松阪城に行ってきました‼️
石垣が立派で、天守台石垣もかっこよかったです。
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2019/04/06 06:50
松阪城登城‼️ (2019/04/05 訪問)
松阪城に行ってきました‼️
石垣が立派で、天守台石垣もかっこよかったです。
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2019/04/06 06:46
伊賀上野城登城‼️ (2019/04/05 訪問)
伊賀上野城に行ってきました‼️
天守が復元されていました。
高石垣はびっくりするほど迫力がありました‼️
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2019/04/06 06:42
津城登城‼️ (2019/04/05 訪問)
津城に行ってきました‼️
櫓が復元させているのですか、内部公開はされていませんでした。
また、入徳門が復元されていました‼️
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2019/04/06 06:36
亀山城登城‼️ (2019/04/05 訪問)
亀山城に行ってきました‼️
三重県唯一の現存する櫓があり、とてもかっこよかったです‼️
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2019/04/05 23:38
一周するだけだけどすごい!! (2019/03/21 訪問)
城址公園入り口から二重の空堀の中を歩き、移築長屋門などを見学していると、左手に木橋がちらっと見えました。きっといちばんの見どころです。なので、最後のお楽しみにとっておきたいと思い、見なかったことにして、反対側に進みました。
土塁も堀も見通しが悪く、縄張図で見るより複雑な感じがしました。本丸を囲む堀は北コーナーのカーブが堪らなくカッコよかったです。暫しの堀底歩きのあと一旦堀から出て南郭へ。鬼怒川の眺めが素晴らしかったです。本丸搦手は技巧的で芸術的。二の丸東郭は薄暗かったですが広くて“雰囲気”がありました。
そしていよいよ本丸大手の木橋へ。木橋が掛かる東側は北側と同じ堀の中とは思えないくらい深くて「壁」もあって、物理的には歩けるはずなのだけれど、精神的、道徳的に無理。ここを歩く自分の姿を想像すると滑稽で情けなく、即刻退去命令を出したくなります。
氏家駅から徒歩30分程度、安心安全なお城です。
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2019/04/05 23:32
信玄公祭り (2019/04/05 訪問)
満開の桜の下で信玄公祭りが5日から7日まで開催されています。
メインイベントは、6日に行われる「甲州軍団出陣」です。信玄公役は俳優の山下真司氏、山本勘助役を塩野瑛久氏がつとめます。武田神社にて戦勝祈願式、舞鶴城公園から甲府駅前などを進軍するようで世界最大級の武者行列と公式ガイドブックに書かれています。
さらに来週12日の信玄公の命日にも武田二十四将騎馬行列が行われるようです。凄いですね。
また本日5日、武田神社前に「武田氏館跡歴史館」
が開館したようです。これまでの発掘調査の成果などを紹介する施設らしく、10時頃確かにセレモニーをしていました。全く知らなかったので次回の訪問時に立ち寄りたいと思います。復元整備の事業も進められ、楽しみですね。
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2019/04/05 22:35
2019/04/05 22:18
2019/04/05 22:01
鳥羽城登城‼️ (2019/04/05 訪問)
鳥羽城に行ってきました‼️
三ノ丸広場の石垣がすごく迫力がありました‼️
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2019/04/05 20:38
No.174 大内氏館 (2019/04/04 訪問)
山口県山口市にある、大内氏館へ行きました🚙💨
大内氏館は現在ある龍福寺の境内と一致する敷地に堀や土塁で囲まれていたそうです( ゜o゜)
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2019/04/05 20:35
No.174 高嶺城 (2019/04/04 訪問)
山口県山口市にある、高嶺城へ行きました🚙💨
高嶺城は軽自動車が通れる道を電波塔がある場所まで進み、そこから500メートルほど登った所にあります( ・∇・)
スタンプ設置場所は山口市歴史民俗資料館にあります(^_^)
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2019/04/05 20:15
城攻め、遅かった! (2019/03/09 訪問)
昨日の「寿能城」の後、「松野氏館」に行きました。
こちらは岩槻城主の太田氏の家臣、松野氏の館跡です。
やはり、秀吉さんの小田原征伐で松野氏は豊臣軍に降ります。
「松野氏館」は鎌倉公園です。
鎌倉という名前が歴史を感じさせると思いましたが住宅街の公園でした。
案内板があり土塁や空堀が残っているとあります。
いや、現在は、ほんのちょっと残っているみたいです。
車を無理やり駐車したので見所満載ならば近くのパーキングに停めて来ようと思ったのですが、、、
次の目的地に移動しました。
ネット情報によると数年前まで遺構が残っていたそうですが宅地化により消滅したそうです。
やはり少し高台にある「松野氏館」。
来るのが遅かった!ごめんね、松野氏!
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2019/04/05 20:04
王道ルートですね (2019/03/31 訪問)
ほとんどのお城ファンの方が通るであろう、飯盛城から野崎城を通過する王道ルートで攻めました。
飯盛城から結構下ったと思ったんですが・・・意外と高所にあるんですね(汗)
遺構は曲輪が数ヶ所と堀切1ヶ所しかないですが、その堀切と思われる場所では子供達が遊んでいて撮影をはばかりました。。。
子供達、アグレッシブですな(汗)
一応解説版と城碑が主郭部にあるので、寄って間違いは無いと思います。
飯盛城から結構な距離ある事、一旦舗装道路に出た後再びの登りがある事でちょっと萎えるかもしれませんが、めげずに進みましょう。
今のシーズン桜満開だったので、野崎城の麓にある野崎観音には沢山の方が参拝にいらしてました。
今週が桜を見れる最後のチャンスかもしれませんね~
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2019/04/05 17:49
2019/04/05 16:01
2019/04/05 15:33
2019/04/05 14:30
2019/04/05 14:01
出羽路城巡り初登城 (2018/04/15 訪問)
昨年4月2泊3日の山形県未踏の城巡り初日朝早く米沢城の前に初登城、生憎の小雨状態でしたが登城口に舘山城保存会が有り立ち寄り情報収集、幸いの事に保存会にいらっしゃった方が一昨年城郭情報部さんブログで知った「舘山城ハンドブック」を手配し入手で世話になりお便りを頂いたご本人と知り話が一層弾み更にお茶お菓子の接待にも預かり感謝です。
初登城土の平山城、伊達政宗生誕の城と大看板、北、南に川で挟まれ半島状の絶壁を巧みに取り入れ平地を館を南北に丘陵部は山手側を二重大堀切で遮断近世城郭の造りです、遮断土塁の規模の大きさに感激です、米沢城の賑わいに比べ私一人の探訪でした。
隠れた名城が有る物だと大感激、帰りに保存会の人と話しこんで仕舞う程、ありがとうございました。
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2019/04/05 11:58
高山右近と海城の面影を探る。 (2019/03/31 訪問)
枝吉城へ行ったついでといいますか、高山右近つながりということで、日も暮れかかっているけど近所だし、行くっきゃないでしょう、船上城。
ということで、およそ10年以上振りの船上城を散策してきました。
明石警察署の裏手に公園がありまして、非常にわかりやすい説明板があります。今回はこれをもとに歩いてみました。
さぁ、いざ本丸へ!と思って説明板を見ると、
『私有地につき、立ち入りはご遠慮下さい』
と。
昔は畦道を通って普通に入れたんですけどねぇ…残念。
とりあえず公園から本丸跡を一望できますので、これにて我慢。
本丸跡は戦後に農地としてゴリゴリ削られながらも一画に祠が祀られて一部だけ残っております。
なぜここに祠が祀られているのか?ここが天守跡だから辛うじて残されたのかと勝手に邪推してみる。はい、何も根拠は御座いませぬ。
城の面影を残すものといえば、あとは本丸跡のすぐ横を流れる古城川でしょうか。これは当時の内堀の跡なんだとか。これを下流側に辿っていけば古波止(当時の船留場跡)になるようですが、これまた例によって宅地化されまくって何も残っておりません。
ただ、何となく痕跡っぽいものもいくらかあります。
高山右近が教会として使用した宝蔵寺や不自然な道の付き方(虎口の跡?)などがあります。
しかし、説明板にあった土塁跡は最後まで判らず。(望海浜公園北端辺り?)
そして暗くなってきた上にカメラの充電も切れてしまい、タイムオーバーでございます。
せめて要所要所に場所を示す説明書きは欲しかったなぁと思うのは贅沢でしょうか(泣)。
そして、もうちょっと下調べして、次は出羽殿堤とかもう少し細かく探訪してみようかと思います。
リベンジだ!
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2019/04/05 10:52
明石氏の本拠地。 (2019/03/31 訪問)
尼崎城に後ろ髪を引かれつつ向かったのは、今回初登城となる枝吉城です。
枝吉城跡へは、まずは吉田郷土館を目指しましょう。で、そこで車を止めさせてもらいましょう。
その吉田郷土館の裏手が城山と呼ばれる所。そこが枝吉城跡なのです。
城跡へは、郷土館の敷地内か、隣にある神本神社の社殿の裏手から登ることになります。
郷土館側の登り口から入ったのですが、桜が何本か植わっていて、こちらは六分か七分咲きでして、とても綺麗でした。
城跡へは割と急な細い道を歩きます。台地上に築かれた所謂『丘城』なので直ぐに登れるのですが、攻め手にとっては何気に急斜面です。当時は周囲を広い幅の水堀で囲んでいたようで、宅地化される前は池として残っていたそうです。地形を巧みに利用した城だというのがわかります。
登った先は細長い台地となっていました。ここが本丸の一部で、説明板を見る限りでは、宅地化によってかなり大規模に削られて、今では東側の三分の一程度しか残されていないんですね…。でも、周辺の状況を見る限り、本当は完全に破壊され尽くされてもおかしくない中でここだけでも辛うじて残してくれたのは、むしろありがたいと思わないといけないかもしれませんね。形あるもの、無くなれば二度と戻ってこないわけですから…。
あと、土塁の一部が微妙な高まりとなって残っています。
ちなみにここ、高山右近が船上城を普請するに当たって一時的にここに入っていたそうです。ここから船上城までは車で10分程です。
城跡の東側すぐ下に神本神社がありますが、神社由緒によるとここは明石氏の居館跡とのこと。
しかし個人的には少々疑問符が。
枝吉城から北に1,5km程、車で3分程のところに『下津橋城跡』があります。城びと未掲載のお城ですね(←ココ重要)。
200m四方の城館だったようで、現在は跡地に宗像神社が鎮座しておりますが、社殿の裏手に土塁が鎮守の森として残っています。コンクリートで護岸を固められた堀らしき跡もあります。周辺は例によって住宅地となっています。
実はこちらが明石氏の平常時の本拠地だった説もあります。
こちらも枝吉城、神本神社共々セットで訪れてみてはいかがでしょうか?
明石氏といえば、かの『源氏物語』に登場する明石入道が明石氏の始祖だそうな。
その明石入道の娘が、後に光源氏と契りを結ぶ明石の上です。
明石氏は平安時代からすでに、この地域で幅を利かせてたということでしょうか。
ちょっと面白い話だなと思いまして、ご紹介させていただきました。
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