ひじじょう

日出城

大分県速見郡

別名 : 暘谷城、青柳城
旧国名 : 豊後

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にのまる

鬼門櫓の鬼門除け (2025/01/26 訪問)

大分から日豊線で暘谷下車。
最初に旧藩校・致道館へ。
窓越しに見る別府湾があまりにも素敵すぎて、もうここだけで充分、動きたくない.…という気持ちでいたところ係の方が来てくださって致道館の歴史や木下家の家系などについて説明してくださいました。
その後1階・2階と見学。窓から差し込む日の光を浴び、キラキラ輝く海を見ながら午睡などできたら最高だな、と怠惰な人間は思ってしまったのですが、実際は様々な厳しさがあったようで、〈学ぶこと〉から離れてしまっている日々を反省したりもしました。

石垣も櫓もこの海があってこそという気持ちのまま只々美しい景色に見惚れてしまっていたのですが、人柱祠で〈城めぐり〉に引き戻されました。人柱となった老武士の“気持ち”を知ることはできませんが、この場所に導かれたことを覚えていたいと思いました。

次はいよいよ九州城めぐり旅最後となる杵築城。1日2本の奇跡の杵築城直行バスで向かいました。バス停の場所が少しわかりづらかったので10枚目に添付します。このバスで日出城→杵築城に行きたい人も日本のどこかにきっといる!と信じて(^O^)/

〈追記〉
令和7年4月の改正で土日祝日の12:06発のバスは廃止になったようです。
写真も削除します。


㊗️朝田さん、山形県コンプリートおめでとうございます🎊
上山城が最後だったとは!(めっちゃ行きやすいので敢えて残されたのかと。)前祝いの府内城の🐈、正解です!
只今、本番クイズの写真を10枚選定中ですので少しお待ちください(^O^)/

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dougen

2017.11.27登城 (2017/11/27 訪問)

本丸は日出小学校となっていますが、周辺には石垣や堀跡、移築現存している櫓が残っており、遺構散策が楽しめます。

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トク

日出城(3/3):ハローキティとくらすまち (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(3/3)です。

瀧廉太郎の銅像の後ろには、かつては裏門櫓があったそうで、今では二の丸(銅像の前)に再建されています(写真①)。その二の丸には、駐車場・トイレ・案内所・おみやげ屋などがありますので、最初に立ち寄られて、地図などの情報収集をして散策されたらいいかと思います(写真②)。

また裏門跡には釣鐘櫓があり、今でも釣鐘がぶら下げられていました。朝8時になったら小学校が鐘を鳴らすそうです(写真③④)。登城ならぬ「登校の時間だよ~!」(笑)。

また城内のいたる所の電柱には、二階堂麦焼酎が宣伝されていました(写真⑤)。二階堂酒造の工場はここ日出町にあり、今ではいいちこ(宇佐の三和酒造)と並ぶ、日本で二トップの麦焼酎の会社です。

また暘谷駅に隣接する交流センターの二階には、日出城の模型もありした。時間があれば見学されたらいいかと思います(写真⑥)。私はバスの待ち時間に、ちょっと見てきました。

【周辺観光】ハーモニーランド(写真⑩)
日出町と言えば、知る人ぞ知るキティちゃんの聖地「ハーモニーランド」があります。日出城から車で北へ10分程坂を登った所、国道10号線(赤松峠)です。暘谷駅や杵築駅から本数少ですが路線バスも出ています(タクシー乗場あり)。暘谷駅は小さな駅ですがキティちゃんムードが漂う駅でした(写真⑦⑧)。平日や特に冬(1~2月)は正月を過ぎると寒くて人が急に少なくなり休園日も多いので、私は適度に人の多い春秋の週末に行かれる事をオススメします。でもGWは混雑します(笑)。かなり広い遊園地なので乗り放題のアトラクション付チケットを購入し、サンリオキャラクターが躍るステージやパレードもあるので、小さな女の子たちは1日中楽しめて大喜びすると思いますよ! ちなみに数年前ですが、私はステージに上がりバットばつまる君と抱き合った事があります・・・(何しに行ったの?😲)。

次は(写真⑨)のバスに乗り、今回ハーモニーランドは通過して、杵築城へ向かいます。
 

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トク

日出城(2/3):日出城の石垣と瀧廉太郎 (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(2/3)です。

本丸の下を石垣に沿って歩いてみました。海に近いためか、二段または三段の段築で積まれた穴太積の高石垣はとても見事で想像以上でした。細川忠興が延俊のために穴太衆職人(穴太理右衛門)を派遣し築かせたものだそうで、野面石や祖割石乱積に一部布積を用いた、乱積と布積の中間「布目崩し積み」と言う技法だそうです。(写真①-④)

また海岸沿いに目を向けると、石垣が少し低くなった場所には多くの折れが多用されていました。この高石垣や折れを見ると、海から攻めるのはちょっと難しそうです。これらの縄張りは、忠興が自ら考え延俊に指南したものだそうです。さすがは忠興! 多くの戦を経験して得たノウハウを伝えたかったのでしょう。妻を通して忠興と延俊の義兄弟の関係がいかに良好であったか、この石垣や縄張りからも伺えました。(写真⑤-⑧)

そしてこの石垣の下(写真⑨この下)に泳いでいるのが「城下カレイ」です。カレイは城の下から湧き出る地下水と海水が混ざり合う所で育ったものがブランドになるらしいですが、一匹数万円もする高級魚です。いったいどんな味がするのでしょうか? だからといって勝手にここで釣りをすると捕まるので皆さん気をつけましょうね!(笑)

【余談】瀧廉太郎
そしてここにも瀧廉太郎の銅像がありました!(写真⑩)。岡城の瀧廉太郎がなぜ日出に🤔? と思ったら、瀧家はもともと木下家に仕えた家柄で、父は幕末の日出藩の家老だったそうです。その後、廃藩置県となり父は東京へ行き、そこで廉太郎は生まれます。父は官僚(国家公務員)を経て、その後に転勤で豊後竹田(今の市長)となり、その時の現在の中学生だった廉太郎は岡城へよく登ったそうです。卒業した廉太郎は東京の音楽学校を経てドイツへ留学、本場で才能を開花させていたその時、肺結核を患い帰国を余儀なくされてしまいます。そしてロンドンを経由して帰国する途中の船の中で、土井晩翠と出会います。そこで彼が作詞した「荒城の月」に曲をつけてくれと頼まれ、その時に岡城の月見櫓のイメージを思い出し作曲したのではないかと言われています。帰国後は、父がその時赴任して住んでいた大分市の家(府内城のすぐそば)で療養しましたが、23才の若さで亡くなったそうです。そして何と私の実家の菩提寺と同じ萬寿寺(大友館内)に葬られ墓が立てられたそうですが、最近(2011年)になって親族の要望で、元々の瀧家先祖代々の菩提寺である日出の龍泉寺に墓は移されたとの事です。

次は周辺観光の話題に移ります。
 

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 複合式層塔型[3重3階/1602年築/破却(廃城令)]
築城主 木下延俊
築城年 慶長7年(1602)
主な城主 木下氏
廃城年 明治7年(1874)
遺構 曲輪、移築櫓、移築門、天守台、石垣、横堀
指定文化財 県指定文化財(日出城隅櫓(鬼門櫓))
再建造物 石碑、説明板
住所 大分県速見郡日出町
問い合わせ先 日出町商工観光課
問い合わせ先電話番号 0977-73-3158