富崎城は山田川の南に接する丘陵に築かれています。周囲は田原で、東側の虎口周辺に
案内板が立てられていて、そこから主郭に侵入します。主郭内には城址碑、井戸があり
内掘を経て二郭に侵入します。城の周囲は外堀で覆われています。案内板を見ると
主郭と二郭の間に小さな郭があり馬出しの役目をしているようです。もともとは
越中の有力武将、神保氏の支城だったらしいのですが、神保長職の時代に上杉謙信に
攻められ、下ったとも討死したともあります。元亀2年(1571)には長職の旧臣水越氏が
一向一揆とともに籠ったため、9月に謙信に攻められ城は焼き払われたと有ります。
その後もさまざまな勢力に使われましたが、佐々の支城の時代に佐々が秀吉に降伏した
前後に廃城になったと思われます。
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