わしおさんじょう

鷲尾山城

広島県尾道市

別名 : 鷲城、霊鷲城、釈迦ヶ峰城
旧国名 : 備後

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零汰

主郭石碑までは到着 (2022/11/20 訪問)

林道突き当たりの駐車場から比高90m程度に主郭はあります。主郭の石碑迄の往復は35分程度でした。残念ながら雑草が生い茂り主郭全体と派生尾根にある馬場跡などには進入しませんでした。それでも主郭に辿り着くまでには片側スロープ通路脇には段曲輪があり、堀切・土塁も付いており、部分的に石積も見る事が出来ます。一部自然石の斜面を登る場所さえ気を付けると気軽に訪問できる城跡だと思います。

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todo94

尾道市内 (2022/11/03 訪問)

尾道市内とはいえ、かなり内陸に位置する山城です。目を惹く山容で想定通りのかなりの急坂登が待っていました。麓の廃寺に案内板、説明板があるのでまず心配はありませんが、登城路が少しわかりにくい部分がありました。切り立った岩山のようで山頂部分は尾根に沿って曲輪が連なっていました。

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まっつん

あけましておめでとうございます🎍 (2019/01/03 訪問)

新年の初城攻めは尾道市の鷲尾山城跡に行ってきました!
軽自動車なら山腹の林道の終点まで行けますが、マイカーは普通車なので、麓に止めて歩いて登りました!
山の北側からぐるりと回るルートを選び、歩き始めるとすぐ林道の脇にこの城の関係者の墓石群を発見。手を合わせて先へ進むと林道の終点からは本格的に山道になります。
少し登っていくと北の大堀切、北曲輪群へ到着。
石垣や土塁、井戸跡、S字クランクの虎口跡など見ながら本丸へ。とても綺麗に整備されていて歩きやすかったです。
それから眺めの良い南曲輪群を見て、残るは馬場跡…だったのですが、未整備なのか道が分からず断念して下山しました。。
ま、またそのうち登って確認しましょう!
この城は、九州から反攻に転じた足利尊氏に従って戦功を立てた杉原信平・為平兄弟が備後国木梨荘を与えられて築いたのが始まり。戦国時代には、尼子晴久や隣接する国人・石原氏に攻められ落城を経験しつつも、大内氏や小早川隆景らを頼り鷲尾山城の奪還に成功しています。
一時期、本拠を千光寺山城へ移したこともあったそうですが再び鷲尾山城へ戻り、豊臣秀吉の山城停止令で廃城となるまで杉原氏が城主を務めたそうです。

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織田晃司

尾道の山城 (2018/11/17 訪問)

北側に8つの曲輪南側に4つの曲輪。
石垣が残る。
険しい登山道が多く軽装で行かないように

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 杉原信平、杉原為平
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 杉原氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)、出丸(馬場跡)、井戸
指定文化財 県史跡(鷲尾山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県尾道市木ノ庄町木梨
問い合わせ先 広島県教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 082-513-5021