北之庄城から徒歩40分くらいで、畑に続く細道(35.143384、136.115153)に着きました。
そこから、多武木神社(35.143597、136.115505)に向かいました。祠の中に多武木神社の説明板がありました。
浅小井城は鎌倉時代に浅小井四郎長家により築かれたようですが、元々居館形式の城を、戦国時代になって拡張修築したと考えられるそうです。
長家は、佐々木氏の一族で蒲生郡浅小井村を領して浅小井氏を称したそうですが、長家の子清長より深尾氏を称し、戦国時代には京極・六角氏に仕えました。
深尾元範は六角高頼より浅小井城築城を命じられ、元徳-元秀と六角氏家臣団の中で勢力を誇ったが、元秀の子秀長が伊庭氏の乱で伊庭氏に与したため、浅小井氏は滅び、1568年(永禄11年)に織田信長の上洛作戦により落城したようです。
1584年(天正12年)には羽柴秀吉に属した池田秀氏が浅小井城主となりますが、池田氏が伊予大洲へ転封となり廃城となったそうです。
畑に続く細道(35.143384、136.115153)を進むと、木立の中に城の説明板があるはずですが、無残な姿になったいました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=常楽寺城(城びと未登録 滋賀県近江八幡市)へは徒歩で向かいました。
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