ぬのいちじょう

布市城

富山県富山市

別名 : 布市館
旧国名 : 越中

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小柴氏の墓所
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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:布市城 (2022/07/30 訪問)

蜷川館からの転戦です。小柴家墓所入口付近(36.641626、137.238692)に路駐後、興国寺駐車場(36.640857、137.235951)に向かいました。

1334年(南朝暦興国5年)に越中守護となった桃井直常が築いたと云われ、周囲に桃井氏菩提寺の興国寺や同氏祈願所の龍高寺、幕府が諸国に作らせた越中国安国寺(廃寺)がありました。
足利一門の斯波高経と桃井直常が覇権を巡り数十年にわたり激しい抗争を繰り広げられていましたが、1370年(応安3年)に、南朝方の桃井直和(直常の子)が長沢城に籠もります。
越中国守護斯波義将(高経の子)はこれを攻め、両者は長沢にて戦い直和は討死し、桃井勢は飛騨国へと落ち延びました。
桃井氏が越中を去った後、戦国時代に畠山播磨守長光が入城したそうですが、室町期の大田保は守護畠山氏と対立する管領細川家領であり、疑問が残るそうです。
その後、1600年(慶長5年)につちかた雄久が徳川幕府から布市以南10,000石を与えられ、布布藩が成立すると、その陣屋がおかれたという伝説もあり、同藩廃藩とともに廃城となったようです。

大田保の南部に築かれた平城で、興国寺の北東の水田内にある小柴氏の墓所が城跡とされます。
興国寺に直常と奥方の位牌が安置され、境内に直常の墓と伝えられる五輪塔があるようですが、確認していません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=太田本郷城に向かいます。

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todo94

微妙な攻城 (2020/11/02 訪問)

ウィキペディアによると興国寺の北東に位置する水田内、桃井氏被官の子孫という小柴氏の墓所のあたりが布市城とのこと。そこには脚を伸ばしていません。城びとの地図の位置近くには、常福寺があり、そのあたりの写真しか撮ってきませんでした。土塁遺構が残っているのだとしたらここしかないような気もしますが、攻城数にカウントして良いものかどうか悩むところです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 桃井氏
築城年 興国5年〔南朝〕/康永3年〔北朝〕(1344)
主な城主 桃井氏、畠山氏、土方氏
遺構 土塁
住所 富山県富山市布市