国史跡の北畠氏庭園は紅葉のライトアップが始まっているようだったが、まだ色づき始めというところ。今回はここから、霧山城を目指したが、おかげで、北畠氏館の詰城をチェックすることができた。
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2018/11/16 06:18
続日本100名城スタンプ67個目 (2018/11/11 訪問)
国史跡の北畠氏庭園は紅葉のライトアップが始まっているようだったが、まだ色づき始めというところ。今回はここから、霧山城を目指したが、おかげで、北畠氏館の詰城をチェックすることができた。
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2018/11/16 00:30
2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)
佐敷城から国道331号で西へ。与那原町に入ったあたりの西側の丘陵に大里城址公園があり、島添大里城(しましぃおおざとぐすく)となります。
なお、公園に駐車場があり、利用することができます。
公園として整備された際、どこまで改変されたかは判りませんが、石垣が確認できます。
今回は、時間切れで行けませんでしたが、島添大里城の出城とされ、展望台になっているミーグスクが近くにあります。
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2018/11/15 22:17
朝倉城
土佐七雄・本山氏の勢力伸長拠点として防御性・居住性ともに優れたお城に仕上がっていたが、永禄年間に長宗我部氏に攻略され敢え無く炎上。
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2018/11/15 22:08
堀や土塁で構成された城跡を丁寧にご説明いただけます (2018/11/01 訪問)
史跡公園になっている飛山城址です。
整備されていてきれいな堀、土塁を見ることができました。
史跡公園というだけあって、自然に残る遺構の荒々しさや尊さはないかもしれませんが、往時を思わせるきれいな土塁や堀はそれで構成された城を容易にイメージすることができると思います。
また丁寧な案内板も多く設置してあるので、わかりやすく大変勉強になりました。
私のような城跡を巡りながらその知識を深めていっている者にはありがたい公園でございました。
改めて勉強になりました。
ちなみに堀と空堀の数はかなりありますよ。
堀も畝り堀や障子堀など、色々な種類があるので飽きずに見学できました。
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2018/11/15 20:34
戦国時代の釣り。 (2018/11/11 訪問)
愛宕山砦跡があります。
早稲田高等学院の塀の辺りです。
太田道灌が石神井城を攻めた時に築城したらしいんです。石神井城から500㍍位しか離れていない場所で大胆な工事してくれました。
近くに川があり意外にきれいな水質。
戦国の方達は釣りってしたんですかね?
鷹狩やお茶、連歌は本を読んでいると出てきますが釣りはどうだろう?
釣りする武将が想像できません。
砦跡よりも川を見ている時間の方が長かった散策でした。
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2018/11/15 19:05
日帰りでも行けました (2018/10/25 訪問)
急遽休暇が取れたので、思いきって日帰り遠征を決行し、新幹線に乗る為に新横浜へ・・・京都駅からは近鉄線で大和西大寺まで特急を使用し、そこで乗り換えて近鉄郡山駅へ。
思いの外アクセス良くて、日帰りでも十二分に堪能できました(^ω^)b
最初に豊臣秀長の菩提・大納言塚を見学し、その足で大和郡山城へ向かいました。
以前車で訪問した時は天守の石垣再建工事していて立ち入れなかったのですが、そこの工事は完了していたので晴れて天守の見学が出来ました。
最上段から見下ろすと石垣の凄さと水堀のダイナミックさが融合した風景が見られます。
ちなみに石垣工事は継続していて(以前の訪問が2015年3月21日・・・その時から工事継続していたとすると・・・長いな(汗))、現在は当時本丸エリアと東のエリアをつなぐ橋があった場所の石垣の工事をしてました。
建造物は東エリアに集中してまして、門とか櫓とかを楽しむ事が出来ます。
(以前訪問した時には門の周りでデッサンする人の群れがいて、ものすごく見学し辛かった(汗))
続100名城スタンプの頂ける柳沢文庫の場所がちょっと解り辛いのでご注意を。
余談ですが、ここから南東にある源九郎稲荷神社にて、過去に数日だけ存在した発泡スチロールで造られた幻の天守閣の写真を拝見させて頂けました。
そういう風に見えない程精巧につくられてましたよ(驚)
神社仏閣巡りをしていると、こういう僥倖に巡り合えるケース結構多いので、得した気分になれます(^_^)
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2018/11/15 07:50
大河撮影場所 (2018/11/11 訪問)
戸倉の低山に構えた山城、櫓とか柵もよいが、やっぱり石垣
この平石積みはなかなか見れない。
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2018/11/15 06:41
続日本100名城スタンプ66個目 (2018/11/11 訪問)
2009年11月以来、9年ぶりの再訪。春日門跡の石垣が残る春日神社を目指して、重要伝統的建造物群保存地区の町並みを散策。残念ながら春日神社からの登城路は倒木があり通行止めになっていた。ひきかえしてスタンプ置き場の千軒舎脇からの整備された登城路で本丸へ。二の丸には立ち入りできなかったので本丸天守台から眺めただけであるが、雀門跡近くの空堀などの遺構は十分に楽しむことができた。
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2018/11/15 00:53
2018/11/15 00:49
2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)
知念城から国道331号で半島を回り込む形で進み、佐敷小学校の手前の鳥居の道を上がったところに月代宮があり、佐敷城址となります。
国の史跡に指定されているものの、解説板のみで遺構らしい遺構が見当たりませんでした。
に出て少し茅野方面に戻ったあたりに上原城址へ登る林道があります。
海を見下ろす高台に位置していることが城址だったことを感じられる唯一のものです。
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2018/11/15 00:16
所在地となっている「金宝寺」は,蒲原津の底部。 (2018/11/14 訪問)
蒲原津は元来,南側に信濃川河口,北側に阿賀野川河口を合わせ持ち日本海に突出していた河口港であり,水運の拠点でもありました。信濃川の対岸側(左岸)は,新潟津。阿賀野川の対岸側(右岸)は,沼垂湊。蒲原津,新潟津,沼垂湊で「3か津」と呼ばれていました。
南北朝時代,新潟津の覇権は南朝側(天神山城の小国氏)で,沼垂湊の覇権は北朝側(加地城の加地氏)。蒲原津の争奪戦を4回。北朝側勝利。金宝寺は廃棄。
天正9(1581)年,越後平定に動いていた上杉景勝が木場城を造り,占拠していた新発田城の新発田氏を滅ぼしてこの地の制圧に成功を収めます。のちに金宝寺を再建。
これで安泰かと思いきや,新潟市内の土壌は基本砂浜。河口港ということで自然災害のたびに地形変化の憂き目に遭いました。そして,とうとう延暦年間(1673-1681年)に蒲原津は洪水で流され廃港になりました。
近代に入り,阿賀野川河口は約15km北側に変更されてます。また,信濃川は大河津分水で日本海に分流され,さらに関屋分水路で再び日本海に分流されてます。関屋分水路から現在の信濃川河口までは,埋め立て案も浮上したことがありましたが,回避して現在の形になっています。
《参考文献:新潟市「新潟市の歴史」》
ここで,個人的疑問がありまして,南北朝時代の金宝寺,天正9(1581)年再建時の金宝寺,そして現在の金宝寺は同一場所と言えるのかどうか?
新潟在住ということもあり,蒲原津全体を視野に入れた散策を決行しました。
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2018/11/14 23:36
東北三大石垣の城 (2017/05/03 訪問)
ゴールデンウィークに行ってきました。岩手県をいろいろ観光した後、盛岡城に向かいました。
盛岡市街地を走っていると急に立派な石垣が現れて思わず「すげー」ってなりました。さすが東北三大石垣の城と言われるだけあって圧倒されました。(ちなみに後二つは地元福島県の会津若松城と小峰城です)
主な城主は有名な南部氏!後に石川啄木などがこの盛岡で生まれています。築城期間は結構かかっていて、とても難航したそうです。でもその苦労のおかげで今の立派な石垣があるのだと思います。
また、僕の行った時はゴールデンウィークでほぼ桜が散っていたので春に来ると良いのかなと思います。
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2018/11/14 23:32
空には飛行機雲。山からは銃声。 (2018/11/11 訪問)
飯田線「木ノ下」から徒歩20分くらいです。
県道から斜めに入る道から行こうとしたら「福与城コッチ→」の案内板が小学校の横の坂を上がれと示していたので素直に従ったら、ものすごく遠まわりでした。
調略にのらずに自分の信じた道を進むべきだと反省しました。お車の方はどちらも通れますが、住民ルールがあるかもしれないし、遠まわり道の方が広くてよろしいかと思います。
福与城は信玄さんの伊那侵攻で焼かれてしまいました。が、信玄さんはそのまま放置することなくちゃんと鍬立てして復活させています。焼いておしまいじゃ意味ないですものね…。
そのおかげか、素晴らしい遺構に出会えました。屋敷群、南城、二の郭、北城と段々高くなって一番上に主郭。主郭からは下界が全て見渡せます。
主郭を囲む堀はかなり広くて深くて、ここに降りて見上げると、主郭がさらに高いところにあるように見えました。っていうか、高すぎて全然見えません。
土橋には巨大トンネルが貫通しており、どんなに視線を外そうとしてもつい目がいってしまいます。殿島城にも土塁トンネルがあったし、伊那地域は既存のものを転用する発想がきっと豊かなのだと思います。信玄さんの改修魂を受け継いでいるのかも⁉︎
このトンネルをくぐると二の郭につながります。その先には北城。北城から主郭へは階段で登れます。つまり、飽きるまでいつまでもぐるぐると一方通行で城内をまわれます♪
土塁や技巧的な虎口は見当たりませんでした。ほぼ居館っぽいので大堀だけで充分⁈
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2018/11/14 20:18
トレセンの近く (2014/12/28 訪問)
有馬記念で賑わっている2014年12月28日、偶然にもJRA美浦トレセンの近くにある木原城にやってきてました。
地図では近くにバス停が見当たらない為、公共交通機関での訪問は難しいかと。。。そのかわり無料駐車場あるので車なら安心です。
城址は公園化されたエリアとそうでないエリア(田畑等)に分かれていて、公園化されていないほうに深い堀とか土橋とか土塁があり、こちらは見応え十分です。
逆に虎口を抜けた公園側は遊具や展望台(矢倉風展望台・・・て書いてあった(笑))はありますが、公園化の為に堀が埋められて舗装されてしまっております。
(堀のあった場所の表記はされているので・・・親切なんだか、やっちまったんだか・・・w)
ただ、純粋に公園で遊びたい子供にとってはウハウハな場所かもしれません(遊具も結構豪華だった)
家族連れで訪問するのに良い城址ってところでしょうか。
季節問わず見学しやすそうではありましたが、やはり藪蚊と藪化を考えて冬から初春の訪問がオススメかと。
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2018/11/14 20:02
近江高島 (2018/11/13 訪問)
駅周辺がさみしい
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2018/11/14 19:59
2018/11/14 19:57
蒲生氏 (2018/11/14 訪問)
中野(日野)城址寄ったついでに、隣のダムによってカードゲット
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2018/11/14 19:03
木曽義仲の子供時代。 (2018/10/27 訪問)
どこかの城跡に行く途中にあった大蔵館跡。
その時は写真を撮って、散策に時間をかけませんでした。
後で調べてみると木曽義仲公のお父さんの館跡でした。
大蔵合戦があり駒王丸(義仲)は木曽に逃げたそうです。
「平家物語」でも「源平盛衰記」でも「吾妻鏡」でも木曽義仲公の名前は出てきます。
こんな有名人がいたとは!
と、簡単に大蔵館跡を見てしまった事を後悔してます。
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2018/11/14 18:10
城山 案内板 (2018/10/28 訪問)
城址は少し荒れてます。
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2018/11/14 18:08
土塁 (2018/10/28 訪問)
ここ撮影場所の直ぐ後ろは絶壁です、こちらからは攻められないでしょう!
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