かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

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城址碑
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WEST

伊勢亀山城探訪 (2025/01/24 訪問)

伊勢亀山城を訪問しました。このお城も明治時代の廃城令により、ほとんどの建物は取り壊されたそうですが、多門櫓と石垣などが遺構として残っています。
見どころは現存する多門櫓です。三重県で唯一現存のままに残る建物だとのことで石坂から望む多門櫓は見ごたえがありますね。
登城日は残念ながら平日のため内部の見学ができませんでした。(土・日・祝日のみ見学可)
また、周囲を散策すると西出丸跡、三重櫓跡、復元整備された二ノ丸帯曲輪を見ることができます。

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POYO58

これも2年ぶり! (2024/07/07 訪問)

伊賀上野城を終えてJRで亀山城に行きました。亀山城は鎌倉時代に関実忠によって築かれました。その後は安土桃山時代まで関氏が城主となりましたが、豊臣秀吉の天下統一をきっかけに岡本良勝が入城し大改築。関ヶ原合戦後は松平家が城主となりました。江戸時代には堀尾吉晴が丹波亀山城と間違えてこの城の天守を解体してしまったということもあり、今は多聞櫓のみが残っています。なかなか遺構は残っていて、櫓や櫓台の高石垣は圧倒されます。しかし、近年の地震により、一部土塁に改変されています。
またガイドさんに聞くとどうやらここは関所が多く、多くの人々が江戸時代、このお城のそばを通っていたそうです。
今回は大手門跡やその他の櫓跡も少しみてみました。面影はあまりありませんが楽しかったです。
ただ三重櫓跡は時間の都合で行けず😭

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城好きのメガネ

「伊勢亀山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
伊勢亀山城は、1265年頃に関実忠が築城したとされる、1573年、関盛信が追放されるまで関氏16代の居城であった。交通要衝であり戦国時代には度々戦火にさらされた。1636年頃に、本多俊次が大改修を行い、石川氏の時代に幕末を迎える。伊勢亀山藩は鳥羽伏見の戦いでは幕府側につくが、のちに新政府側に恭順した。現在、曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀等が遺されている。

<アクセス>
JR亀山駅 徒歩15分

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三浦の晃ちゃん

数奇な天守閣。 (2023/10/22 訪問)

多聞櫓は、三重県で、唯一、藩政期から、同じ位置にある櫓のようです。内部も公開していました。天守閣は、数奇な運命だったようです。丹波亀山城の天守閣を、壊すように命じられた、堀尾吉晴が、間違って、ここの伊勢の亀山城の天守閣を、破却してしまったようです。同じ亀山城だったので、丹波と、伊勢を間違えたんですね。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑、説明板
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078