水茎岡山城は標高188mの岡山(大山)の頂部に築かれ尾根上に東西に遺構が残っています。南側にも遺構が有るようですが、状態が良くないので山頂の遺構を散策するのにとどめています。
北東に位置する水道施設に向かう急な階段を上っていくと途中から更に道が悪くなります。急な登り坂をトラロープを頼りに登って行くのでゴム手袋を用意しておかないと手のひらにダメージを受けてしまいます。城址は荒れ放題で正直、ここは城びとしか来てないんじゃないかと思います。上まで登りきって尾根上を西に移動して行くと、ほどなくして、かなり大きな堀切が見えてきます。その先にも曲輪があり南側には腰曲輪が配されています。さらにその先の堀切まで行き、この日は引き返しました。この周辺が主郭か二郭だと思います。
水茎岡山城は南北朝時代に佐々木氏によって築かれたとされ、永正5年(1508)室町幕府の11代将軍・足利義澄が六角氏被官の城主・九里信隆を頼って城に入った頃に本格的な築城が成されたとされています。また、当城で後の12代将軍・足利義晴が誕生したとされ、同年に足利義澄が帰洛を果たせぬまま、ここで亡くなったとされています。
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