今尾城(城びと未登録)は、室町中期に美濃守護代・斉藤利国家臣の中島重長が築いたのがはじまりとされ、中島氏、高木氏の後は再三城主が入れ替わって、関ケ原の戦いの際には東軍に与した市橋長勝の居城となっていました。江戸初期に市橋長勝の伯耆国・八橋移封にともなって廃城となりましたが、幕府領を経て尾張藩付家老・竹腰正信が入って城跡に陣屋を設け、竹腰氏が明治まで続きました。
今尾小学校が本丸跡(陣屋跡)で、学校前の駐車場に車を駐めて登城開始。校門を入ってすぐの左手に「今尾城と竹腰氏」の説明板、右手に「今尾城跡(関ケ原の戦い)」の説明板があり、校舎前の植え込みには石碑も建てられているようですが、ちょうど少年野球の集合時間で多くの子ども達が集まっていたので、奥に入るのは差し控えました。校門の両脇には堀の名残と思しき水路がめぐり、グラウンドの南東隅で北に折れて続いています。
小学校から南東に徒歩3分の西願寺には今尾城の城門のひとつが移築されており、門前に説明板が立てられています。また、西願寺の裏手をめぐる水路は外堀の名残でしょうか。
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