城生城からの転戦です。猿倉展望台駐車場(36.556073、137.225214)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1571年(元亀2年)飛騨の塩屋筑前守秋貞が猿倉山に登って城の普請をしており、この頃には城が築かれていたようです。
秋貞は1578年(天正6年)に佐々成政に下り越中国岩木城に拠ったが、秀頼によって飛騨へ追い返されたようです。
その後、猿倉城は再び越中へ侵入した秋貞が家臣を入れて支配したが、1583年(天正11年)上杉方の斎藤信利が拠る越中国城生城を攻撃中に上杉景勝の援軍が到着して敗退し、追撃する上杉軍に追いつかれて射殺されました。
その後、猿倉城は飛騨国国司姉小路自綱の勢力下に入り、1585年(天正13年)に起こった富山の役で金森長近に落とされたようです。
また、一説には越中国弓庄城に拠っていた土肥氏が一時治めていたともいいます。
猿倉城は猿倉山山頂に築かれており、現在は「風の城」として公園整備されていて、その一角に石碑がたっています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=津毛城に向かいます。
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