おおどりじょう

青鳥城

埼玉県東松山市

別名 : 石橋城
旧国名 : 武蔵

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todo94

元日の攻城⑦ (2024/01/01 訪問)

知らなければ、「おおどり」とは読めませんよね。本郭周りの土塁、空堀だけでも十分に満足できる素晴らしい城でした。広い城域を隈なく巡ることは大変ですが、にのまるさんも赴いた青鳥城跡板石塔婆は外せないですよね。二の郭と三の郭の間の土塁、空堀もなかなかのものでした。新年初日からこんな物件に出会えるなんて、今年も良い年になりそうです。

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にのまる

町なかに浮かび上がる平城 (2023/10/21 訪問)

高見城から徒歩4km→バス30分→徒歩3kmで到着しました。
本郭周辺で土塁や堀跡を確認後「青鳥城跡板石塔婆」へ。このあたりは二郭⇔三郭の虎口だったようで現在でも土塁が残され、生活道路として通り抜けられるようになっていました。またひとつ在りし日の城体験を重ねられたことに感謝。
二郭内をとおりメインスポットと思われる土塁跡へ。ここでも現地で自分の目で見て確かめることの重要さと嬉しさを思いました。スケールの大きさも折邪も体感できますし地元の方々や自治体さんがどれほど大切にしていらっしゃるかが伝わってきます。
2月に設置されたばかりの説明板には城の歴史・上空からの写真・現存土塁と堀の描かれた地図。遺構をさがしながら町探検できる場所はまだまだありそうです。
ということで関越道方向へ延びる土塁に沿って行ってみます。
そこで見つけたのが以前UPした錆びた城碑です。赤い城さんが先に載せていらっしゃいましたが、土塁に導かれ勝手に足が向いたところに隠れていた、という感じでした。
関越道の陸橋に上がると土塁の“続き”が目の前に迫ります。大土塁が分断された様子も間近に見て取れ、城域の広さを実感しました。
この先に市の文化財である「虎御石」があるというので行ってみました。この近辺のお城をめぐっていると板碑に出会うことがしばしばありますが、虎御石は高さ375cmで比企・入間地方最大の石塔婆だそうです(現地説明板)。そしてこの周辺の沼(堆積土量測定のため一時的に水抜き中)は内堀の名残とのこと。関越道沿いの茂みや道路の起伏、西側にある林も土塁跡と、長い年月の間にほとんど消滅してしまったといっても残された手掛かりを繋ぎ合わせると見えてくるものがあり、城めぐりの醍醐味を充分に味わうことができました。

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赤い城

変態じゃないけど

とりあえず私も持ってました。
ラブホの近くの標柱、堀も残っていました。
ごめんなさい、負けず嫌いが出ちゃいました。
「赤い城さんもアップしていませんでした」は褒め言葉、ちょっと嬉しかったのとアップしておけばよかったかな、と。
(やっぱり変態か)
また関東の城、攻めたいです。

追伸、見返したら同じ写真アップしてました。
近くに牛舎か豚舎があったような。香りが・・・・。

本丸には堀も廻っていて見ごたえのある城ですね。

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キンヤ

大きな空堀と土塁がよく残された城 (2023/03/05 訪問)

説明板によると築城時期は諸説ありますが、鎌倉時代に武士の館として使われ、関東の覇権をめぐる動乱期の1400年代初め頃に、現存する土塁と堀が拡充・再整備されたと推定されるとのことです。

青島判官恒儀が築城したと伝承もありますが、天長6年(829年)に没していることから、この伝承は考えにくいようです。
戦国期の後北条氏時代には山田伊賀守直安が城主であったとも伝わるそうです。

本郭は方形で南以外の東・北・西側は大きな空堀と土塁で囲まれてます。
ニの郭北側には、木が伐採され丸裸になったクランク状の巨大な土塁があり驚きました。

周囲は宅地や高速道路がある平城ですが、空堀と土塁がよく残された、なかなか良い城でした。

時間の都合で本郭、ニの郭北側の一部にしか行ってませんが、掲示されている縄張図から、二の郭・三の郭まで含めると広大な城域であったことが分かります。
この日、青島城の前に行った菅谷館と広い郭や縄張りが似ているように思えました。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 伝・青鳥判官
築城年 室町時代
主な城主 北条氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(青鳥城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県東松山市石橋城山2104他
問い合わせ先 東松山市埋蔵文化財センター
問い合わせ先電話番号 0493-27-0333