かわわだじょう

河和田城

茨城県水戸市


旧国名 : 常陸

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todo94

かなり広大 (2023/12/09 訪問)

長者山城からの転戦です。河和田小学校の校門に説明板がありますが、堀、土塁などの見ごたえのある遺構は天徳寺、報佛寺にあります。また、報佛寺山門脇には城址碑もありました。

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カズサン

報佛寺周辺の土塁と堀 (2023/11/12 訪問)

 武田氏館と水戸城周辺水戸の城廻り4城目河和田城を初登城、水戸城を終えて宇都宮への帰路、暗く成りかけに訪ねました。

 駐車場:報佛寺参拝者駐車場(茨城県水戸市河和田町887)北側より進入。
 参考資料:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップに依る。

 駐車場から先ずはと報佛寺本堂へ参拝、史跡マークの報佛寺枝垂れ桜が葉を落としていますが、4月の桜の頃はさぞ見事な事でしょう、本堂から東の山門方向へ、山門裏手に土塁、その脇には親鸞聖人の旅姿立像、この寺が親鸞聖人ゆかりの寺であるとの証、山門脇に「河和田八景 報佛寺暮雪」として屋根型看板が有り、親鸞聖人ゆかりの寺として紹介されています。
 山門の見学し、脇に河和田城跡の石碑、道路との間に北方向に堀と土塁、交差点に周り東から西に高土塁があり西端は参拝者進入口に成っている。
 報佛寺の河和田城遺構探訪だけでも十分楽しめ、親鸞聖人ゆかりの寺を参拝出来ただけでもありがたい事です。
 
 この後車で史跡マーク河和田城土塁とある所の、水戸市療育センターに行き探訪するが草が茂り土塁かなの所は樹木が茂って良く分かりませんでした。
 暗くもなり、シェルさんが見所示唆されていた河和田小学校、天徳寺周りは残念ですが素通りして宇都宮の孫の所へ帰りました。
 
 

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シェル

水戸市内で水戸城に次ぐ大規模な城郭 (2023/09/25 訪問)

 見川城から移動し、「見川稲荷神社前」のバス停からバスで向かおうとするも、1時間待ちであったため、やむを得ず徒歩で約40分かけて移動。
 他のアクセス方法としては、JR常磐線 赤塚駅南口バス停から、「宮前」または「報仏寺」で下車してすぐです。
 城の縄張は、北の天徳寺から南の国道50号近くの八坂神社までの東西500m、南北600mの広大なものだったようです。
 主な見どころは、①報仏寺 ②八坂神社 ③河和田小学校周辺 ④天徳寺の4か所です。
(その他にも遺構はあるようですが、大部分が私有地になっています。)
①報仏寺
 土塁と堀が残存しています。この土塁はかなりの高さがあります。堀は少し水が残っていました。かつては水堀だったようです。また報仏寺の東側の山門の所に河和田城跡の碑が立っています。
②八坂神社
 報仏寺から南に5分ほど歩いたところにあります。境内の東側から見事な土塁と水堀を見ることができます。個人的に一番鳥肌が立ちました!!
③河和田小学校周辺
 河和田小学校のバス停裏に、二重の堀と土塁が残存していて、歩道から見学することができます。
 河和田小学校の校門近くには、河和田城の説明板があります。
④天徳寺
 山門周辺に土塁と堀が残っています。現在は、堀に水はありませんが、かつては水堀だったと思われます。

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 河和田小学校など (2022/01/08 訪問)

天徳寺、報仏寺、河和田小学校周辺を散策しました。空堀や土塁を見ることができますが、私有地となっている所もあり、日没も近かったので全部は見れていないと思います。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 鍛冶貞国
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 鍛冶貞国、江戸氏、春秋氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県水戸市河和田町1019