額田城は小川に面した広い低湿地に面した丘陵の南側の
先端部周辺に築かれていて、主郭の北に二の郭、三の郭と
続き、西の阿弥陀寺周辺もかつては阿弥陀寺の郭として
城域を形成していました。三の丸は宅地化していますが、
本丸、二の丸はかつての遺構を残しており、本丸と二の郭の間の
大堀切は最大の見せ場でもあります。
遊歩道が続いており本丸から二の丸に渡って、城域を散策することが
可能です。案内板は二の郭にありました。
建長年間(1249~1256)佐竹氏5代義重の次男義直が、この地に城を
築き、額田氏を称したとあります。
10代義亮の時に佐竹宗家と対立、応永30年(1423)佐竹13代
義人に攻められ落城。額田氏は滅んだとあります。
その後、佐竹氏家臣小野崎氏が城主となりますが、天正19年(1591)
七代照通の時代に野心ありとされ、佐竹義宣に攻められ落城したとされています。
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