かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

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三浦の晃ちゃん

数奇な天守閣。 (2023/10/22 訪問)

多聞櫓は、三重県で、唯一、藩政期から、同じ位置にある櫓のようです。内部も公開していました。天守閣は、数奇な運命だったようです。丹波亀山城の天守閣を、壊すように命じられた、堀尾吉晴が、間違って、ここの伊勢の亀山城の天守閣を、破却してしまったようです。同じ亀山城だったので、丹波と、伊勢を間違えたんですね。

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しんちゃん

亀山城③ 二の丸御殿書院 亀が山を登るから亀山 (2023/06/24 訪問)

かつての亀山城二の丸にあった御殿書院が亀山城の南東にある遍照寺に移築されています。
お話を伺ったところ移築の際にお寺にふさわしい造りにするために
天井を高く作り直してあるそうです。たしかに武家屋敷の天井は
刀や槍を振りにくいように少し低くしてありますね。
屋根の上に亀が4匹いるそうです。たしかに良く見ると登っている亀が二匹、
下っている亀が二匹いますね。何で亀なのかというと、亀山城だからだそうです。
‥なるほどー。
他にも亀山城関係の建造物というとかつての本丸跡には亀山神社が建っています。
祭神は亀山藩主石川家の祖、源義家と石川義純。
石川義純さんは、かつて笠置山に逃れた後醍醐天皇に味方して20万の幕府軍と
戦って自害したらしいです。江戸時代は城内の小さな祠にますみ神社として祀られていたのが
亀山神社の前身のようです。

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しんちゃん

亀山城② 縄張り編 (2023/06/24 訪問)

伊勢亀山城は文永2年(1265)伊勢平氏の流れをくむ関実忠によって築かれたと言います。
その後、天正18年(1590)豊臣秀吉に従った岡本良勝が入城し、天守や
各郭が今の縄張りに整備されたと伝わります。現在、多聞櫓が建っているかつての
天守台もこのころに築かれたものだと思います。
亀山神社、その北にある公園がかつての本丸。本丸の東の亀山小学校と亀山市役所が
二の丸跡。さらにその東が三の丸跡になります。
本丸の南側の亀山中学校とその南側の町並みが西の丸跡。
かつての堀跡が道路となっていたり、今でも街割りにかつての縄張りの
影響が残っているようです。
北側の菖蒲園の池も北側にかつての堀の形状を残しているようです。
なかなか広い縄張りを持つ城で亀山市歴史博物館の入り口の前には
石板門の石垣が残っています。

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しんちゃん

亀山城① 多聞櫓編 間違って解体された天守のかわり (2023/06/24 訪問)

かつて伊勢亀山藩の居城だった亀山城。
松江藩主・堀尾忠晴が幕府から丹波亀山城の天守解体の命を受け
寛永9年(1632)間違ってこちらの亀山城の天守を解体してしましました。
その後、天守のあった場所に築かれたのがこの多聞櫓とのことです。
たしかに亀山城っていっぱいありそうですね。愛知県の新城にもあるし。
現存の多聞櫓は江戸後期の再建のものらしいので比較的新しいですが、
やはり江戸時代からの建造物は迫力が違います。
一階だけなのですが、入ってすぐに大きな梁が眼前に迫ってくるので
とても迫力があります。個人的にはこの櫓、結構好きです。
櫓の石垣は元天守台らしく非常に立派な作りです。
この石垣のどこかに転用石があるらしいのですが、この時はそれを知らず
見付けられませんでした。次の楽しみに取っておきます。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑、説明板
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078