おおたわらじょう

大田原城

栃木県大田原市

別名 : 龍城、龍体城、前室城
旧国名 : 下野

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小城小次郎

震災の記憶 (2025/02/15 訪問)

2012年に訪れた際には土塁に大きな亀裂が入りベンチも傾いていたが、今ではそんな過去も忘れてしまいそうなくらい元の姿を取り戻している。でも土塁上の復興記念碑がきっと震災の記憶を伝えてくれるのだろう。
(写真は一枚だけ2012年当時のもの)

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しんちゃん

世渡り上手。 (2024/09/18 訪問)

大田原城は天文14年(1545)大田原資清によって築かれ、明治4年(1871)の廃藩置県に至るまで大田原氏の居城でした。なかなか世渡り上手な一族で、豊臣秀吉、徳川家康と時の権力者に信頼されてきたのも長持ちの秘訣のようです。石高は1万1千石で、本来は城持ち大名の格ではないのですが奥州の大名への押えとして重視され、三代将軍家光からは常時玄米一千石を城中に貯蔵するよう命を受けています。
現在は龍城公園として整備されています。本丸の北に北城(北曲輪)があり、その先にも曲輪があります。東には蛇尾川が流れ、南に二の丸があり、三の丸は南の麓にあり御殿が築かれていたようです。北城・本丸・二の丸には土塁が残り、本丸の土塁はかなりの高さがあります。本丸と二の丸の間には空堀があり、その空堀は本丸の周囲に続いています。明治まで長く持ちこたえた城だけあって、遺構も多く残っていて、なかなか見ごたえがあります。

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城好きのメガネ

「大田原城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
大田原城は、1545年頃に大田原資清が築いたとされる。大田原氏は関ヶ原の戦いで東軍に属し、功績をあげ1万2000石を立藩する。徳川家光の時代には千石倉を城内に築かせ、奥州への備えとした。戊辰戦争では新政府側に属し、大田原城は会津攻めの拠点となる。廃藩置県まで326年間を大田原氏が治めた。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)が遺されている。


<アクセス>
JR西那須野駅 バス 龍城公園前下車 徒歩10分

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赤い城

戦国期から江戸時代までずっと (2023/02/18 訪問)

龍城公園に広い駐車場があります。
三日月堀を経て坂下門から二の丸方面に登って行きました。
途中に空堀を見ることができます。
二の丸と本丸の間に土橋がかかり、本丸には虎口から土塁が一周しています。
もちろん土塁といえば上を歩くなので一周してみました。
高さもあり、良い土塁でした。
本丸北側には北曲輪が2つあり、その間は土塁で区切られています。
北東を流れる蛇尾川沿いの龍体山に大田原氏が築いた城です。
大田原氏は江戸時代になっても国替えがなく300年以上この地を治めていました。
公園となった今では市民の憩いの場となり、この日も若い女性のグループが映え写真?の撮影で盛り上がってました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 大田原資清
築城年 天文12年(1543)
主な城主 大田原氏
廃城年 明治6年(1873)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(大田原城跡)
再建造物 説明板
住所 栃木県大田原市城山2
問い合わせ先 大田原市生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0287-98-7115