京都から逃れてきた室町幕府11代将軍足利義澄がここで病没したと伝わる城です。琵琶湖には近代以前は多くの内湖があり、この城も内湖が堀の役割をしたと考えられています。浮き城のような感じでしょうか。
特別養護老人ホーム水茎の里の近くに名勝水茎岡の石碑があり、その横の長い階段が登城路です。只管階段を上り、配水場を過ぎると少し荒れた山路になりますが、すぐに城域となります。トラロープが張ってあり、道を逸脱しなければ迷うことはありません。歩いていて北側を見ると削平地があり曲輪が存在していることがわかります。少し降りてみました。縄張り図を見ると多くの曲輪があり竪堀もあるようですが藪になっていて倒木、倒竹等もあり散策は困難で断念しました。堀切を越えて主郭らしき場所まで行きました。通路以外はほぼ藪です。ここで引き返すつもりでしたが、その奥にもトラロープが続いています。行けるところまで行ってみようと思い、トラロープを頼りに降りて行きました。ほぼ藪の中を歩くことになりました。途中、トラロープが途切れていて引き返そうとすると木に付けられているピンクリボンを発見。そこであきらめればよかったのですが、ピンクリボンの場所へ行くと途切れていたはずのトラロープの続きを発見してしまい藪になっている所を、トラロープを頼りに舗装された道路まで下りてしまいました。道路は頭山との間にあるさざなみ街道で、頭山側に水茎岡山城の石碑と石の説明板がありました。降りてくる途中には曲輪らしき場所もありましたが、藪になっていました。
以前から気になっていた城址ですが、荒れているという情報がありましたので行くなら今の時期かなと思い行って来ました。かなり遺構はあるのではないかという印象ですが、倒木、倒竹が多く藪になっていてもったいない気がします。
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