かめやまじょう

亀山城

三重県亀山市

別名 : 粉蝶城、胡蝶城
旧国名 : 伊勢

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橋吉

堀尾忠晴の大チョンボ?大芝居? (2013/07/23 訪問)

多聞櫓が残されています。

実は、ここには天守閣があったのです。
ところが1633(寛永9)年のこと、幕府は堀尾忠晴に亀山城修築を命じ、天守を解体してしまったのです。
しかも、幕府の命令はここ伊勢亀山城ではなく丹波亀山城であったことが後に発覚します。
つまり間違いで破壊されてしまったのです。
なんとか再建の申請はするのですが認められず代わりに多聞櫓を建てたのでした。

堀尾忠晴は後世にも残る大チョンボをやらかしたといわれいますが、果たしてそうでしょうか。
亀山城の敷地は結構広いです。
1万2000石の小大名としては不相応です。
なおかつ、東海道直近であり、嫌が上でも威圧感を感じさせられます。
当時、参勤交代の大名は、亀山の宿に泊まるのを嫌がったそうです。
ですから、幕府は適当な難癖をつけて取り壊したかった。でも、理由が見つけられなかったので一世一代の大芝居を打ったのではと予想します。

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こげら

亀山城と城下の風景 (2020/12/24 訪問)

東海道は亀山宿、関宿より野村の一里塚を経て亀山城下に到着。
広重が描いた亀山城のイメージをたどりながら城下の散策を楽しみました。

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昌官忠

伊勢湾沿岸遠征日帰り③ (2018/08/07 訪問)

「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の3城目は亀山城です。津城からの転戦です。

津城から、三重会館前(三重交通バス)➡津駅前/津駅➡亀山駅➡徒歩で亀山城に到着。

亀山城は1265年に関実忠が若山の地に築いたと伝えられます。中世の亀山に勢力を誇った関氏の居城で、現在の場所に16世紀中ごろまでに移っていたと考えられるそうです。
1590年、岡本宗憲によって天守を築造するなどの修築を行い、本多俊次が1639年から3年をかけて行った大改修によって、ほぼ現在の城地が確定したそうです。
なお、亀山城の天守を壊すよう幕府に命じられた出雲松江城主堀尾忠晴が間違えて亀山城の天守を取り壊したと伝えられ、以後天守は再建されなかったそうです。

現在は本丸東南隅の多聞櫓と石垣、外堀、二の丸から西出丸の北側の土居が残っています。

亀山市には東海道の四十六・四十七・四十八番目にあたる三つの宿場町「亀山宿」、「関宿」、「坂下宿」があったそうで、亀山駅から亀山城に向かう途中に「亀山宿標識」がありました。攻城時間は45分くらいでした。

桑名城に向かうまで電車の時間があったので、JR亀山駅の近くのお店で「亀山B級グルメ みそ焼きうどん」でビールを飲みました。真夏の暑い中の攻城なのでビールが美味しかった(もちろん、みそ焼きうどんも美味しくいただきました)。

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カモン掃部

町全体が城跡 (2020/06/07 訪問)

御城印が欲しくて二度目の訪問。
土日だったので多聞櫓のなかも見学できちゃいました。
町全体が城跡で門跡や曲輪跡をさくっとめぐれる楽しいお城でした。
あと御城印ゲットのついでに立ち寄った関宿も味があって好きだな

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 不明
築城主 関実忠
築城年 文永2年(1265)
主な改修者 岡本宗憲、本多俊次
主な城主 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏、三宅氏、板倉氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、多聞櫓、石垣、土塁、横堀
指定文化財 県史跡(旧亀山城多聞楼)
再建造物 模擬塀、石碑、説明板
住所 三重県亀山市本丸町
問い合わせ先 亀山市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0595-84-5078