高田氏館、勝倉城址を終えて水戸城方向へ戻って来ます、近くまで来て道が細く不安になり通りの方に案内いただく。
水戸城から南2km程の吉田城に初登城、水戸黄門・徳川光圀が建てられた佛日山常照寺が城域に建っています。
駐車場:常照寺東側山門の下に2段に分かれて駐車場(36°21'30"N 140°29'28"E)
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。
駐車場よりよく写真で拝見してる山門を観察確認、山門扁額に水戸黄門の源光圀の名が記されている、右わきに吉田城跡の石碑、側面に由来が記されてる。山門を潜り参道階段を登る、両翼は切り取った土塁、上段に着くと大木の杉林参道で幽玄としている、両側は曲輪で有ったのだろうが今や藪に成っている、中の門があり、その手前には空堀が確認できる、奥の門を潜って本堂へ参拝、常照寺は臨済宗のお寺で当日法要がいとなわれていました。
本堂の西奥裏手に空堀が在るとの情報で本堂と墓場の間を通って奥へ奥ギリギリ生垣の絶えた処から藪越しに空堀が確認、本堂を南、西へと横堀が通って居るようです、生垣が厚くてよく確認できません。
降りて山門から東方向へ東側の切岸、常照寺池(富士池)の観察見学し往時は三方が沼だった古を描いてみた、現在北側西側とも住宅街に成っています。
石碑の側面由来によると、常照寺を中心とするこの半島状台地は昔三方を沼が囲み武士の居館に最適は要害であった。
平安末期から鎌倉初期に大掾盛幹がここに初めて館を立てて、吉田の太郎と称し子孫代々勢力を競ったが応永の末に江戸氏が水戸城を奪取してからは、この城もその一党の手に帰し土塁や濠を強化したと推察される。
佛日山常照寺を建てたのは徳川光圀であった。と記されています。
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