かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

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あんらくごえ

亀山城と桜と太岡寺畷 (2019/04/06 訪問)

桜の季節なので地元の城と桜を撮ってきました
太岡寺畷(たいこうじなわて)は旧東海道で亀山宿から関宿に行く途中にあります。かつては松並木が距離的には関宿の方が近いのですが、亀山宿(JR亀山駅)から関宿(JR関駅)への旧東海道ウォーキング(約6km)もお勧めです

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コウキ

亀山城登城‼️ (2019/04/05 訪問)

亀山城に行ってきました‼️
三重県唯一の現存する櫓があり、とてもかっこよかったです‼️

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夏の雪だるま

将軍上洛時の宿泊用御殿のあった城 (2016/09/21 訪問)

三重県亀山市の亀山城です。1265年関氏が隣接する亀山市若山町の亀山古城跡へ築城したのが始まりとされ、現在の地にも戦国期の空堀が確認されていることから、この地に関氏時代に移った可能性もあります。1573年織田信長により関氏が追放されるまで関氏の居城となっています。1590年岡本氏がこの地に封じられると旧城を母体に築城を行い、本丸、二の丸、三の丸を配し天守も建てられたとされます。1636年本多俊次が城主になると城の大改修が行われ本丸、二の丸、東三の丸、西の丸、西出丸を整備、外周に堀を廻らし、本丸に将軍上洛時の宿泊所用本丸御殿、二の丸に藩主居館と政庁を兼ねた二の丸御殿が造られ、東西700m南北500mの規模とされます。城下は東海道が通り東海道53次の亀山宿として栄えています。城主はその後めまぐるしく替わり1744年石川氏が城主となると明治維新まで続いています。明治になると城の建物は取り壊され、現在は多聞櫓と石垣、土塁、堀の一部が残るのみで、本丸付近が亀山神社・ますみ児童公園、二の丸が亀山西小学校・市役所、西の丸が亀山中学校や住宅地、東三の丸が市街地となっています。

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あんらくごえ

伊勢亀山城 (2018/12/04 訪問)

地元ですが久々に散策しました。一国一城令で丹波亀山城と間違えて壊されかけた(天守解体後に気付いたとか)という面白エピソードのあるおらが町のお城ですが、野面積みの美しい石垣のある多聞櫓、復元された帯曲輪など城の遺構も良く整備されています。
多聞櫓は平成の改修で史実に忠実に再現されましたが綺麗な漆喰壁と引き換えにシャチホコが無くなりました。帯曲輪は古写真を元に復元されましたが、狭間が無く、また帯曲輪にも水路が整備され畑などに利用されていた可能性高いなど、平和な時代の城のあり方がしのばれます。多聞櫓西側の石垣は平成19年の震災で崩れましたが、調査の結果昭和46年に積まれた石垣と分かり、土居として復元されました。
また本丸跡は児童公園として整備されていますが、SLや今では見かけない遊具など昭和の遺構?も残っているので、訪れる機会がありましたら、ご家族でお城めぐりを楽しんでいただけると思います。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、堀、土塁
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078