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エグ1394

岐阜城 (2010/08/08 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
岐阜城は織田信長が「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった城として知られています。それ以前に斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました。信長は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」と伝えられています。「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる織田秀信(幼名・三法師)でした。秀信は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則や池田輝政らに攻められて落城し、徳川家康によって廃城を決められます。現在は山頂に復興天守が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。天守の廻縁からは長良川や濃尾平野、さらには日本アルプスなどを一望することができます。

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エグ1394

犬山城 (2010/03/14 訪問)

夫婦でお城をはしごしました。
国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。

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名古屋城 (2010/03/14 訪問)

夫婦でお城をはしごしました。
今川氏の那古野城から始まりる名古屋城の歴史。現在見られる名古屋城は、慶長15年(1610)、天下普請で築城され、地域の中心地を清洲からここ名古屋に移し、一大都市となる。明治維新後、陸軍東京鎮台が置かれ、天守は取り壊されることなく昭和初期まで現存していたが、惜しくも名古屋の空襲で天守や本丸御殿などの建物が焼失した。名古屋城は、その縄張りや石垣、現存櫓数棟が健在。

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岡崎城 (2010/02/17 訪問)

両親の金婚式の家族旅行でいってきました。
岡崎城は1542年(天文11)松平竹千代(徳川家康)が生まれ城。1455年(康正1)ころ「龍頭山」と呼ばれる乙川北岸の半島状の丘陵地に守護代西郷頼綱が築城し、1531年(享録4)徳川家康の祖父松平清康が城郭整備を行った。家康は幼くして今川勢の人質となったが1560年(永禄3)桶狭間の戦いで今川義元が討たれたことを機に今川勢が岡崎城から退却。家康は岡崎城に戻りここを拠点に三河を統一した。家康は1570年(元亀1)に本拠を浜松城に移し子の信康を置いたが、信康の自刃後は重臣が城代とし置かれた。1590年(天正18)に家康が豊臣秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中義正が入り、城郭を拡張し総構の堀(田中掘)を築いた。関ヶ原の戦いの後、岡崎城は「神君出生の城」として神聖化され譜代大名・親藩が城主となった。現在の天守は1959年(昭和34)に復興されたもの。

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丸岡城 (2009/12/22 訪問)

夫婦で日帰り旅行で行ってきました。
丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。
丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。

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彦根城 (2009/06/21 訪問)

夫婦で日帰り旅行で行ってきました。
彦根城は徳川四天王のひとりである井伊直政の子、直継によって築かれた城です。以降、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城として用いられました。現存12天守のひとつであり、天守は国宝です。幕末に起きた「桜田門外の変」で暗殺された大老、井伊直弼は藩主となるまでをこの城下で過ごしており、当時の屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」としていまも現存しています。JR彦根駅からも徒歩でいけるほど近く、訪問しやすい現存天守のひとつであり、また人気キャラ「ひこにゃん」でも有名な城です。

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名鉄岩倉駅よりぶらぶらと (2018/04/21 訪問)

 名鉄岩倉駅から徒歩に登城。石碑と案内板があるのみでした。

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梶原景時の子孫の城 (2018/04/21 訪問)

 名鉄羽黒駅から徒歩にて登城。
梶原景時の子孫が尾張にいたとは知りませんでした。

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大阪城 (2008/08/16 訪問)

夫婦で大阪へ旅行にいきました。
大阪城(正しくは大坂城)は日本でも有数の巨大城郭です。「大坂夏の陣」で廃墟同然となった大坂城(豊臣大坂城)は、1620年(元和6年)に徳川秀忠の命により天下普請によって10年かけて再築されました。豊臣時代の大坂城の跡に高さ数メートルの盛り土をして再建されたため、現在も地下深くに豊臣時代の石垣が埋まっています。現在ある天守は1931年(昭和6年)に復興されたものですが、櫓や門などは江戸時代のものが残っています。天守を中心とした大阪城公園には梅1250本、桜4500本が植えられており、春には花見客で賑わいます。また夜間には天守がライトアップされるため、夜景の名所としても知られています。なお豊臣時代の天守が32年、徳川時代の天守が36年と、いずれも短期間に焼失したため、現在ある復興天守(大阪城天守閣)がもっとも長命の天守となっています。

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仙台城 (2007/08/03 訪問)

こどもの空手の全国大会遠征で同行し、観光で仙台城を訪問しました。東北のお城は初めてです。
仙台城は「関ケ原の戦い」の後、伊達政宗によって築かれた城です。以降、約270年にわたり伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。天守は築かれませんでしたが、スペインの探検家であるビスカイノに「日本のもっとも勝れ、またもっとも堅固なるもののひとつ」と評されるほどの比類ない堅城だったそうです。残念ながら太平洋戦争末期の仙台空襲によって、大半の建築物は焼失してしまいましたが、「江戸切」と呼ばれる技法によって加工されている切込接の石垣は残っています。現在は青葉山公園として整備されており、本丸には伊達政宗騎馬像が建てられています。

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楽田駅からぶらぶらと (2018/04/21 訪問)

 名鉄楽田駅から徒歩にて登城。楽田小学校のある位置にあったとされています。小学校の横に石碑と案内板が立っています。

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濃尾平野にこんもりと (2018/04/21 訪問)

 名鉄小牧駅から徒歩にて登城。濃尾平野の真ん中にある、こんもりとした山です。大手から一直線の伸びる道は安土城の原型ででしょうか。

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todo94

続日本100名城 (2011/04/10 訪問)

函館の有名な五稜郭には比べるべくもないが、日本で只2つの五稜郭は、国の史跡に指定されている。前の月に開通したばかりの中部横断自動車道を利用。佐久南ICからアプローチした。現存遺構の御台所もあるのでまずまずの物件だとは思う。

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todo94

村上義清の居城 (2011/04/10 訪問)

葛尾城への林道は上信越道より北方にその入口がありかなりの大回りになる。加えて5kmにも及ぶオフロード。車の底をだいぶ擦ってしまった。もしかしたら、麓の坂城神社からの徒歩でのアプローチと時間的には大して違わないのかも知れない。駐車場から尾根伝いにいくつもの堀切を越えて本郭に到着。此処からの眺望はなかなかのものである。前日、訪れた荒砥城も良く見えたが、葛尾城に比べると吹けば飛ぶような小城に見えてしまった。2007年の大河ドラマ「風林火山」視聴以降、いつかは行きたいと思っていた葛尾城であるが、積年の本懐を遂げた想いで一杯である。

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荘子木鶏

最古の模擬天守 (2018/04/20 訪問)

足湯の場所から登城すると、西登り石垣が見えて良かった。

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大垣城と大垣宿本陣 (2018/04/21 訪問)

本日、大垣城に続100名城のスタンプラリーの為に登城致しました!
戦時中に焼夷弾で国宝だった木造の大垣城天守で焼け落ち、その後にコンクリート造の現在の天守に造りました!
やっぱり国宝だった頃の天守に登りたかった!
復元は、木造でしなければならないと思いました!
それに、時間があったので大垣宿本陣跡に行ってきました!
本物の本陣をコンパクトにした模造の本陣がありました!
この本陣に明治天皇がお泊まりになったとのことでした!

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ブラタヌシ

天空の城 (2018/04/21 訪問)

せっかく福井に来たので、ここも再攻❗️
続100名城にも登録され、ますます人気が出てきましたね。

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ブラタヌシ

現存十二天守 (2018/04/21 訪問)

2年前に一度行きましたが、その時は天気も悪かったので、今日の真夏日に行ってきました。
屋根瓦が笏谷石で有ることから、重みに考慮した天守ですね。

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赤い城

北条氏に滅ぼされた三浦氏の居城 (2016/07/30 訪問)

油壺マリンパークのすぐ近く。
東大の臨海実験所となっていて中には入れませんが遺構は確認できます。

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赤い城

新井城の支城 (2016/07/30 訪問)

三浦市役所付近が城跡となります。
土塁が少し残っています。

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