令和初日はやっぱり新幹線や特急の指定取れなかったので、普通列車で群馬県攻略に行ってきました。
以前訪問しようとして、新前橋駅で電車遅延に加えてレンタサイクルの場所がよく解らずに訪問断念した群馬総社城にリベンジです。
群馬総社駅から城域に向かう途中、川のところに総社城西木戸跡の解説と石碑があり、
更に総社城の遺構としては先にある熊谷稲荷神社の高台が土塁、更にその先にある遠見山古墳が物見櫓跡である模様。
主郭と思われる場所には何もありませんでしたが、周辺に総社城の関連するものが転在しております。
更にそこから北に向かったところに、総社城城主だった秋元氏の菩提寺・元景寺があり、そこには秋元氏のお墓および淀殿の供養塔も存在しておりました。
「大坂夏の陣の戦火の中、総社城主・秋元長朝の陣に立派な着物を着た半狂乱の女性が命乞いに現れ、その美しい姿や口調から淀君だと察し、密かに駕籠に乗せ上野国総社に連れ帰った。
幕府に対して淀君を匿っていると知れる訳にはいかず、大橋の局御縁と呼んで総社の地で暮らした。」
っていう話があり、それが淀殿の供養塔がある理由とされております。
秋元氏のお墓の横に「戌」という名の方のお墓(供養塔)がありますが、これが淀殿の供養塔とされているとの事です。
まさかそんな話があったとは・・・豊臣秀頼や真田信繁が鹿児島に逃れて生きていたとされる話に似てますね。。。また一つ勉強になりました(・∀・;)
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