(26人目)井伊直政の続き③です。
井伊谷城の麓にある「龍潭寺」を訪れてきました(写真①②)。訪れたのは2月ですが、ちょうど「しだれ梅」がきれいに咲いていました(写真③)。
境内には井伊家にまつわる資料や木像などがあり、直虎や直政に関する展示もなされていました(木像写真④⑤)。井伊家歴代の霊殿や墓所もありました(写真⑥⑦)。墓は左手前から、直政・直親の妻(直政の母ひよ)・直親(直政の父)・直虎(直政の叔母で養母)だそうです。
また江戸時代に造られたという立派な庭園もありました。「小堀遠州」の作だそうです。どうりで立派な庭園だと思いました。江戸時代に入り、彦根藩2代藩主で直政の次男「直孝」が遠州に懇願し造らせたそうです。説明が静かに流れてきたので、座って聞きながら庭園を眺め、ふと気づくと30分も見入ってしまいました。なぜか妙に落ち着く庭園です。この座って正面から眺められる書院(写真⑧)は、幕末に訪れた大老「井伊直弼」をもてなすために建てられたものだそうです。そして右のこの角度(写真⑨)から見て遠近感を楽しむのがオススメだそうです。その遠近の先(左上)には井伊家霊殿につながっています。全体的に鶴が羽を広げた形を枯山水で表現し、その中に亀が大海に向かう姿を見立てた岩があるそうです。さあその岩はどこか・・・みなさん分かりますか?🤔 ペリー来航など動乱の最中に訪れた井伊直弼は、ここで井伊家の先祖を拝みながらこの庭園を眺め、いったいどんな事を考えていたのでしょうか?
私はこの庭園を眺めながら虎松(直政)の事を考えてみました。13才で井伊谷に戻り、直虎の養子となった虎松は、ここで南渓和尚や直虎の下で修業に励みます。そしてついに虎松は、自分から井伊家を再興したいと願い出たのでした。それはなぜだったのでしょうか? でもそれは直虎にとってはさぞかし嬉しかった事でしょうね。
そして14才になった虎松は、その願いを果たすべく、井伊谷を出て、家康に会うため浜松へ向かいます。
次は、虎松(直政)と家康が初めて出会った鷹狩の地を訪れます。
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