奈良大学千田嘉博先生のお城探偵シリーズ産経新聞令和元年7月9日の記事にどきっとしまして当初より今回の駿府城天守台発掘調査で大御所の天守台の下に中村一氏の天守台発見と有り、合わせて多数の金箔瓦も発見、新聞、静岡文化財課の広報、配布資料も中村一氏、秀吉の城とうたい、てっきり秀吉の城の金箔瓦と思って居たのですが、信長の金箔瓦、秀吉の金箔瓦の違いも分かっていたのですが当初情報先入観か「秀吉の金箔瓦か」と思い込んでました。
千田先生の記事によると発見された金箔瓦が信長の金箔瓦の特徴があると凹面に金箔と有りと新聞写真に載って居り本日三の丸発掘現場説明会の帰りに展示して有る「発掘情報館きゃっしる」に寄って確認と寄ってきました、現地サンプルは数が少なく、金箔の残渣が少なく良く解りませんでしたが凹面にも金箔が残っており、凸面にも金箔が残ってるサンプルが有りました。
先生の説による家康が浜松城から駿府城に移った時期天正12年~13年から小田原征伐後の関東移封の天正18年の5年間に家康金箔瓦が有ったのではないか、当然信長の金箔瓦も家康は知ってると。
今後調査が進み益々精度が上がって来るでしょう、益々楽しみですし、今回の事も含め仮称駿府城博物館の完成が待たれます。
今回現地で見た金箔瓦はサンプルが少なく、金箔が薄く写真に撮り添付する事が出来ませんでした、文化財課に保管されてる金箔のよく残ってる瓦の展示がされる様になれば分るでしょう。
添付写真は天守台発掘調査現場の写真、二の丸御門、二の丸きた門を添付します。
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