ごりゅうじょう

五龍城

広島県安芸高田市


旧国名 : 安芸

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①姫の丸から見た本丸の城壁
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征25日目:五龍城 (2026/06/04 訪問)

ホテルから車で30分弱で、五龍城駐車場入口(34.698522、132.756212)に着きました。そこから裏参道から登城しました。

築城時期に関しては諸説あるようですが、南北町時代に宍戸朝家によって築かれたと云われています。
宍戸氏代々の居城で、やがて毛利氏とも争うようになりましたが、宍戸隆家の代に毛利元就の長女(五龍局)を正室に迎え、毛利一門となっています。
隆家は元就、隆元からも重用され、宍戸氏は一門筆頭の扱いを受けました。
五龍城は隆家の孫、9代元続の代に、毛利氏とともに防長へと移封した際に廃城となりました。

城址の遺構は保存状態がよく、土塁や堀切だけでなく、石垣も確認できます。
急勾配の場所に強度不足らしい手すりが付けてありました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=猿掛城に向かいました。

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三つの郭群の奥にも (2024/07/28 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。毛利元就の伝記でも記憶にあり。吉田郡山城の北東約6kmの五龍城 宍戸氏は、当初、毛利氏と戦いますが、同盟関係を結び、以降、重臣としてずっと従っていきます。
江の川と本村川が侵食した半島型の城域は、急斜面ながら尾根上は広いです。突端の東の郭群、中央の本丸を含む郭群、西の長大な郭を含む群の三つの領域があり、大きな堀切または自然の狭隘部で隔てられています。元就が落とせなかっただけあり、厳しい地形&大規模な土木作業量です。さらに、カズサンさんが書かれているように、真砂土で足下が滑ります。
西の郭群の堀切の外側(半島型の根元側)に足軽の段があり、井戸跡もあります。足軽の段の西は、更に高くなっていますが、そちらに、堀や土塁もなく、足軽の段は防備の外側? しかしながら、東の郭群にある、司箭神社の絵図には、足軽の段の西に、岡佐丸と関所が書かれており(参道口の縄張り図は足軽の段まで記載)、納得。

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小城小次郎

それも何かのご縁なのだろうか (2023/11/23 訪問)

常陸と安芸の宍戸家はそれぞれ佐竹と毛利という雄藩で重臣に名を連ねていたという、ある意味「持っている」家柄。八田知家の子孫(宍戸)と大江広元の子孫(毛利)が5kmしか離れていないところにいたというのも奇跡だと思う。それも何かのご縁なのだろうか。

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シャンシャン

堅固な山城 (2023/11/09 訪問)

あまり整備されていない険しい山道を登っていくと、土塁や堀切、石垣が現れる。
道はかなり険しいけど、見に行く価値あり。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 宍戸朝家
築城年 南北朝時代
主な城主 宍戸氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(五龍城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県安芸高田市甲田町上甲立
問い合わせ先 安芸高田市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0826-42-0054