とみながじょう

富長城

鳥取県西伯郡


旧国名 : 伯耆

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しんちゃん

星に願いを (2025/06/29 訪問)

今日は七夕みたいです。星に願いを奏でましょう。明日はきっといいことがありますよ。

富長城は日本海に面した微高の丘陵地の上に築かれていました。元弘年間に名和氏に協力した荒松氏によって築かれたと伝わり、戦国時代には西伯の土豪・福頼佐右衛門尉が在城したと伝わっています。
富長神社一帯が城址とされ、社殿の背後に土塁を備え、北西は櫓台の跡とされています。東側には堀切があり橋がかかっています。主郭の西側にも堀があったと思うのですが、今は埋まっているようです。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・伯耆の城めぐり⑥ (2025/05/03 訪問)

小波城からの転戦です。富長神社がその故地となります。神社を巡る空堀はなかなかの深さを誇っていて見ごたえがありました。満足な写真は撮れませんでしたけれども。土塁も良い感じで残っています。

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ぴーかる

富長城 (2024/10/05 訪問)

【富長城】
<駐車場他>軽なら鳥居前に停めれそう。大きければ裏に回って境内まで行ける。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅6城目。富長城の情報は少ないですが、元弘年間(1331〜1334年)に名和氏に協力した荒松氏によって築かれたとされます。主な改修者に福頼氏がおり、福頼氏は室町時代から安土桃山時代の国人で室町時代は山名氏の被官、戦国時代は尼子氏に対抗して毛利氏の傘下となります。城びとの城郭情報では廃城年が1524年になっているので尼子経久全盛の頃なので尼子氏によって落城してしまったのかもしれません。
 現地は富長神社になっています。東と西に切通しの虎口があり、北側の海に面した崖以外の3方を高土塁で囲んでいます。東側の鳥居の奥が小川がある堀切になっていて、小川が滝になっていてなかなかの急峻でありました。

<満足度>◆◆◇

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ろっし

お城探訪 (2022/08/27 訪問)

小さい城跡ですが深い堀切には見応えあり。
入り口には虎口もあり、高い土塁に囲まれ立派な城跡でした。

只、奥の方は藪化しておりクモの巣が凄かった

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 荒松氏
築城年 元弘年間(1331〜1334)
主な改修者 福頼氏
主な城主 荒松氏、福頼氏
廃城年 大永4年(1524)
遺構 曲輪、土塁、堀切、虎口、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡
再建造物
住所 鳥取県西伯郡大山町富長(富長神社)
問い合わせ先 大山町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0859-54-5212