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刑部

公園にある案内板 (2018/10/28 訪問)

ここに来るのに少し迷いました、ナビにない新しい道を行ってしまったので戻り旧道から行きました。旧道からでないと行けないようです。

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平馬

滝山城址 (2018/11/14 訪問)

戦国時代の城址で案内標識もありわかりやすかったです。

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モト

手軽に土塁、空堀、虎口といった要素が楽しめる城跡 (2018/11/01 訪問)

城跡の規模は小さいですが、本郭を守る土塁や空堀を見ることができます。
車を停めて畑の奥の城跡へ行くと、そこが城跡だと明らかにわかる空堀が見えます。
近づいて空堀を眺めるとこれまたすぐ虎口だとわかる入り口も発見です。
郭の中は所有者の方が整備してくれているのか歩きやすいように整備してくれておりました。
小さいながらにも土塁、空堀、虎口など城跡のよだれが出る要素が揃った城跡でした。

駐車場はない為に集会所の前に少し停めさせてもらって見学してまいりました。

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todo94

続日本100名城スタンプ65個目 (2018/11/10 訪問)

16時までにスタンプ置き場の高山神社に到着するために、昨年ただ1つ残してしまった「伊賀・亀山・津・松阪・鳥羽 城郭めぐり」の鳥羽城は、スタンプだけ捺して城はパス。松浦武四郎の生家もパスして津城に向かったが、途中、渋滞もあり高山神社の社務所に到着したのは16:03。まだ、鍵を閉められていなかったのでスタンプを無事、捺させて頂くことができた。城内を一通り散策して高山神社に戻ったときには完全に閉まっていた。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

垣花城から国道331号に出て、北東へ進んで行くと知念城の案内板が出ています。案内通りに進むと駐車場があり、そこから少し下った場所に知念城址があります。
遺構としては、アーチ門がある高い城壁が残っており、圧巻です。また、海側の崖にも石垣があり、海を見下ろす眺望も楽しめます。

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にのまる

信玄さん攻める→のち、高遠城の支城か。 (2018/11/11 訪問)

なかなか攻略し難いけれど、沿線にお城がたくさんあって魅力がいっぱいの飯田線をこの日は北(岡谷)から攻めてみました。
1つ目が沢渡駅から徒歩30分くらいの殿島城です。「殿島城址公園」になっていて、入り口に櫓門風の入場ゲートがありました。
この門をくぐる手前に左右に延びる大きな空堀があります。右手ははっきりとわかる二重堀で惚れ惚れ♡萌え萌え♡です。
とりあえず空堀はおいといて門の中へ。土塁にガッチリ守られていました。西側の崖下には帯曲輪もあります。虎口の先は現在は住宅地ですが現役時代は二の丸に続いていたようです。
土塁にはトンネルが通っていました。もしかして宇都宮城的なあれかしら?と思って近づいてみたら🚻でした(^_^;)でも、このトンネルを抜けると空堀に出られます。ドラえもんのタイムトンネルの気分が少しだけ味わえました。
が、これだけでは少し物足りなかったので、二重堀にドボン!
狭い堀底道は反りたつ壁に両側から迫られ、高さがあるので周囲の景色もわからず、しかも下っていくのでだんだん足早になってきて、何から逃げているのかわからないけれど、何者かに追われている気分になってきました。
しばらく逃げ続けると小さな石碑のようなものがいくつも現れました。何と、観音さまの後ろ姿でした。たくさんの観音さまに導かれるように辿っていくと、着いたところはお寺(護国寺)でした。ここから「観音さまの道」が殿島城の二重堀に続いているのでした。先ほどの「物足りない気持ち」はこれでチャラです。今度は観音さまのお顔を正面から見ながら来た道を登って戻りました。
大した距離ではないので、藪漕ぎしなくてもいい時期にお出かけの際はぜひ堀に降りてみてください。

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小城小次郎

高知城

決死の覚悟で任地に赴いた山内一豊の想いを体現するかの如く、周到に入念に防御が施された、誠にお城らしいお城。完存する本丸建物群を含め、通好みの見どころ満載。

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びーこ

ギラギラ (2018/11/04 訪問)

キラキラの本丸御殿を見れるということで、ワクワクしながら中へ入ってみると、キラキラどころかギッラギラだった。当時と同じ素材と技法を使っての再現ということだが、あのギラギラ感は当時の何割増しかになっているはず(と勝手に思う)。
金ピカの襖に書かれた色鮮やかで表情豊かな動物たちの絵は、いつまでも見ていられるほどの充実ぶり。また、透かし彫りの欄間の細工はとても細かく、思わずため息が出た。でも掃除するの大変そう。
それにしても、これだけの復元をできる名古屋の財力といか程のものなのか?ついつい皮算用してしまう。

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カルビン

良城多在地帯です (2015/10/18 訪問)

太田原と言うと、どうしても超高級牛肉のイメージがありました(笑)
と勝手にヨ〇レ垂らしつつ太田原城に登城しました・・・そういえば大田原牛の名前聞かなくなりましたね。。。

朝一より車で訪問しましたが、どうも周辺は霧が発生しやすいらしく、この日も以前周辺を通った時も運転が危険なくらいの濃霧が立ち込めてました。
良質なお城多在地帯(羽黒城、高館城、佐久山城、川崎城、等々)ですので車で来る事がオススメではありますが、悪天候には注意しましょう。
(JR西那須野駅からバスでも訪問できる模様)

太田原城は大きな曲輪を軸とした、これまた大きな土塁や堀の存在するダイナミックなお城になっております。
しかも山城ではなく、軽い丘程度の高低差しか無いので、ものすごく見やすいお城でした。
(訪問したのは秋ですが、霧がまだ残っていた事もあって、ものすごく寒かった為にゆっくり出来なかったのが心残りですorz)


ちなみにここ太田原城から、先日upしました福島県の棚倉城まで車で1時間ちょっと(42km程度)だったので、頑張って足を延ばすのも良いかもしれません(但し山越えで道は狭かったので要注意)

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刑部

主郭部にこれ? (2018/10/28 訪問)

山に能見城址と大きく表示してるわりには遺構は見つかりませんでした残念! 麓から登って下って約30分くらいです。

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チェブ

どんぐり警報発令! (2018/11/10 訪問)

田波目城とも多和目城とも言われるお城。
案内板の右上に坂戸文化かるたの絵があります。

ち=「築城の時代も知らぬ多和目城。」
って、ずいぶん可哀想な扱い。
私が歩き回って感動してあげる!と意気込んで城跡散策開始しました。

い=「遺構はどこだ多和目城。」
ど=「土塁はないのか多和目城。」
多和目城かるたが作れそうです。
そんな事を考えていたら、どんぐりがバラバラ落ちてきました。靴の中にはイガイガの実も入ってしまいました。
多和目城、只今、乱破の奇襲体験ができます(笑)。

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刑部

本丸址 (2018/10/28 訪問)

想像してたより余り遺構が無かった、期待していたので 少し残念です。

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シゲコバ

見やすいですよ! (2018/11/11 訪問)

こじんまりしていますが、様々な要素が詰まっていて楽しみます。

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シゲコバ

山城、初心者です。 (2018/11/11 訪問)

山城、初心者ですが楽しめました。思っていたよりも広かったので、効率よく廻るように考慮して下さい。

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モト

深くて素晴らしい空堀と、本丸の土塁が見事でした (2018/11/01 訪問)

城址は公園として整備されてますし、広範囲ではないので見学がしやすかったです。
ただ、遺構は本丸跡を囲む空堀が深くて立派です。
堀底に降りて見おろすとなかなかの深さです。
また、掘がカーブして行く様も絵になります。
そのまま堀底を歩くと周りから矢で攻撃されて、なんて想像しちゃいました。
横に流れる川にも守られている城は、当時は堅固な城だったんだろうなって感じます。
本丸跡には囲む土塁と2つある虎口も雰囲気が満点です。
さくらミュージアム側の虎口の深い空堀にかかります橋の景色がgoodでした。

私はサクラミュージアム側と反対の池のある公園側から登城したのですが、どちらでも車は停められます。
最近、入り組んだり深い空堀にはまっている私にははたまらない城址でした。

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若様

和船 (2018/11/03 訪問)

姫路城の内堀を和船で遊覧してきました。いつも違う景色に少しの間、ゆったりと揺られておりました。

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刑部

高速道路横の城址 (2018/10/28 訪問)

高速道路の為に遺構を破壊されたのでしょうか?残念です! それでも、よくここだけ残してくれました。

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勝野武士

別所方を威圧した秀吉の本陣跡。 (2018/11/11 訪問)

天正6年(1578)3月から2年近くに渡って繰り広げられた三木合戦。秀吉の本陣として築かれたのが、この平井山本陣です。
発掘調査や文献などで確認された、三木城包囲網を構築すべく秀吉が築かせた30近くある付城群のうち、ダントツの最大規模を誇ります。

築城されたのは開戦の年の7月。織田方の総大将として参戦した織田信忠によって神吉城や志方城が相次いで落城した頃だといわれています。
8月、秀吉が入城。
10月、津田宗及を本陣に招いて、なんと茶会を催しています。余裕綽々ですね。
ところがその7日後、別所方の襲撃を受けます。が、返り討ちにしています。ちなみにこの時の戦で別所方の別所治定(別所長治の実弟)が討死しています。
また天正7年(1579)6月22日、この本陣において軍師竹中半兵衛が病により亡くなったといわれています。麓にお墓があるのもそのためです。
そして天正8年(1580)1月17日、三木城への兵糧攻めを中心とした壮絶な合戦が市内あちこちで繰り広げられた末に、別所長治ら一族の自刃により戦は終結。
この後、秀吉は戦後処理のために本陣を平井山から三木城近くの本要寺に移し、免租など三木城下の再興をおこなったのです。

さて現在、跡地周辺は観光ぶどう園があったりして車でのアクセスは割と簡単に行けるかと思います。登山口前には広い駐車スペースもあり、国指定史跡らしくきれいな説明板があります。その隣にはポストがあり、その中には三木市作成のパンフレットが入ってます。平井山本陣の縄張図と解説、裏面には三木城跡と周辺の付城跡群と土塁跡の位置を示した地図も詳しく載ってます。ありがたく頂戴しましょう。

登山口を入って少し登ると小さな祠があり、そこからが本陣跡です。少し広めの平坦地があり、その先を進むと尾根を利用して城道が作られています。そのすぐ横側には平坦地が斜面のあちこちに何段にも築かれています。こうした場所は兵の駐屯地となっていて、山中至る所にあるのです。虎口の跡も明確に残っています。
ある程度まで登ったところで、突然平坦で少し幅のある城道が主郭まで続きますが、ここは通称『太閤道』と呼ばれています。各曲輪をつなぐ重要な導線となっています。
そして主郭。三方を土塁で囲み、そんなに広さはないものの一番厳重な造りとなっています。ここには仮設の展望台が据えられていて、南西方向には三木城跡を一望できます。先述の茶会が開かれたのもこのあたりでしょうか。
主郭を出て犬走り状の城道を進むと南側に回り込んで下ります。その先が大手口です。虎口らしき跡の両側には平坦地が段々に築かれ、厳重な造りです。平坦地それぞれに柵を巡らし、織田方の幟が立てられ、兵がせわしなく行き来している光景を想像すると、かなり威圧感が漂います。

このように見応え十分な秀吉の本陣跡ですが、土砂崩れの危険性もあって立ち入り規制がかかっている箇所もありますので、足元にはくれぐれもお気をつけて。あちこちに順路を示す案内がありますので、それに従えば安全かと思います。
あと、竹中半兵衛のお墓参りもお忘れなく…。

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todo94

地図を頼りに (2018/11/10 訪問)

蒲生氏郷の松阪築城前の居城ということで是非とも訪れたいと思っていた。2017年の三重の城めぐりの際についうっかりパスしてしまっていたので。本当にこんなところにあるのかという細い私道といった農道を歩いて進むと小さな丘の麓に城址碑と説明板、案内板を見つけることができた。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

ミントン城から県道137号に出て、少し北上したところに垣花城址があります。
登城口にコンパクトカーなら辛うじて駐車できるスペースがあります。
石灰岩がゴロゴロしている登城道を上がって行くと虎口の石垣があり、二の郭となります。
虎口を入った左側に石垣の上?を歩ける様になっており、進んで行くと主郭に辿り着けます。
主郭を囲む様に石垣があり、拝所もありました。
なお、主郭の虎口の石垣は良い状態で残っており、見応えがあります。
県の史跡に指定されているものの、あまり整備はされていないため、少し勿体ない様に思える城址でした。

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