日本100名城

こうふじょう

甲府城

山梨県甲府市

別名 : 甲斐府中城、一条小山城、府中城、舞鶴城

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甲府城
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小城小次郎

甲府城

甲府にあっても武田氏とは関係なく、豊臣系大名が作り上げたのに徳川直系の親藩が代々藩主を務めているのは不思議と言えば不思議。現在は建物復元スピート加速中。

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夏の雪だるま

百名城甲府城 (2016/09/18 訪問)

山梨県甲府市の百名城の一つ甲府城です。武田一族一条氏の一条小山城があったと言われますが、1582年武田氏滅亡後、豊臣氏時代に甲府城の築城が始められ、豊臣秀勝、加藤光泰をへて浅野長政により1600年頃完成したとされます。関ヶ原の戦い後、徳川領となり城番制がしかれますが、1704年柳沢氏が城主となり、1724年再び幕府領となり甲府勤番制となります。城は本丸、二の丸の外各種曲輪を配し、その周囲を堀で囲んでいます。現在城は、舞鶴城公園となり、天守台や高さ17mの高石垣、水堀が遺構として残り、稲荷櫓や鉄門、鍛冶曲輪門などが復元されています。また、舞鶴城公園からJR中央線を挟んで歴史公園に山手御門が復元されています。無料駐車場はないため、民間の有料駐車場を利用しました。

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ヒロケン

舞鶴公園散策 (2018/12/01 訪問)

甲府城は天正10年武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配下に置かれました。しかし、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると秀吉の命により甥の羽柴秀勝と腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子により完成をみました。関ヶ原の戦い以降は再び徳川家の所領となり、幕末まで城の歴史は存続しました。

甲府城は内堀・二の堀・三の堀で各領域が構成されそれぞれの内城部分、内郭部分、町人地を囲郭している。内城部分には天守台や本丸、諸曲輪が存在し、北側には山手門、南側には追手門、西側には柳門が存在し出入り口となっている

この日は要害山城と新府城を攻城するため、深夜に家を出て早朝に要害山城に到着、要害山城を堪能した後、続100名城スタンプを求めてJR甲府駅前の藤村記念館へGO~ 藤村記念館へ到着したがイベントと重なり駐車場がない(ヾノ´°ω°)ナイナイ 駐車場を探してうろうろ彷徨い甲府市役所地下駐に駐車。甲府城の山手門を横目に藤村記念館でスタンプをゲットしたが、翌日所用があり今日中に帰宅したいため、なるべく目にしないようにしていた甲府城の石垣が目に入り、我慢できず甲府城にGO〜
もう〜どうにでもなれぇ〜と思いつつ舞鶴公園を1時間半たっぷり歩き回り堪能しちゃいました。 

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朝田 辰兵衛

信玄像に一番近い城ですが… (2017/06/12 訪問)

武田一族に何の関係もありません。

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概要

武田氏滅亡後に豊臣秀吉の重臣である浅野長政・幸長父子らによって、一条小山の地に築かれた平山城。関ヶ原合戦後に徳川家康が一門のための城とし、後年に城と城下町がさらに整備されていった。粗割石を用いた野面積による高石垣や、穴蔵があり平面が不整形の天守台など、見事な石の造りが目立つ。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 文禄・慶長年間(1590年代)
築城者 浅野長政・幸長
主要城主 加藤氏、浅野氏、徳川氏、柳沢氏
文化財史跡区分 県指定史跡
近年の主な復元・整備 平成8年に鍛冶曲輪門、平成11年に内松陰門・稲荷曲輪門、平成16年に稲荷櫓を復元、平成25年に鉄門を復元
天守の現況・形態 天守台のみ残る
主な関連施設 甲府市北口歴史公園「山手御門」
主な遺構 本丸、二の丸、人質曲輪、天守曲輪、帯曲輪、稲荷曲輪、数寄屋曲輪、鍛冶曲輪、天守台、堀、石垣
住所 山梨県甲府市丸の内1-5-4
問い合わせ先 甲府市観光開発課
問い合わせ先電話番号 055-237-5702