城址は学校になっていることが多いです ここも。
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2019/01/06 16:26
学校前の案内板 (2019/01/06 訪問)
城址は学校になっていることが多いです ここも。
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2019/01/06 16:23
北条町を探索 (2019/01/06 訪問)
麓にある日向廃寺跡、ここも多気氏ゆかりのようです。 登り方が見つからず断念、その分麓の町を散策。
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2019/01/06 16:05
細長い縄張り (2019/01/05 訪問)
旗立穴から姫落としまですべて見ようとすれば1kmは歩くようになります。
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2019/01/06 15:39
侮るなかれ (2019/01/05 訪問)
天然の絶壁、岩盤と巨岩、石垣を駆使して築かれた城。
城の縄張りの妙もあって見ごたえのある城です。
説明板も随所にあり見落としも減ることでしょう。
続百名城に選ばれなかったのが不思議なくらい凄い城です。
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2019/01/06 15:28
大村公園 (2019/01/05 訪問)
復元された板敷櫓を中心に遺構が残る。
新蔵波止やお船蔵は玖島城遺構の特徴。
3月末に桜、5月には菖蒲が咲き誇る。
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2019/01/06 15:20
唐船城 (2019/01/05 訪問)
湾曲して流れる有田川を天然の堀として築城。
断崖の後ろ堅固の城。
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2019/01/06 15:15
土の城の教科書!感動の城 (2018/10/07 訪問)
まずは、嵐山町役場で続日本100名城のスタンプと杉山城のパンフレットをゲット!パンフレットを見ながら現地へ行く前に「どんな城なのだろう?」と、想像することがたのしい!そしたら玉ノ岡中学校に向かいます。校内に入ると体育館の前に駐車場があります。そこに車をとめて「レッツ登城!」学校の裏山が杉山城です。まず目に飛び込んでくるのが大迫力の土塁です。そこでいきなり大興奮!そしてさらに登るとても深い空堀があり、その奥に郭があります。空堀の下を歩くこともできます。「敵に狙われているようで少しこわい!」攻め手になった気分です。主郭が、その上にあります。「防御最強」実際だったら主郭まで来るなんて防御が強いので不可能だと思います。さらに奥には、土橋があり、そのさらに奥には郭があります。だいたい4時間くらい見学をしたらたのしめます。
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2019/01/06 15:13
倭寇のアジト (2019/01/04 訪問)
火山礫でできた石垣は独特の雰囲気を醸し出してます。
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2019/01/06 14:37
2019/01/06 14:36
別名、石田城 (2019/01/04 訪問)
幕末に外国からの脅威に対する防御として築城。
蹴出門は現存する遺構。
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2019/01/06 14:19
2019/01/06 10:20
ぎょうぶ?けいぶ?おさかべ! (2018/12/30 訪問)
「刑部城」と「堀川城」を紹介します。「井伊谷城」の近くのお城です。
この二城、桶狭間の合戦後、遠江侵略を企む25歳位の若い家康さんがやっつけてしまいました。
「刑部城」はあっけなく落城しています。
刑部城の碑はないのですが「金襴の蛇」の説明板があります。
姫が恥をさらすならと池に入水したそうです。
この家康さんの侵略12月です。寒いんです!
「刑部城」鳥居をくぐるとお社があります。
竹やぶの中に当時の遺構を見る事ができるのでしょうが・・・。
城跡の右側に民家があり、仕切りもないので入って良いのか躊躇しました。(後でネットで調べたら遺構は残っているみたいです)
「堀川城」は「お城を探す」に出てきません。大河ドラマ「直虎」では気賀のお城と言われていました。
遺構もありません。が、首塚があります。
家康さん、籠城した女子供、老人みーんな処刑!
若いエネルギーって怖いっと思いました。イライラしていたんでしょうね。
二城とも車で行きました。どちらも遠慮がちに空いているスペースに止めました。
ちなみに「刑部城」、三方ヶ原で家康さんをやっつけた武田信玄公が年越ししています。
ほらっ、イライラしちゃダメですよ!家康さん!
たくさんの方々の命が家康さんの将来への礎になったと信じています。
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2019/01/06 08:39
寺山館跡 (2018/12/30 訪問)
水郡線の近津駅から15分くらいで登城口も、水郡線は、昼間は本数がほぼ皆無で、役に立たない。
ために新白河駅からバスで磐城棚倉駅、棚倉駅から徒歩45分くらいで登城口へ。セブンイレブンのある交差点を、踏切側に入り、踏み切りすぎてすぐ右側に民家の脇を進んでいくと、登城口へ。
登城道が整備されているものの、近年の荒天の影響か、倒木が多く、荒れている印象。
縄張り図を見つつ進むも、よくわからず、最も見どころの二重堀切を見落とした。
近々、再訪問の予定です。
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2019/01/06 00:00
馬上少年過ぐ (2013/08/17 訪問)
伊達政宗公の隠居城ですが、現在は宮城刑務所になっています。敵から守る為の堀や土塁のある城が刑務所に再利用されることは「なるほど経済的」とも思いますが、城好きからすると、そうなると中に入ることができなくなるわけで・・・遺構が消え去ってしまうよりはましですが(土塁なんてほぼ完全な状態?)、ある意味、一庶民は外から眺めるだけという往時のリアルな城を見る感覚を味わえました。
親戚が徒歩15分くらいの所に住んでいるので、徒歩で訪れましたが、観光地ではないので駐車場はありません。todo94さんのように河原町駅から歩くか、まっつんさんのようにレンタサイクルで訪れるのがいいと思います。
刑務所なので、捕まらないと中に入れない・・・と思いきや。親戚の話によると、1年に1度、10月か11月頃に刑務所の作業場の一般公開があり、中に入ることができるそうです。ネットで検索すると確かに作業場を見学した方のブログがありました。内部はもちろん写真・ビデオの撮影は厳禁のようですが、「ブラタモリ」でタモリさんが見たような景色を目に焼き付けることができそうです。
戦国の気風がバリバリ残る仙台城(青葉城)と比べると、この若林城は平時の平城で、政宗公が天下への野心を失ったことを物語っているように感じました。司馬遼太郎さんの短編「馬上少年過ぐ」で描かれていたような隠居生活をここで送っていたんでしょうか。
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2019/01/05 23:43
2019/01/05 22:25
立体的! (2019/01/05 訪問)
そもそも立体的でない城など無いのですが(^^;)
この五龍城はどの曲輪も広く、高くて垂直な切岸、深く大きな堀切、高い土塁、連続竪堀とそこに通る土橋…と、歩いて体感するととにかく立体的だと感じました!
城主は宍戸氏。この一族の方々は戦闘力の高い人たちだったのですね。元々土着していたのは常陸国宍戸荘。
安芸宍戸氏は、宍戸朝家が鎌倉幕府倒幕の際に足利尊氏とともに戦い六波羅探題を落とし、数々の戦いで活躍したことで安芸国甲立荘を与えられたことに始まります。
戦国時代には隣接する国人・毛利氏と何度も戦っているそうですが、結局、五龍城は落とされることなく、毛利元就の代で娘を宍戸隆家に嫁がせて和睦しています。
その後、宍戸隆家は毛利氏の一門衆として数々の戦いに参加して戦功を挙げますが、孫の元続の代で毛利氏が関ヶ原で敗戦し防長二国へ減封されると毛利氏に従ってこの地を離れました。
この城を歩いてみて、こりゃ落とせんわ〜と思いました。
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2019/01/05 21:05
福岡県秋月城跡 (2019/01/05 訪問)
正月明けのためか人も少なく、静かに観光できました。
記念スタンプは近くにある秋月博物館で押してます。
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2019/01/05 20:53
2019/01/05 20:42
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