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トマトマト

久しぶりの城巡り (2018/04/20 訪問)

天気よかったです😀

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エグ1394

大野城 (2011/12/10 訪問)

仕事の途中で寄ってみました。模擬天守は展望台でした。
尾張大野城は浅井長政と信長の妹・市の三女である江の最初の夫である佐治一成の居城として知られています。しかし一成は羽柴秀吉と敵対して追放されたため、その後は信長の弟である織田長益に与えられます。長益は大野城の水利の悪さから、すぐ真向かいに大草城を築城して移ったため、大野城は廃城となりました。現在、城址の一部が城山公園として整備されており、天守を模した展望台が建てられています。また、櫓台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社があります。

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エグ1394

旭城 (2011/10/23 訪問)

夫婦でお城巡りしてきました。模擬天守はレストランと展望台です。
新居城は水野氏の居城として、水野雅楽頭宗国によって築かれた城だと考えられています。遺構は土塁がわずかに残るのみですが、現在は城山公園として整備されており、模擬天守「旭城」が建てられています。また、名鉄瀬戸線・尾張旭駅前にはこの地を開拓した水野良春の銅像があります。

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エグ1394

岩崎城 (2011/10/23 訪問)

夫婦でお城巡りしてきました。
岩崎城は丹羽氏清にはじまる丹羽氏の居城として知られています。羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」における「長久手の戦い」の緒戦となった戦いである「岩崎城の戦い」の舞台としても有名です。本丸跡には古墳の遺構も残しており、現在は岩崎城址公園として整備され、模擬天守が建てられています。また併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されています。

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エグ1394

藤橋城 (2011/10/16 訪問)

夫婦で行ってきました。お城はプラネタリュウムになっています。
星のふる里ふじはしのシンボルである藤橋城。1、2階がプラネタリウム、2階の回廊には天文展示、3階は藤橋の文化歴史を展示しており、すぐそばに歴史民俗資料館や、藤橋城広場もある。

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エグ1394

松本城 (2011/10/10 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
松本城は日本でも有数の美しさを誇る城です。現存12天守であり、国宝5城のひとつでもあります。もともとは武田氏の城で深志城と呼ばれていました。天守を築き城下を発展させたのは豊臣秀吉の家臣である石川数正の時代です。松本城は季節ごとにさまざまな表情を見せますが、なかでも雪景色に染まった天守の姿は見事です。また、珍しい連結複合式天守の城でもあります。ちなみに「烏城(からすじょう)」と呼ばれることもありますが、文献上この呼名が使われたことはないとのことです。

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政次推

スタンプ見逃しそうに (2018/04/21 訪問)

駐車場が、混んでいたのでなぜ?と思ったら、皆さんの目当ては有名パティシエのお店でした
城の入り口に杖があったので、ここも井伊谷ばりの山城か⁈と杖をつきつき、登って行きましたが、さほどではなく。小田原城、樹木がなければ丸見えですね。

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エグ1394

安土城 (2011/08/21 訪問)

夫婦で行ってきました。頂上まで登るのに大変でした。
長篠・設楽原の戦いに勝利した織田信長は1576年(天正4)琵琶湖湖畔の標高約199mの安土山に、天下統一の拠点としての城、安土城を築き始めた。安土城は中心部の城壁をすべて石垣とし、五重の天守を建て、本丸内に豪華な御殿を建て並べており、後の近世城郭の先駆となった最新鋭の城郭であった。本能寺の変後、誰もいない安土城は放火により天守と本丸が焼失し、現在は天守台や主要な曲輪の石垣を残すのみに。

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エグ1394

浜松城 (2011/07/23 訪問)

夫婦で行ってきました。
浜松城は徳川家康の居城として知られ、家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。武田信玄と戦った「三方ヶ原の戦い」は信玄がこの城を無視したことがきっかけになっています。また江戸時代には歴代城主の多くが幕府の重役に出世したことから「出世城」と呼ばれています。現在は浜松城公園として整備されており、野趣あふれる野面積みの石垣を見ることができます。また、石垣の中からハート型の石を探すのがちょっとしたブームになっています。1958年(昭和33年)に再建された復興天守には家康が19歳のときに着用したといわれる金陀美具足が展示されており、最上階からは北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日には東に富士山を臨むことができます。さらに2014年(平成26年)には天守門が復元整備されました。

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政次推

城スタンプはギリギリ無料エリア (2018/04/21 訪問)

開かれた市民の公園といった趣。甲冑を着た武者?と記念写真が撮れるとか手裏剣体験できるとか、イベント盛りだくさん。

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エグ1394

吉田城 (2011/04/30 訪問)

夫婦で行ってきました。
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。

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政次推

たった半日⁈ (2018/04/21 訪問)

高低差あり、障子堀の見事さ…この城が半日で落ちたというのが信じられない見事さでした。
名物寒ざらし団子も珍しい揚げ団子、甘いとしょっぱいの無限ループ?で美味しかったです。

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エグ1394

清洲城 (2011/04/10 訪問)

夫婦で行ってきました。
清洲城は織田信長の居城として知られ、信長はこの城から「桶狭間の戦い」に出陣しています。信長の後継者を決める、いわゆる「清洲会議」が行われた城でもあり、歴史的にも大きな役割をになった城です。「関ケ原の戦い」の際には福島正則の居城となっており、東軍の後方拠点として利用されました。江戸時代に入って、徳川家康により清須から名古屋への遷府(清洲越し)が指令されると、清須城は名古屋城築城のための資材として解体されました。なかでも名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」と呼ばれています。現在、城跡の一部が「清洲公園」と「清洲古城跡公園」として整備されており、信長と濃姫の銅像が建てられています。また、1989年(平成元年)には町制100周年を記念して、模擬天守が築かれました。この模擬天守は東海道新幹線の車窓から見ることができます。

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エグ1394

長浜城 (2011/03/15 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
長浜城は羽柴秀吉が最初に築いた居城です。浅井攻めの功により織田信長から浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名し、小谷城の資材を流用して築城しました。山内一豊が城主を務めたこともあります。江戸時代に入ると長浜城は廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。現在、城址は豊公園として整備されており、模擬天守(市立長浜城歴史博物館)が建てられています。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

私単独ではとても見つけられそうにないむずかしい場所。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

堀切を越えた主郭に城址碑が建つ。昭和19年に作られた城址碑で菊池十八外城にはすべて石でできた城址碑があるというのだから大したものだ。

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todo94

マイミクとの攻城 (2011/03/30 訪問)

近隣には切り株を横から見たような形の丘というか山がいくつも目に付く。その中の1つ、伐株山の広大な頂上部が伐株山城(玖珠城)になっている。野焼きが行われたばかりのようで、土塁がくっきりと見える。畝状竪堀もあった。アンテナの立っている頂上部の先の方まで散策を楽しんだ。この伐株山、町名の元となる巨大な楠の木が切られた跡という神話もあるとのこと。

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todo94

マイミクとの攻城 (2011/03/30 訪問)

別府市内から非常に良く見える特徴的な山であるのでてっきり高崎山は別府市にあるものだと思っていたら、山頂や猿の生息地は大分市の地籍なのだという。悪路を進んで駐車場に車を置き、ハイキングコースにもなっている快適な登城路をどんどん登っていく。山頂が近づくと右手に曲輪の連なりが確認できた。山頂部には狼煙台、土塁などの遺構が残っている。更に進んで暫し、周辺の遺構確認を楽しんでみた。帰路は曲輪を順に踏破して虎口にまで到達、ショートカットとなりそうな道を下っていった。大友氏が此処に拠り、菊池武光の攻撃を三年もしのぎ、島津の侵攻にも耐えたかと思うと感慨深いものがある。因みに野生の猿に出会うことはなかった。

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エグ1394

岐阜城 (2010/08/08 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
岐阜城は織田信長が「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった城として知られています。それ以前に斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました。信長は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」と伝えられています。「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる織田秀信(幼名・三法師)でした。秀信は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則や池田輝政らに攻められて落城し、徳川家康によって廃城を決められます。現在は山頂に復興天守が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。天守の廻縁からは長良川や濃尾平野、さらには日本アルプスなどを一望することができます。

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エグ1394

犬山城 (2010/03/14 訪問)

夫婦でお城をはしごしました。
国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。

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