城門や櫓が復元されています。信玄公や信虎公もごあいさつ。
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2023/10/10 20:49
2023/09/01 07:14
小江戸甲府夏祭り (2023/08/11 訪問)
北海道から帰ってきた翌8月10日は1日研修。すぐに帰路につかずに11日に青春18きっぷでゆるゆると帰路につきました。甲府で途中下車して798回目の献血を無事に済ませ、甲府城経由で駅に向かったのですが、何と、小江戸甲府夏祭りが開催されていました。15時から花火打ち上げの準備に入るため立入禁止となる二の丸、本丸はさほどの人はいませんでした。それにしても甲府が小江戸をなのっているとは知りませんでした。
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2023/04/15 20:14
【かるた】甲府城の読み札
1)中央本線 北も南も 甲府城
2)富士拝み 城下見下ろす 甲府城
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2023/04/08 12:25
とても見やすい石垣の城 (2023/04/01 訪問)
新府城に続き甲斐路二城目は甲府城。四十数年前私が働き始めたころ甲府に出張したおり電車の窓から見て初めてこの城の存在を知った記憶がよみがえった。その当時は櫓や門も復元前であり石垣上の大きな謝恩碑だけが目立っていたように思う。
今回の甲府探訪の宿泊地について市内の温泉地も考えたが、翌日の攻城を視野に入れ、旧城内屋形曲輪跡地に建つ「城のホテル甲府」に決めた。ホテルの13階にある大浴場展望フロアからは至近距離で本丸の姿を望むことができる。
現在の城址は市街化により往時の三分の一になってしまったようだが、本丸・天守台・稲荷曲輪・数寄屋曲輪・天守曲輪など野面積みの石垣が舞鶴城公園として整備されてきれいに残っている。また稲荷櫓や鉄門等が復元されており、とても美しく見やすい城址であると感じる。
天正10年(1582)の武田氏滅亡後甲斐は一時家康の支配地となるが、天正18年(1590)に家康が関東に移封された後は秀吉配下の羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長父子が城主となる。甲府城の完成は文禄年間、浅野氏時代といわれており、いわば関東抑えの城である。今も残る立派な天守台には織豊期の天守閣がそびえたっていたと想像をめぐらせてしまうのは私だけではあるまい。
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武田氏滅亡後に豊臣秀吉の重臣である浅野長政・幸長父子らによって、一条小山の地に築かれた平山城。関ヶ原合戦後に徳川家康が一門のための城とし、後年に城と城下町がさらに整備されていった。粗割石を用いた野面積による高石垣や、穴蔵があり平面が不整形の天守台など、見事な石の造りが目立つ。
城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 天正11年(1583) |
築城者 | 徳川家康 |
主要城主 | 浅野氏、徳川氏、柳沢氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(甲府城跡) |
天守の現況・形態 | 不明 |
主な関連施設 | 櫓、門、塀、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀)、虎口、枡形 |
住所 | 山梨県甲府市丸の内1-5-4 |
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問い合わせ先 | 甲府市観光開発課 |
問い合わせ先電話番号 | 055-237-5702 |