甲府城は天正11年(1583)徳川家康家臣・平岩親吉によって築かれたとされています。家康の関東移封後は豊臣家臣の武将によって本格的に築城がなされています。現在の主な縄張りが完成したのは加藤光泰の時代とされています。江戸時代においても江戸を守る城として重視され将軍の血縁者や幕府の重臣ら城主となり(柳沢吉里を除いて江戸定府)、後に天領になっています。
現在舞鶴城公園として整備されているのは本丸(天守曲輪)、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の4の主要な曲輪で、南東の楽屋曲輪は山梨県庁、北西の清水曲輪はJR甲府駅周辺となり石垣が復元されています。思っていたより城域が広く周囲を水堀で囲まれていました。
稲荷曲輪門は稲荷曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ門で、発掘調査で柱の跡などが見つかっています。明治初年までは存在していて、平成11年に復元されました。稲荷曲輪にある稲荷櫓は城内の鬼門に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたようです。現在の稲荷櫓は平成16年にできるだけ元の姿で復元したものです。
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