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ヒデタカ

阿志岐山城跡(蘆城城跡) (2018/04/21 訪問)

古代山城跡が発見されて20年満たない城跡です。まだまだ、解明されていないことも多く、発見されていない遺構があるかもしれないと感じさせられます(๑˃̵ᴗ˂̵)

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エグ1394

園部城 (2016/11/14 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
園部城は日本の城郭史で最後の建築物として知られています。当初、小出吉親が築いた城は徳川幕府の制度上では陣屋という扱いになったため、園部陣屋として呼ばれていました。幕末になって京の治安が悪化したことに備えるため改修が認められ、1868年(慶応4年)から普請がはじまり、翌1869年(明治2年)に完成した際にようやく園部城と呼ばれるようになりました。現在は京都府立園部高等学校の敷地となり、巽櫓、城門の櫓門(高校の校門)、番所、太鼓櫓(八木町の安楽寺に移築)など一部の建物が現存しています。

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エグ1394

福知山城 (2016/11/14 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
福知山城は丹波国を平定した明智光秀によって築かれた城です(正確にはもともとあった塩見氏の横山城を石垣づくりの城として改修)。城主は光秀の娘婿である明智秀満がつとめました。現在は福知山城公園として整備されています。天守は1985年(昭和60年)に復元されたもので、福知山市郷土資料館の施設となっています。福知山城は盆地の真ん中にある小高い丘の上に建っているため街のどこからでもよく見えますし、JR福知山線の列車内から見ることもできます。城下町整備や治水工事などの功績により、光秀は地元で大変愛されており「光秀くんとひろこさん」として観光協会のイメージキャラクターにもなっています。

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エグ1394

田辺城 (2016/11/13 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
田辺城は細川藤孝(幽斎)・忠興親子によって築かれた城です。田辺城は「関ケ原の戦い」の前哨戦である「田辺城の戦い」の舞台となった城です。関ヶ原での功により嫡子忠興が豊前中津に加封されたあとは、代わって京極氏、ついで牧野氏が入り、牧野氏は明治の廃城まで10代にわたってつづきました。現在は本丸と二の丸の一部が舞鶴公園として整備されており、大手門と模擬ニ重櫓が復興されています。なお園内には歴代藩主の資料を展示する田辺城資料館があります。また、春は桜の名所として知られています。

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エグ1394

小倉山城 (2016/09/04 訪問)

夫婦で行ってきました。
小倉山城は金森長近の隠居城として築かれた城で、別名「小倉居館」ともいわれています。金森家が無嗣断絶で改易されたことにより、わずか6年で廃城になりました。城址には遺構として石垣と土塁が現存しています。現在は小倉公園として整備されており、本丸には模擬櫓、さらに山頂には三階建ての展望台が建てられています。また、城下町は江戸時代の歴史的景観を残したまま現存しており「うだつの上がる町並み」として重要伝統的建造物群保存地区となっています。

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津城 (2016/08/21 訪問)

夫婦で三重県へ日帰り旅行へ行ってきました。
津城は信長の弟である織田信包の居城として知られています。お市の方とその娘たち(浅井三姉妹)も信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしました。江戸時代には築城の名手と謳われる藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。遺構としては本丸の石垣や内堀の一部が残っています。現在は「お城公園、お城西公園」として整備されており、藩校「有造館」の正門である入徳門が移築現存しています。また、隅櫓が再建され、公園内には藤堂高虎像もあります。

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岡崎城 (2016/08/17 訪問)

夫婦で岡崎市内の文化財巡りをしました。
岡崎城は徳川家康の生まれた城として知られています。「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています。現在は岡崎公園として整備され、桜の名所となっています。公園内には復興天守のほか、家康や本多忠勝の銅像があります。また1982年(昭和57年)には二の丸跡「三河武士のやかた家康館」が開館しました。

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高島城 (2016/06/22 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
高島城は諏訪氏の居城として知られています。諏訪湖に突き出した水城で、日本三大湖城のひとつに数えられています。地盤が悪かったためか、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きだったそうです。また、城内に温泉が引かれていた珍しい城で、導水管やそれを支える石枡が残っています。現在は高島公園として整備されており、復興天守が建てられており、最上階からの眺望は素晴らしく、眼下に諏訪湖が広がり、天候がよければ富士山を見ることができます。

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二条城 (2016/05/04 訪問)

夫婦で京都へ日帰りで行ってきました。
二条城は江戸時代の始まりと終わりの舞台となった城です。この城で徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀が行われ、また徳川慶喜による大政奉還が行われました。1601年(慶長6年)に徳川家康の命で、天下普請によって築かれましたが、天守は残っていません(天守台のみ)。多くの重要文化財が残っていますが、なかでも1611年(慶長16年)に家康と豊臣秀頼の会見(二条城会見)が行われた二の丸御殿は国宝に指定されています。1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として清水寺などとともに登録されました。

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伏見城 (2016/05/04 訪問)

夫婦で京都へ日帰り旅行してきました。
伏見城(木幡山伏見城)は豊臣秀吉によって築かれた城です。1596年(文禄5年)に起きた大地震「慶長伏見地震」によって指月伏見城が倒壊したため近隣の木幡山に再築された城で、わずか3ヶ月で完成しています。秀吉の死後は徳川家康の居城となりました。「関ケ原の戦い」の際には家康の家臣である鳥居元忠が城代として守っていましたが、西軍に攻められて落城しました。「関ケ原の戦い」後には徳川家康が藤堂高虎に普請奉行を命じ、天下普請として再建させ、家康はこの城で征夷大将軍の宣下を受けています。現在、城址付近は伏見桃山城運動公園として整備され、模擬天守が建てられていますが、耐震基準を満たしていないことから中に入ることができません。また、この模擬天守は洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして建てられたこともあり、映画やドラマのロケ地として何度も利用されています。

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岐阜城 (2016/04/10 訪問)

夫婦で行ってきました。
岐阜城は織田信長が「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった城として知られています。それ以前に斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました。信長は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」と伝えられています。「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる織田秀信(幼名・三法師)でした。秀信は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則や池田輝政らに攻められて落城し、徳川家康によって廃城を決められます。現在は山頂に復興天守が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。天守の廻縁からは長良川や濃尾平野、さらには日本アルプスなどを一望することができます。

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小山城 (2016/03/23 訪問)

夫婦で静岡に日帰りで行ってきました。
小山城は武田四天王のひとり、馬場信春によって築かれた城です。徳川家康との激しい戦いが繰り広げられた城として知られています。現在は能満寺山公園として整備されており、甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀が史料を元に復元されています。また、かつて物見台があったとされる三の丸跡に犬山城天守をモデルにした模擬天守(展望台小山城)が建てられています。

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田中城 (2016/03/23 訪問)

夫婦で静岡へ日帰りで行ってきました。
田中城は徳川家康の死因ともいわれる鯛の天ぷらを食した城です。かつては今川氏と武田氏とが奪い合った城で、山県昌景が城主を務めたこともあります。この城の特徴はなんといっても縄張で、本丸を中心に、直径約600mの同心円を描く全国的にも珍しい円形輪郭式の縄張となっています。当時の遺構は水堀と石垣がわずかに残るだけですが、江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった別荘が史跡公園(田中城下屋敷)として整備され、本丸櫓や茶室が復元されています。また、近隣の旭傳院に不浄門が移築され現存しています。

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駿府城 (2016/03/23 訪問)

夫駿府城は徳川家康が大御所となって隠居した際に使われた城です。天下普請によって大修築され、城郭史上最大の天守台が築かれました。天守は家康により3度建てられましたが、城下の火災が延焼して焼失しました。現在、中堀の内側にある旧二の丸と本丸が「駿府城公園」として整備されており、石垣や堀を見ることができます。また巽櫓と東御門、坤櫓が復元されて資料館として公開されています。婦で静岡へ日帰りで行ってきました。

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エグ1394

清洲城 (2016/01/24 訪問)

夫婦で行ってきました。
清洲城は織田信長の居城として知られ、信長はこの城から「桶狭間の戦い」に出陣しています。信長の後継者を決める、いわゆる「清洲会議」が行われた城でもあり、歴史的にも大きな役割をになった城です。「関ケ原の戦い」の際には福島正則の居城となっており、東軍の後方拠点として利用されました。江戸時代に入って、徳川家康により清須から名古屋への遷府(清洲越し)が指令されると、清須城は名古屋城築城のための資材として解体されました。なかでも名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」と呼ばれています。現在、城跡の一部が「清洲公園」と「清洲古城跡公園」として整備されており、信長と濃姫の銅像が建てられています。また、1989年(平成元年)には町制100周年を記念して、模擬天守が築かれました。この模擬天守は東海道新幹線の車窓から見ることができます。

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丸岡城 (2015/11/25 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
丸岡城は柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれた城です。江戸時代には福井藩の附家老として城主をつとめていた本多成重がをつとめていましたが、福井藩主・松平忠直の隠居に伴い独立し、丸岡藩が成立しました。その後、本多家がお家騒動で改易となったのちは、代わって有馬氏が入封し、以後6代がこの地を治め明治維新を迎えました。掘立柱構造の望楼型天守や、笏谷石を使った石瓦などが特長の北陸唯一の現存天守で、最古の天守という説もありましたが、近年の調査により築城年代は江戸初期であることがわかりました。「日本100名城」や「日本さくら名所100選」に選ばれています。

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越前大野城 (2015/11/25 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
越前大野城は織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城です。長近はのちに「北陸の小京都」と呼ばれるまちづくりを行っています。江戸時代には土井利房が入城し、以降は土井氏が城主を務めました。遺構としては、山頂の本丸跡に石垣が現存しています。建造物としては、櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門として移築現存しています。また、7代利忠の隠居所が無料休憩所「藩主隠居所」(旧柳廼社社務所)として移築現存しており、当時の武家屋敷の姿を見ることができます。本丸跡には模擬天守が建てられており、金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料が展示されています。竹田城や備中松山城と並び、雲海に浮かぶ「天空の城」としても知られています。

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りゅうましゃはる

看板 (2018/04/22 訪問)

お城らしきものはありません。

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まんのすけ

素晴らしい 復元天守 (2018/04/18 訪問)

非常に見応えがあった。

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まんのすけ

貴重な中世遺構 (2018/04/20 訪問)

なかなか見応えがあった。

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