かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

投稿する
多門櫓
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ヒロケン

自然を利用した縄張り (2026/08/10 訪問)

伊勢亀山城は、伊勢平野を望む海抜約80mの台地上に主郭を置いた梯郭式平山城です。本丸を中心に東に二の丸と東三の丸、西に西出丸、南に南三の丸が配置されている縄張りです。城の周囲は約2kmで天然の地形を利用して内堀と外堀を巡らせています。
伊勢亀山城の天守は丹波亀山城の修繕の際、間違えられて解体されたという話が残っている天守です。(天守の解体自体幕府の陰謀説もあるっとの事)本丸北側に取り壊された天守の代用とされた三重櫓跡が残っています(画像6枚目)

この城の見どころは、何と言っても現存する本丸多門櫓と多門櫓を支える高石垣、それと伊勢亀山城保存整備事業の一環で整備された二の丸北埋門と二の丸北帯曲輪ではないでしょうか?(私見です)
この城への訪問は4度目で西出丸跡にある駐車場(無料)に駐車しました。また、トイレも駐車場隅に完備されています。伊勢亀山城には4度訪問していることから、ある程度どこに何があるか分かっているつもりではいましたが、イオさんの「とことん亀山城」を拝見し、まだまだ見てないところがあると気付かされました。イオさんありがとうございます。次回機会があれば東三の丸と南三の丸を中心に散策してみたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

とことん亀山城(東三之丸周辺) (2026/02/15 訪問)

(続き)

東三之丸(亀山市東丸町)
東三之丸は本多期に二之丸東側に整備された曲輪で、二之丸側を除く三方を外堀が囲み、東に大手門、北西に江ヶ室門が、南東隅には東大手櫓が設けられていました。県道沿いの駐車場には東三之丸跡の標柱が立てられており、周囲にはいわく有りげな石が並べられています。標柱の裏の説明書きを見てみると、発掘調査で出土した大手門石垣の石材なんだとか。東三之丸は重臣の屋敷地だったようで、標柱の道向いには家老名川大右エ門氏家屋敷跡の石碑も見られました。大手門は大手門櫓と大手脇櫓からなる枡形門でしたが、遺構は失われて説明板と錆びた標柱が立てられているのみです。大手門は東海道に直結し、門を出たところには高札場が設けられていました。高札場ならぬ酒屋さんの広告場の脇に高札場の説明板が立てられています。そのほか、江ヶ室門跡に標柱が立てられていたようですが、見当たりませんでした。

江戸口門(亀山市本町)
板倉期に築かれた惣構東端の城門で、番所を設けて東海道の往来を監視していました。土塁と土塀で区画された3つの枡形と平櫓を擁する厳重な造りだったようですが、遺構は失われ説明板が立てられているのみです。

遍照寺(亀山市西町)
二之丸御殿の式台・書院が本堂として移築されています。鬼瓦に石川氏家紋の笹竜胆紋が、千鳥破風には上り亀、下り亀の装飾瓦が見られます。

…ということで、亀山城をとことんめぐってみましたが、明瞭な遺構は数えるほどながら、主なところにはほとんど標柱や説明板が立てられていて、いくつかの復元整備とあわせて期待以上に見応えがありました。次の機会には今回見られなかった亀山市歴史博物館と加藤家屋敷、そして本丸多門櫓内を見学したいものです。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

とことん亀山城(二之丸) (2026/02/15 訪問)

(続き)

本多期の改修により本丸は将軍上洛時の宿所とされたことから、藩主の居所と藩の政庁は二之丸に設けられました。外周には五基の櫓が建ち並び、南西に西之丸に通じる石坂門、東に東三之丸への太鼓門、北と南の帯曲輪へは埋門が設けられていましたが、いずれも現存せず、二之丸北側の居屋敷(二之丸御殿)跡は小学校に、南側の向屋敷跡は市役所になっています。

ますみ児童公園から発掘調査に基づき復元整備された二之丸北帯曲輪へ。入口通路をたどると二之丸跡の説明板があり、その先には発掘調査で見つかった瓦を積んで居屋敷の庭の築山の位置を示していたり、居屋敷の礎石や玄関前に敷き詰められていた黒い玉石が展示されています。二之丸北帯曲輪へは埋門が通じ、往時の埋門の上には平櫓の二之丸北櫓が建っていたようです。埋門脇の二之丸土居には石積みが見られ、土居の下には発掘調査で確認された石組溝が復元されています。帯曲輪外周の土塀には狭間がありませんが、廃城前の古写真に基づいて幕末の姿を復元したもののようです。土塀に狭間が無いのは少々違和感があるものの、北東下の俯瞰広場から見上げる二之丸北帯曲輪土居は迫力がありました。

そして太鼓門跡から東三之丸へ。太鼓門と枡形、枡形に睨みをきかせる太鼓櫓はいずれも失われましたが、太鼓門跡には標柱が、太鼓櫓跡には説明板が立てられています(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

とことん亀山城(西之丸周辺) (2026/02/15 訪問)

(続き)

京口門(亀山市西町)
板倉期に築かれた惣構西端の城門で、番所を設けて東海道の往来を監視していました。坂の下から見上げる姿は壮麗で、歌川広重の「東海道五拾三次」にも描かれるほどでしたが、現在は遺構は失われ、説明板が立つのみです。

西之丸(亀山市西丸町)
西之丸は本多期に本丸南側に拡張された曲輪で、周囲を外堀が囲み、南に青木門、西に黒門、南東隅と南西隅には東海道を監視する隅櫓が設けられていました。いずれも遺構は失われていますが、南西辺の外堀が一部復元されており、往時の堀幅、土居の高さ、水面の高さを体感することができます。また青木門跡、黒門跡ともに標柱が立つのみながら、青木門跡は屈曲した街路に枡形門の名残を、黒門跡は水路に外堀の名残を見ることができます。西之丸は家中屋敷とも呼ばれ、重臣の屋敷が建ち並んでいましたが、うち石川氏の家老を代々務めた加藤家の長屋門と土蔵が現存し、土日祝には見学もできるようです。この日は開館時間前だったので外観だけで我慢…。重臣屋敷のほか、江戸後期には藩校「明倫舎」も置かれました。亀山中学校の敷地内に標柱が立てられています。西ノ丸東側の外堀は池の側と呼ばれる池として遺っており、池の側に沿って植えられていた松並木が一部現存しています。池の側の北側には石井兄弟亀山敵討遺跡の石碑と説明板が立てられていました。

石井兄弟の石碑を過ぎて坂下門跡から二之丸に入り、二之丸を散策します(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑、説明板
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078