ごりゅうじょう

五龍城

広島県安芸高田市


旧国名 : 安芸

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裏参道口の説明板
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三つの郭群の奥にも (2024/07/28 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。毛利元就の伝記でも記憶にあり。吉田郡山城の北東約6kmの五龍城 宍戸氏は、当初、毛利氏と戦いますが、同盟関係を結び、以降、重臣としてずっと従っていきます。
江の川と本村川が侵食した半島型の城域は、急斜面ながら尾根上は広いです。突端の東の郭群、中央の本丸を含む郭群、西の長大な郭を含む群の三つの領域があり、大きな堀切または自然の狭隘部で隔てられています。元就が落とせなかっただけあり、厳しい地形&大規模な土木作業量です。さらに、カズサンさんが書かれているように、真砂土で足下が滑ります。
西の郭群の堀切の外側(半島型の根元側)に足軽の段があり、井戸跡もあります。足軽の段の西は、更に高くなっていますが、そちらに、堀や土塁もなく、足軽の段は防備の外側? しかしながら、東の郭群にある、司箭神社の絵図には、足軽の段の西に、岡佐丸と関所が書かれており(参道口の縄張り図は足軽の段まで記載)、納得。

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小城小次郎

それも何かのご縁なのだろうか (2023/11/23 訪問)

常陸と安芸の宍戸家はそれぞれ佐竹と毛利という雄藩で重臣に名を連ねていたという、ある意味「持っている」家柄。八田知家の子孫(宍戸)と大江広元の子孫(毛利)が5kmしか離れていないところにいたというのも奇跡だと思う。それも何かのご縁なのだろうか。

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シャンシャン

堅固な山城 (2023/11/09 訪問)

あまり整備されていない険しい山道を登っていくと、土塁や堀切、石垣が現れる。
道はかなり険しいけど、見に行く価値あり。

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カズサン

五龍城麓廻り(2/2) (2023/10/06 訪問)

 五龍城を下城して、半島状に伸びる巨岩山城五龍城を江の川と本村川の合流点辺りより暫し眺める、大変攻めにくい山城です、本村川に架かる旧R54五龍橋は4本の橋柱は龍の柱、西側に1本龍橋柱が有り、5本で五龍を表している。
 尾崎丸下にもう一つの登城口が有り、階段前に宍戸司箭神社の鳥居が有り、その脇に城名石碑と広島県史跡五龍城跡案内板が設置されてる。
 新しいR54は五龍城跡をトンネルで貫いている。
 宍戸氏も関ケ原前は15万石を領有していたようですが、関ケ原後毛利氏周長二州に移封の際これに従い、周防三丘1万2千石に移った。(案内板より)
 

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 宍戸朝家
築城年 南北朝時代
主な城主 宍戸氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(五龍城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県安芸高田市甲田町上甲立
問い合わせ先 安芸高田市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0826-42-0054