じょうのうじょう

城生城

富山県富山市

別名 : 城尾城、城野城、蛇尾城、天狗平城、恵智谷城
旧国名 : 越中

投稿する
説明板
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:城生城 (2022/07/30 訪問)

井田主馬ヶ城からの転戦です。本丸ルート入口付近(36.574779、137.177985)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、斎藤氏によって築かれたと云われています。
斎藤氏は南北朝時代の斎藤左衛門大夫入道常喜が、婦負郡楡原保一帯を所領として以来の豪族で、戦国時代末期に斎藤信利が織田信長の武将佐々成政によって追われるまで、この辺り一帯に勢力を持っていたそうです。
1552年(天文21年)上杉氏に属していた願海寺城主寺崎民部左衛門盛永と天神林付近で戦って敗れ、井田館はこのとき落城したようです。
その後、上杉氏に属していましたが1578年(天正6年)に上杉謙信が没すると、飛騨から侵攻した織田氏に従い、上杉方の今泉城攻めなどで戦功を挙げました。
しかし、1581年(天正9年)には弓庄城主土肥氏とともに上杉氏と結び織田の武将佐々成政に敵対します。
1583年(天正11年)佐々成政と神保氏張の軍勢によって城生城は攻められ落城、城主斎藤信利は姉小路頼綱を頼って飛騨へ逃れ、後に徳川家康に仕えて江戸時代は旗本として続いたそうです。
斎藤氏の後は、佐々成政の家臣佐々與左衞門、前田氏の家臣青山佐渡・篠島織部と続きますが、慶長年間には廃城となったようです。

県道25号線横に案内板があり、本丸ルート入口があります。
本丸ルート入口付近に路駐しましたが、長時間路駐できそうにないので、入口付近の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=猿倉城に向かいます。

+ 続きを読む

釜次郎

雨の中急ぎ足で (2021/03/05 訪問)

この城最大の見所は大空堀。切岸の高さに戦慄。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

壮大な空堀 (2019/11/02 訪問)

富山県に入って最初の城は、城生城。主郭の周りを巨大な空堀がめぐっていて壮観です。主郭に入る手前から空堀を俯瞰する事もできます。腰郭や井戸跡などにも脚を伸ばしました。

+ 続きを読む

雨中の散策 (2019/10/25 訪問)

 神通川と支流である土川の間の台地に築かれた連郭式の城址で北東西は断崖絶壁で囲まれています。圧巻は本丸を囲む大空堀です。登城口から入って本丸に向かうとすぐに見ることができます。大手口へ行き、その後各曲輪や竪堀、空堀、井戸跡などを見ながら城生口へ出て来ました。かなり見ごたえにある城址です。非常に楽しみにしていた城址ですが、訪れたときは気合の入った雨が降っていて傘を差しながらの見学になったのが痛恨の極みです。撮った写真を見てみると傘を持って雨中に撮ったためだと思われますがボケている写真が多く悲しかった。最後に腰曲輪に行きましたが、一人が通ることが何とかできる程度の道を進みます。片側は急峻な崖になっていてかなり怖かった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 斎藤常喜?
築城年 南北朝時代?
主な改修者 佐々成政?
主な城主 斎藤氏、佐々与左衛門(佐々氏家臣)、青山佐渡守・篠島織部(前田氏家臣)
廃城年 慶長5年(1600)以降
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、切岸、虎口、馬出、土橋
指定文化財 市史跡(城生城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 富山県富山市八尾町城生
問い合わせ先 富山市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 076-443-2137