すいけいおかやまじょう

水茎岡山城

滋賀県近江八幡市

別名 : 岡山城、水茎館、尾山城
旧国名 : 近江

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しんちゃん

登りは急! ゴム手袋を用意して行った方が良い (2024/02/11 訪問)

水茎岡山城は標高188mの岡山(大山)の頂部に築かれ尾根上に東西に遺構が残っています。南側にも遺構が有るようですが、状態が良くないので山頂の遺構を散策するのにとどめています。
北東に位置する水道施設に向かう急な階段を上っていくと途中から更に道が悪くなります。急な登り坂をトラロープを頼りに登って行くのでゴム手袋を用意しておかないと手のひらにダメージを受けてしまいます。城址は荒れ放題で正直、ここは城びとしか来てないんじゃないかと思います。上まで登りきって尾根上を西に移動して行くと、ほどなくして、かなり大きな堀切が見えてきます。その先にも曲輪があり南側には腰曲輪が配されています。さらにその先の堀切まで行き、この日は引き返しました。この周辺が主郭か二郭だと思います。
水茎岡山城は南北朝時代に佐々木氏によって築かれたとされ、永正5年(1508)室町幕府の11代将軍・足利義澄が六角氏被官の城主・九里信隆を頼って城に入った頃に本格的な築城が成されたとされています。また、当城で後の12代将軍・足利義晴が誕生したとされ、同年に足利義澄が帰洛を果たせぬまま、ここで亡くなったとされています。

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todo94

近江の城めぐり⑪ (2024/03/09 訪問)

近江の城めぐり2日目です。ホテルの朝食をいただき、栗東で給油してから向かいました。近江八幡は夜間に雪が降ったようで登城路にもうっすらと雪が積もっていました。とある煩悩の登城目録さんのような荒業は、藪が濡れそぼっている状況ではあきらめざるを得ません。それでも堀切を越えて主郭にはたどり着けたのではないかと思います。来た道を引き返しましたが急坂で足を滑らせしりもちをついてしまいました。

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足利義澄 (2024/02/08 訪問)

 京都から逃れてきた室町幕府11代将軍足利義澄がここで病没したと伝わる城です。琵琶湖には近代以前は多くの内湖があり、この城も内湖が堀の役割をしたと考えられています。浮き城のような感じでしょうか。
 特別養護老人ホーム水茎の里の近くに名勝水茎岡の石碑があり、その横の長い階段が登城路です。只管階段を上り、配水場を過ぎると少し荒れた山路になりますが、すぐに城域となります。トラロープが張ってあり、道を逸脱しなければ迷うことはありません。歩いていて北側を見ると削平地があり曲輪が存在していることがわかります。少し降りてみました。縄張り図を見ると多くの曲輪があり竪堀もあるようですが藪になっていて倒木、倒竹等もあり散策は困難で断念しました。堀切を越えて主郭らしき場所まで行きました。通路以外はほぼ藪です。ここで引き返すつもりでしたが、その奥にもトラロープが続いています。行けるところまで行ってみようと思い、トラロープを頼りに降りて行きました。ほぼ藪の中を歩くことになりました。途中、トラロープが途切れていて引き返そうとすると木に付けられているピンクリボンを発見。そこであきらめればよかったのですが、ピンクリボンの場所へ行くと途切れていたはずのトラロープの続きを発見してしまい藪になっている所を、トラロープを頼りに舗装された道路まで下りてしまいました。道路は頭山との間にあるさざなみ街道で、頭山側に水茎岡山城の石碑と石の説明板がありました。降りてくる途中には曲輪らしき場所もありましたが、藪になっていました。
 以前から気になっていた城址ですが、荒れているという情報がありましたので行くなら今の時期かなと思い行って来ました。かなり遺構はあるのではないかという印象ですが、倒木、倒竹が多く藪になっていてもったいない気がします。

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ぴーかる

名勝の地が荒れて (2023/02/04 訪問)

【水茎岡山城】
<駐車場他>名勝水茎岡碑前に数台駐車可能。
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切・土塁
<感想>水茎岡山城は南北朝時代に佐々木氏が琵琶湖の警備の為に築城したとされます。1508年に室町幕府11代将軍足利義澄が都落ちして城主の九里氏(六角氏被官)に頼ったことで本格的な築城・改修が行われたようです。12代将軍足利義晴はここで誕生し、足利義澄はここで病没します。足利義晴は播磨赤松氏の置塩城に移り庇護を受けます。城主久里氏は主君の六角氏に誅殺されたことから争いが起こり1525年落城廃城となったようです。
 名勝水茎岡碑から登りにくいですがコンクリート階段があり中腹上まで楽に行けます。立入禁止の柵のある更地の奥から山道に入ります。まず笹がなぎ倒れた箇所がありますので頑張って越えます(雪が積もって大変でした)。そこからロープを使って切岸を登ると土塁上に出ます。ロープがありますのでそれに沿って進めばいいです。左手下段に曲輪があり仕切り土塁で仕切っています。堀切も2・3か所程あり見応えあります。最奥の堀切を越えた所から笹薮が身長程鬱蒼と立ちはだかって前へは絶対無理な状況でした。Google地図の位置状況でちょうど水茎岡山城の位置でしたので多分そこが主郭かと思います。西からのルートがあればアプローチできるかもしれません。主郭と思われる堀切下の曲輪は竪堀が通り、土塁囲みで見応えがありました。
 名勝の名はどこへやら、かなり荒れていました。しかしきちんと整備すれば見応えある遺構が沢山あるいい城跡なのに勿体ない。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 九里信隆
築城年 永正5年(1508)
主な城主 九里氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堅堀、切岸
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県近江八幡市牧町
問い合わせ先 近江八幡市役所総合政策部地域文化課
問い合わせ先電話番号 0748-36-5529