越前からやってきた川島氏が赤井氏に仕えて設けた館で南北朝以来の歴史を持つのだそうだが地域が地域だけになんとなく「鉢の木」の舞台はこんな館だったんじゃないかなと想像したくなるような風情があった。
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2024/07/22 21:20
2023/09/03 16:23
個人宅。次はお願いしてみようかな。 (2023/05/03 訪問)
高松城は川島氏居館とも呼ばれ、東西90m、南北90mの不整方形の
四方を土塁をもって囲み、外側に濠を巡らすと有ります。
館林領主赤井山城守が上野国中野を領した際に、この居館に
移住したとされ、今でも子孫の方が住んでいるそうです。
個人所有の居館跡なので、散策は出来なかったのですが、カルビンさんの
投稿を見ると、ここに住まわれている方が史跡訪問に理解を示されている
とのことですので、次回はお願いしてみようかなと思います。
相手が、どんな反応をされるかわからないので、なかなか声をかけづらいというのが
正直なところです。この当時は城びとをやっていなかったので
口コミをチェックしていなかったんですね。
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2022/10/25 18:25
感謝しかありません (2022/10/23 訪問)
日曜日に未訪問でかつアップダウンの少ない、公共交通機関で訪問出来る場所を目指し、北関東方面へ遠征してきました。
最初に訪れたのが、東武伊勢崎線・多々良駅から徒歩圏内にある高松城こと川島氏館。
川島氏は元々越前が拠点だったそうで、南北朝の争いの際に現地で新田義貞の道案内をされたとの事で、おそらくその縁で新田氏の拠点に近いこの地に来たのではないでしょうか?
現在でも宗家の方がお住まいになられております。
おそらく大多数の方がご自宅の前にある解説・標柱とその横を走る堀を見て戻られると思われます・・・自分もその予定でしたので。。。
当日、駅から印刷したグーグルマップを片手に川島氏館に向かって歩いている自分を、犬の散歩の為に車で移動されていた宗家のご主人様が見つけて、わざわざ引き返して史跡のご案内をして下さいました。。。その僥倖に鳥肌立ちました(〇Д〇;)
普段は見られない石碑、居館タイプの堀や土塁、鬼門除けの為の加工と思われる隅欠(すみおとし)等、摩利支天を祀るとされる祠等、説明を交えて隅々まで案内下さり、資料まで頂けました。
貴重なお時間をかけてのご対応下さり、感謝しかありません。
こうして訪問される方が怪我しない様に整備にも時間と予算をかけて頂いている様で、大変な苦労をされているにも関わらず快い対応頂いたのは重ねて感謝で御座います。本当に有難う御座いました<(_ _)>
全容を確認させて頂いた身として、結構な遺構が残っていた事をご報告させて頂きます。
写真の掲載についてもご主人様に許可を頂いておりますので合わせて登録させて頂きます。
是非貴重な史跡が今後も残り、皆様が心地よく見学出来る環境で有り続ける為に、マナーを守っての見学されることをお願い致します。
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2022/07/09 19:36
子孫の方がお住まい (2022/06/26 訪問)
早朝の訪問、個人宅なので門のところの写真を撮って引き上げようと思っていると散歩中の近所の方に声をかけられました。
日課としている散歩ルートとのことで一緒に敷地内に入って頂けました。
城跡には立派なお宅が建っていて四方を空堀が囲んでいます。
西側の堀を見学、北側には土塁もありますが、ここから奥は遠慮しておきました。
南側の門の脇にも空堀がありました。
川島氏館とも呼ばれ、見学はウエルカムっぽいですがやはり一声かけてからにしましょう。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 赤井氏、川島氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(居館跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 栃木県足利市高松町 |
問い合わせ先 | 足利市教育委員会 |
問い合わせ先電話番号 | 0284-20-2230 |