いしのまきじょう

石巻城

宮城県石巻市

別名 : 日和山城
旧国名 : 陸奥

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くうくう

源頼朝家人葛西清重(奥州総奉行)の居城

奥州合戦(鎌倉政権と奥州藤原氏との戦い)の恩賞として葛西重清が牡鹿郡等の所領を得て石巻日和山に居城を築いたという伝承があり、また昭和58年の発掘調査で大規模な中世城館の存在がここに確認された。それが石巻城だという。立派な石碑が建っていた。遺構はないが、一段高いところには鹿島御児神社があり、城との関係はわからないものの削平地(曲輪跡)や切岸があるようにも思えた。海への眺望が素晴らしい。

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はなじろー

眺め良し (2021/08/06 訪問)

遺構は特にありませんが、
太平洋を望む眺望はとても良いです。
大きな川もあり、拠点とすることに納得できる土地です。

ただ、眺望の良い南側は、震災で津波の被害を受けた地域です。
複雑な気持ちになりますが、少しずつ復興している状況に、
過去から災害を克服してきた人間の力を感じました。

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ぎりょう

今年初の攻城は葛西氏の城 (2022/01/21 訪問)

年末年始から強い寒波が訪れ、宮城県北も大雪の毎日。久しぶりに穏やかな天気となり、仕事で石巻市を訪問したことを幸に今年初の城址探訪ができた。
石巻城は文治の奥州合戦の後にこの地を領した葛西氏の城と推定されているが詳細は不明という。延宝年中に仙台藩が幕府に提出した「仙臺領古城書上」では牡鹿郡石巻邑の項に「石巻城 東西九十間南北四十間 城主葛西三郎・陸奥守清重・左京大夫晴近居住没落ス。・・・・」との記載がある。
昭和58年の発掘調査で中世城館跡であることがわかり、平成9~10年の調査では城址に鎮座する鹿島御子神社の拝殿北側に空堀跡が発見されたという。
城は標高60mの山城。日和山公園最上部の神社拝殿が建つ場所が主郭であったろうか。またその下段、東西に続く平場は切岸を伴った曲輪群に見えるし、公園の周遊路附近には虎口とおぼしき箇所もある。廃城は天正18年(1590)、奥羽仕置きによる葛西氏滅亡時という。その後長い年月を経ており公園化・宅地化により往時の縄張は判らないものの、戦国大名の居城にふさわしい規模を持った城郭であったことは間違いない。
JR石巻駅から徒歩22分(1.5km)
車で訪問の際は「日和山公園駐車場」に駐車可能。

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カズサン

葛西氏の城跡、東日本大震災避難所 (2020/10/27 訪問)

 千石城を終えて千石城跡の大城跡の興奮が覚めぬ中東へ約30km程の石巻市石巻城(日和山公園)を目指す、ナビは公園駐車場に合わせ走行するが市役所を過ぎ北上川護岸辺りから示す方向が狭い急峻な道、ここをと思いながらギヤをローにして一気に登る、登り切った所に無料駐車場、トイレ完備、昼前で満杯状態何とか駐車出来ました、車で昼食を取りいざ探訪。
 城郭放浪記さんのGoogleMap頼りに探訪開始、頂部に鹿島御児神社、参拝して周辺散策、芭蕉の句碑、見慣れてる大鳥居、門前下に石巻城の石碑、案内看板、神社の裏手から遺跡が出たとの情報、日和山公園は曲輪群なのか?近年の作庭か?良く分かりません、神社山手の方向に石列が有ったり?良く分かりませんが山全体が城跡防御の拠点なのでしょう。

 9年前の東日本大震災、津波の被害も大きく山頂部より北の北上川中州は砂州に成り以前の住宅街は消滅、南の海辺の方は復興工事中、以前の写真が展示され現状と対比出来ます、神社に参拝しながら被害に合った方々に黙礼を致しました、まだまだ復興は先の様です。

 歴史的には秩父平氏の流れ関東の葛西氏が源平の戦いで軍功上げ更に奥州合戦の手柄で陸奥に領地を得て日和山に拠点を置いたとか。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 葛西清経
築城年 鎌倉時代前期
主な城主 葛西氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県石巻市日和ヶ丘2
問い合わせ先 石巻観光協会
問い合わせ先電話番号 0225-93-6448