ながさわじょう

長沢西城

富山県富山市

別名 : 長沢城
旧国名 : 越中

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説明板(縄張図に現在地)
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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:長沢西城 (2022/07/30 訪問)

長沢東城からの転戦です。車は、富山市婦中ふるさと自然公園駐車場(36.657737、137.114464)に置いたまま、長沢西城入口に徒歩で向かいました。

詳細は不明のようですが、南北朝時代に桃井直常らの軍勢が長沢へ出兵しており、この頃に利用されたのではないかと推測されています。
また佐々成政の家臣寺島牛之助が一時在城していたとも云われています。
少なくとも、1585年(天正13年)富山の役によって越中国が平定された後には、陣城としての存在価値を失い、廃城となったと思われるようです。

長沢城はこの西城と東城を併せた名称で、便宜上長沢西城とも呼ばれています。現在は遊歩道が整備されています。
長沢城にも長沢東城と同じで、所々に現在地表示のある案内板が設置されています。
本日の予定時間オーバを取り戻す為、説明板付近で引き返しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=富崎城に向かいます。

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todo94

長沢東城に続いて (2019/11/02 訪問)

長沢東城より奥に位置し、古くからの城のようです。規模も大きな城になっています。最も広い曲輪の真ん中に土塁があり、虎口の土塁、俺も見事でした。なかなか見応えのある城なのですが、やはり訪れる人は少ないと見えて蜘蛛の巣はすごかったです。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 不明
築城年 南北朝時代
主な改修者 佐々成政?
主な城主 野崎氏?、野尻氏?、普門(井上)氏、桃井氏、神保氏、佐々氏
廃城年 天正13年(1585)頃
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、切岸、枡形虎口、井戸、大手道
再建造物 説明板
住所 富山県富山市婦中町長沢字城山谷