ひじじょう

日出城

大分県速見郡

別名 : 暘谷城、青柳城
旧国名 : 豊後

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武者之小路

木下延俊の城 (2024/05/04 訪問)

海に面した城です。
石垣や堀が堪能出来ます。

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前ちゃん

木下さん (2024/02/12 訪問)

関ヶ原の戦い後、転封された木下延俊の城。現在は小学校で空堀スペースが駐車場に。海岸側の遊歩道でじっくりと石垣が楽しめる。

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えの

日本でここだけの櫓 (2023/11/26 訪問)

暘谷駅から徒歩数分のお城です。

現在、中心部には小学校や中学校が建っていますが、石垣はよく残っています。
ここの学校の生徒さんたちは毎日この石垣に触れながら過ごせると思うと羨ましく感じますね。

日出城の特徴は、変わった形の鬼門櫓です。名前の通り城内の鬼門の方角に建てられましたが、櫓の北東部の角がとれたような造りになっています。櫓内を見学していた最中、近くの資料館の方に建物と石垣の角の両方が同じように取れた造りになっているのはこの日出城だけだと教えていただきました。

二の丸館では手荷物預かり、お土産・御城印販売をしていますので、立ち寄ることをおすすめします

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ヒロケン

豊後の名城 (2023/08/15 訪問)

日出城は日出港を望む独立した低い台地上に築かれた平山城です。別府湾に面した海城でもあります。本丸を中心に二の丸・三の丸・外郭で囲み、各曲輪を堀でめぐらせています。二の丸・三の丸には、武家屋敷、外郭には商家も配されました。
この日出城は豊臣秀吉公の正室、ねねの甥にあたる木下延俊公が、義兄でにあたる細川忠興公の多大な支援を受けて築いた城郭です。関ヶ原の合戦を経て豊後国日出3万石を拝領し、1601年から2年かけ築城しています。城の設計は細川忠興公、石垣の構築は家臣の穴太理右衛門が、自然石をそのまま積み上げていく野面積みで築いています。

前日14日別府温泉に宿泊し、観光しながら城巡りを行うのに時間が足りず、早起きしての朝駆けで日出城を訪れました。8年ぶり2度目の訪問で、宿泊したホテルから30分弱で到着し、到着時間は5時半、曇り空で時折雨が降る天候です。朝早かったので、駐車場はロープで閉ざされ駐車することが出来なかったので、仕方なく釣鐘のある堀横に駐車させて頂きました。m(__)m

この城の見所は、別府湾に面した海側の石垣だと思います(私見)。野面積みで積まれた石垣が何ともかっこ良く見惚れてしまいます。(*^▽^*)1時間半程の攻城でしたが、満足した時間でした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 複合式層塔型[3重3階/1602年築/破却(廃城令)]
築城主 木下延俊
築城年 慶長7年(1602)
主な城主 木下氏
廃城年 明治7年(1874)
遺構 曲輪、移築櫓、移築門、天守台、石垣、横堀
指定文化財 県指定文化財(日出城隅櫓(鬼門櫓))
再建造物 石碑、説明板
住所 大分県速見郡日出町
問い合わせ先 日出町商工観光課
問い合わせ先電話番号 0977-73-3158