣埴原氏(村井氏)が拠った城で、埴原勅旨牧(御牧)が荘園化された頃(鎌倉時代)に牧場地帯から 西の松本盆地の南部に下り、村井に館(小屋城)を構えて村井氏を称したようです。
その頃に要害城として埴原城を構えたのが この城の始まりとされています。
室町時代に小笠原氏が信濃守護職として入部した為、その支配下に入りました。
戦国時代に入ると甲斐の武田氏が 信濃に侵攻を始め、小笠原氏は本城の林城の南にある埴原城の整備強化をはかりました。
1548年(天文17年)塩尻峠の戦いの後、1550年(天文19年)武田晴信により真っ先に攻撃され落城しました。
この後、林城など小笠原氏の諸城は続々と落城し、信濃守護小笠原氏はこの地を追われることになります。
武田氏滅亡後、小笠原長時の三男である小笠原貞慶が徳川家康の支援を得て深志城などを奪還した際にこの城も取り戻して改修しています。
現在城址には石垣や土塁、畝状竪堀群などの遺構を確認することができます。
主郭より各尾根に遺構が残る大きな山城で城域が広すぎます。若干の右ひざ痛が残る中、90分かけて攻城しましたが半分も見学できていないと思います。
主郭付近は石積も良好に残っていますが、登城路にマウンテンバイク跡が残っていたのには驚きました。
攻城時間は90分くらいでした。
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