かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

投稿する
多聞櫓(現存)
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

POYO58

これも2年ぶり! (2024/07/07 訪問)

伊賀上野城を終えてJRで亀山城に行きました。亀山城は鎌倉時代に関実忠によって築かれました。その後は安土桃山時代まで関氏が城主となりましたが、豊臣秀吉の天下統一をきっかけに岡本良勝が入城し大改築。関ヶ原合戦後は松平家が城主となりました。江戸時代には堀尾吉晴が丹波亀山城と間違えてこの城の天守を解体してしまったということもあり、今は多聞櫓のみが残っています。なかなか遺構は残っていて、櫓や櫓台の高石垣は圧倒されます。しかし、近年の地震により、一部土塁に改変されています。
またガイドさんに聞くとどうやらここは関所が多く、多くの人々が江戸時代、このお城のそばを通っていたそうです。
今回は大手門跡やその他の櫓跡も少しみてみました。面影はあまりありませんが楽しかったです。
ただ三重櫓跡は時間の都合で行けず😭

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「伊勢亀山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
伊勢亀山城は、1265年頃に関実忠が築城したとされる、1573年、関盛信が追放されるまで関氏16代の居城であった。交通要衝であり戦国時代には度々戦火にさらされた。1636年頃に、本多俊次が大改修を行い、石川氏の時代に幕末を迎える。伊勢亀山藩は鳥羽伏見の戦いでは幕府側につくが、のちに新政府側に恭順した。現在、曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀等が遺されている。

<アクセス>
JR亀山駅 徒歩15分

+ 続きを読む

三浦の晃ちゃん

数奇な天守閣。 (2023/10/22 訪問)

多聞櫓は、三重県で、唯一、藩政期から、同じ位置にある櫓のようです。内部も公開していました。天守閣は、数奇な運命だったようです。丹波亀山城の天守閣を、壊すように命じられた、堀尾吉晴が、間違って、ここの伊勢の亀山城の天守閣を、破却してしまったようです。同じ亀山城だったので、丹波と、伊勢を間違えたんですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

亀山城③ 二の丸御殿書院 亀が山を登るから亀山 (2023/06/24 訪問)

かつての亀山城二の丸にあった御殿書院が亀山城の南東にある遍照寺に移築されています。
お話を伺ったところ移築の際にお寺にふさわしい造りにするために
天井を高く作り直してあるそうです。たしかに武家屋敷の天井は
刀や槍を振りにくいように少し低くしてありますね。
屋根の上に亀が4匹いるそうです。たしかに良く見ると登っている亀が二匹、
下っている亀が二匹いますね。何で亀なのかというと、亀山城だからだそうです。
‥なるほどー。
他にも亀山城関係の建造物というとかつての本丸跡には亀山神社が建っています。
祭神は亀山藩主石川家の祖、源義家と石川義純。
石川義純さんは、かつて笠置山に逃れた後醍醐天皇に味方して20万の幕府軍と
戦って自害したらしいです。江戸時代は城内の小さな祠にますみ神社として祀られていたのが
亀山神社の前身のようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑、説明板
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078