つばたじょう

津幡城

石川県河北郡


旧国名 : 加賀

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しんしんちゃん

歴史は古く、廃城まで多くの者達に使われている。 (2021/11/19 訪問)

津幡城はかつての津幡小学校跡に建てられていて、周囲の建造物や
グラウンド一帯を含む丘地の上全体が城跡だったと思われます。
中央にある石碑のある小岡は物見台のようにも見え、その下側が
駐車場になっています。朝駆けで訪問しているので、城跡に建てられた
津幡ふるさと歴史館「れきしる」は訪れていません。
城域内には為広塚や清水八幡神社があり、八幡神社の階段を下りて
下から見上げると高低差によって城址の雰囲気を感じ取ることが出来ます。
津幡城の歴史は古く、平維盛が寿永2年(1183)倶利伽羅峠の戦いに際して
この地に砦を設けたことに始まるそうです。
天正4年には一向一揆が立てこもって戦いましたが、天正9年(1581)柴田勝家に
攻められ落城したと有ります。
天正12年(1584)前田利家が築城し直して、弟の前田秀継に守らせたとあります。
9月に、末森城が佐々軍に包囲されると、それを救出するための軍議が
ここで開かれたとされています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:津幡城 (2022/08/01 訪問)

森城からの転戦です。説明板前(36.673858、136.734328)に路駐しました。

1183年(寿永2年)木曽義仲の軍を迎え撃つ為に、平家軍の平維盛が、小高い丘に砦を設け布陣したことがはじまりと云われています。
1190年(建久元年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城としました。その後、1351年(正平6年)富樫氏春が籠って桃井直常と戦ったそうです。
1576年(天正4年)から一向一揆が立て籠もっていましたが、1581年(天正9年)織田方の柴田勝家らに攻められ落城しました。
1583年(天正11年)前田秀継が築城し居城とし、1584年(天正12年)末森城合戦の時、ここで前田利家と秀継は末森城救済の軍議を開いたそうです。
1585年(天正13年)前田秀継は越中国今石動城の守将となり、後に越中国木舟城へ移りましたが、地震により没しました。

物見櫓跡と呼ばれる土壇に城址碑が建てられており、その手前に説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=堅田城に向かいます。

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じゅんじん

小高い丘 (2006/08/24 訪問)

歴史の舞台?

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todo94

城址碑 (2014/07/28 訪問)

櫓台状の小山の上に目立たない城址碑があるくらい。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 平維盛
築城年 寿永2年(1183)
主な改修者 前田利家
主な城主 平惟盛、津幡氏、富樫氏、前田秀継(前田氏家臣)
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪
指定文化財 町史跡(津幡城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 石川県河北郡津幡町字清水
問い合わせ先 津幡町役場
問い合わせ先電話番号 076-288-2121