満開の桜でした。
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2025/09/06 11:10
2025/05/20 01:01
稲荷櫓と稲荷曲輪門 (2025/03/15 訪問)
甲府城は天正11年(1583)徳川家康家臣・平岩親吉によって築かれたとされています。家康の関東移封後は豊臣家臣の武将によって本格的に築城がなされています。現在の主な縄張りが完成したのは加藤光泰の時代とされています。江戸時代においても江戸を守る城として重視され将軍の血縁者や幕府の重臣ら城主となり(柳沢吉里を除いて江戸定府)、後に天領になっています。
現在舞鶴城公園として整備されているのは本丸(天守曲輪)、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の4の主要な曲輪で、南東の楽屋曲輪は山梨県庁、北西の清水曲輪はJR甲府駅周辺となり石垣が復元されています。思っていたより城域が広く周囲を水堀で囲まれていました。
稲荷曲輪門は稲荷曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ門で、発掘調査で柱の跡などが見つかっています。明治初年までは存在していて、平成11年に復元されました。稲荷曲輪にある稲荷櫓は城内の鬼門に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたようです。現在の稲荷櫓は平成16年にできるだけ元の姿で復元したものです。
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2025/04/10 20:27
2025/03/23 09:35
傘をさしながら散策 (2025/03/15 訪問)
甲府城に行ってきました。この日は朝から雨なのですが、甲府城や躑躅ヶ崎館なら傘をさしながら散策できます。近くで要害山城の2順目のスタンプを捺印。1冊目を無くした時の予備にもう一冊持っています。この付近は百名城2つと続百名城2つと名城が集中している場所です。これだけ集中している場所もなかなか無いです。遊亀橋を渡って坂下門跡→中の門跡→鉄門→天守台→稲荷櫓と移動しました。
舞鶴城に遊亀橋を渡って行くので、ここも鶴亀になります。
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武田氏滅亡後に豊臣秀吉の重臣である浅野長政・幸長父子らによって、一条小山の地に築かれた平山城。関ヶ原合戦後に徳川家康が一門のための城とし、後年に城と城下町がさらに整備されていった。粗割石を用いた野面積による高石垣や、穴蔵があり平面が不整形の天守台など、見事な石の造りが目立つ。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 天正11年(1583) |
築城者 | 徳川家康 |
主要城主 | 浅野氏、徳川氏、柳沢氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(甲府城跡) |
天守の現況・形態 | 不明 |
主な関連施設 | 櫓、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、虎口、枡形 |
住所 | 山梨県甲府市丸の内1-5-4 |
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問い合わせ先 | 甲府市観光開発課 |
問い合わせ先電話番号 | 055-237-5702 |