日本100名城

こうふじょう

甲府城

山梨県甲府市

別名 : 舞鶴城、一条小山城
旧国名 : 甲斐

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甲府城
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T-Shionoya

甲府城訪問 (2006/10/09 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第27弾は、山梨県甲府市の甲府城。

甲府盆地北部、愛宕山から南西に飛び出た一条小山と呼ばれる比高30mほどの丘に築かれた平山城。
武田信玄らが拠点とした躑躅ヶ崎館の左手に位置し、その時代には砦が築かれていたのだとか。

諸説あるようだが家康の関東移封前後に築城が始まり、秀吉が関東監視のために配置した浅野長政・幸長の時期に完成。
江戸期に入ると逆に関東の西の防衛線として徳川家が藩主となり城代が置かれ、1700年代初期には柳沢氏2代が城主となるが、以後は幕末まで幕府が管理。

現在は、本丸・二の丸の一部・稲荷曲輪・鍛冶屋曲輪などが舞鶴城公園として残り、稲荷櫓や鉄門などが復元されている城跡。
JR線を挟んだ北側には、2007年に枡形の山手御門が復元完了。

最初の訪問は稲荷櫓の復元から2年後の2006年で、印象に残ったのは長大な石垣に高低差と折れを擁する虎口。
当時の写真を見ると、まだ鉄門はなく復元工事のシートに覆われた山手御門が写っている。

その2つの門が完成したこともあり2022年に再訪問。
3時間弱滞在し、二の堀・三の堀の存在を知ったが廻り切れず、改めて虎口構造を愉しんだ甲府城でした。

写真は8枚目のみ'06年、他は'22年9月に撮影

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じゅんじん

桜とお城 (2025/04/02 訪問)

満開の桜でした。

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しんちゃん

稲荷櫓と稲荷曲輪門 (2025/03/15 訪問)

甲府城は天正11年(1583)徳川家康家臣・平岩親吉によって築かれたとされています。家康の関東移封後は豊臣家臣の武将によって本格的に築城がなされています。現在の主な縄張りが完成したのは加藤光泰の時代とされています。江戸時代においても江戸を守る城として重視され将軍の血縁者や幕府の重臣ら城主となり(柳沢吉里を除いて江戸定府)、後に天領になっています。
現在舞鶴城公園として整備されているのは本丸(天守曲輪)、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の4の主要な曲輪で、南東の楽屋曲輪は山梨県庁、北西の清水曲輪はJR甲府駅周辺となり石垣が復元されています。思っていたより城域が広く周囲を水堀で囲まれていました。
稲荷曲輪門は稲荷曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ門で、発掘調査で柱の跡などが見つかっています。明治初年までは存在していて、平成11年に復元されました。稲荷曲輪にある稲荷櫓は城内の鬼門に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたようです。現在の稲荷櫓は平成16年にできるだけ元の姿で復元したものです。

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火ノ島豊後守正宗

甲府城 (2025/04/10 訪問)

正79城目。
武田神社,要害山城を攻略して駅前の甲府城跡に参内しました。
メチャクチャ利便性がよい名城ですね。桜が咲き乱れており大変綺麗でした。
ひとつ残念なのは、富士山がかすんで見えなかったことぐらいですかね。

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概要

武田氏滅亡後に豊臣秀吉の重臣である浅野長政・幸長父子らによって、一条小山の地に築かれた平山城。関ヶ原合戦後に徳川家康が一門のための城とし、後年に城と城下町がさらに整備されていった。粗割石を用いた野面積による高石垣や、穴蔵があり平面が不整形の天守台など、見事な石の造りが目立つ。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 天正11年(1583)
築城者 徳川家康
主要城主 浅野氏、徳川氏、柳沢氏
文化財史跡区分 国史跡(甲府城跡)
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 櫓、門、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)、虎口、枡形
住所 山梨県甲府市丸の内1-5-4
問い合わせ先 甲府市観光開発課
問い合わせ先電話番号 055-237-5702