城址の中に畑・住宅があります、けど土塁をここまでよく残してくれました感謝! 空堀は土塁の外にあったと思われますが今は・・・道路?
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2019/01/03 17:55
土塁が見どころの城址 (2019/01/03 訪問)
城址の中に畑・住宅があります、けど土塁をここまでよく残してくれました感謝! 空堀は土塁の外にあったと思われますが今は・・・道路?
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2019/01/03 16:08
名護屋城
10年余りの間に築城され、拡張され、破壊された歴史を有する巨城には、天正期から慶長期までの築城術がぎゅーっと凝縮されている。
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2019/01/03 15:51
2019/01/03 14:34
虹の架かった庭園 (2019/01/03 訪問)
浜松城庭園の滝で虹が架かっる
あと普通の浜松城
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2019/01/03 14:31
2019/01/03 14:28
2019/01/03 14:20
夜の彦根・昼の彦根 (2015/10/24 訪問)
夜の彦根城と昼の彦根城
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2019/01/03 14:01
スマホの中に眠ってたもの (2014/01/12 訪問)
スマホの中で眠らせてた
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2019/01/03 13:36
2019/01/03 13:26
山登り (2019/01/02 訪問)
御屋敷跡に向かっている間は、堀や城壁のあとが見られるのですが、本丸などは、山そのものを使っているので、山登りになってしまいました。このお城を攻めた武将達の体力は凄いと思いました。
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2019/01/03 12:10
忠勝・忠朝を大河ドラマに! 大多喜城🏯 (2019/01/03 訪問)
遺構度 ★★★☆☆ 復元度 ★★★★★
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度 ★★★★★
あけましておめでとうございます!
僕の投稿が少しでも皆さんの為になったら幸いです!
新年もよろしくお願いします!
本多忠勝の居城だった大多喜城に行ってきました!
駐車場近くになるとたくさんの忠勝・忠朝を大河ドラマに!という旗が立っています!相当推しています!選ばれるといいですね(^_^)もし選ばれたら絶対見ます!
駐車場に車を止め、歩いて天守に向かいました!少し駐車場から天守まで距離があり徒歩5分くらいです!(坂なので少しキツイかもしれません!)
天守へ向かう途中には空堀などがあり迫力がありました!すごくカッコよかったです!空堀サイコー(≧∀≦)
天守内は博物館になっていて、展示物も多く、勉強になりました!甲冑を着て写真を撮る事もできます!兜がすごく重かったです!武士ってすごいなということを改めて実感しました!
お正月中だったからか缶バッチを無料で配布していました!柄も3種類あり選べました!
駐車場も広く、とても止めやすかったです!
入場料は大人200円、高大生は100円です!
続日本100名城のスタンプは2階にあるので押し忘れないように気をつけてください!続日本100名城スタンプも押しやすくて助かりました!きれいに押せるとやっぱり気持ちいい!
そしてその後は、昔二の丸だった大多喜高校に行ってきました!
大多喜高校には、井戸や現存している門が残っています!
生徒の人は現存門をくぐって登校できると思うといいなぁ〜と思います!生徒や先生の特権ですね!ww
高校になってからも残っているのはすごいと思います!
高校に感謝です!ありがとうございます(^。^)
とてもオススメです!是非来てみてください!
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2019/01/03 12:03
2019/01/03 11:14
光秀縁の城? (2018/11/25 訪問)
実際に城域を巡ってみるも遺構かどうか微妙な箇所がほとんどな印象。冠木門は立派だが…(^^;
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2019/01/03 11:03
戦国時代好きになった始まり。 (2018/12/29 訪問)
名古屋の天気予報が午前中、雪!と言うので浜松に向かう途中に寄りました。
私が戦国好きになったきっかけが津本 陽氏の「下天は夢か」でした。
桶狭間の合戦から本能寺の変までが内容です。
学生時代、日本史のテストは丸暗記勉強方!
丸暗記だった人物が一生懸命に戦国時代を生きているのが衝撃的で今に至ります。
さて「鳴海城」もともと織田方の城主 山口 左馬之助、九郎二郎 父子が今川方に寝返りました。その後2人は「心は織田方」と噂を流され今川に謀殺されます。
現在の「鳴海城」、真ん中に富士山滑り台があるかわいい公園です。
遺構は土塁???。高台なのでお城があったんだろうなっぐらいしか分かりませんでした。
近くに鳴海神社があり、そちらの方が歴史を感じられるかもしれません。
なぜ、ここに富士山の滑り台?
もしかしたら山口父子の「本当に本当に心は駿河です!」の表れ?
と公園の真ん中で山口君の無念を考える私でした。
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2019/01/03 05:09
2019初城詣 (2019/01/02 訪問)
2019年の初城詣は、首里城になりました。正殿の修復が完了したばかりでピカピカの光沢を持った漆塗りの正殿を拝むことができました。8:30の御開城、続く御座楽の生演奏、朝拝御規式(第一部「子之方御拝」第二部「朝之御拝」第三部「大通り」)、すべて堪能させて戴きました。鎖の間でのサンピン茶と琉球菓子、企画展「琉球の江戸参府」も拝見し、昼食は、首里杜御膳を頂き、午後の琉球芸能の宴で沖縄県立芸術大学の琉球舞踊まで楽しませて頂きました。テンペストの舞台・御内原の整備も着実に進んでいるようで、公開が待たれます。
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2019/01/03 02:06
登城ポイントは,JR伊那市駅と高遠駅での時間のつぶし方か…?! (2017/11/18 訪問)
観桜シーズンが有料ということで,紅葉シーズンをチョイス。底冷えする寒さと雨のせいか,人はまばら。さびしい感じが漂っていました。さらに輪をかけるように,大手門は地震でも来たら崩壊するのでは…と,その不安定なたたずまいに,とても心配な気持ちになりました。
また,JR伊那市駅を背に左へ約150m進むと,“吾路”という,カフェがアリ。大正時代に建てられた蔵を修繕して,つつましく営業しているとのこと。電車と路線バスの乗り換えに約1時間あったため,たまたま見つけたココで時間をつぶしました。お城好きならすぐに見つけられると思います。これから登城の方はご参考までに。
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2019/01/03 00:00
桑名の殿様 (2019/01/01 訪問)
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
妻の親戚の家の近くにある桑名宗社(地元の人は春日さんと呼んでます)での初詣のついでに、春日さんのすぐ近くの桑名城を訪れました。
徳川四天王の本多忠勝公が城主を務めた城として有名ですので、忠勝公が好きな方にはたまらない城だと思います。公の銅像もありますし。
見所は、復元された蟠龍(ばんりゅう)櫓、外堀、内堀。天守台は...復元の積み直しで違和感がちょっとありますが、鎮國守國神社の東側にあります。
現在は九華公園となっているので、季節のいい時なら、忠勝公の銅像の東にある柿安本店で、松阪牛等のお弁当等を買って公園で食べるのもありと思います。もちろん、桑名名物の蛤(はまぐり)のお店もお城の近くにたくさんあります。
桑名駅から徒歩で20分程。車の場合は、1日200円の市営駐車場が忠勝公の銅像近くにあります。
公園化の改変が激しいですが、水堀のおかげで水城の雰囲気は感じられます。
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2019/01/02 21:13
城跡トワイライト。 (2019/01/02 訪問)
勝竜寺城→離宮八幡宮→宝積寺(山崎城…の一部)→山崎聖天観音寺→水無瀬神宮→石清水八幡宮…と丸一日使って新春早々ひとり弾丸ツアーを敢行した勝野武士ですw
毎年恒例としている石清水八幡宮でのお参りを無事済ませた。
…しかし!勝竜寺城では本丸に攻め込めず、山崎城ではそもそも登山不可、てなこともあって消化不良感が否めない心理状況。
というわけで、夕暮れが迫ってて時間も限られてゆく中ではあるものの、せめて天守台だけでも見てやろうと思い立ち、急遽淀城攻めを強行致した次第です。
京阪電鉄淀駅を降りたった時点で、もう結構薄暗かったので、かなり急ぎ足で本丸跡へ。
…実際のところ、淀城の残存状況はあまり良ろしくなく、本丸跡は與杼神社(←よど、と読みます)の境内として残っているものの東半分はどうやら改変を受けているっぽい。残存状況が良いのは西半分で、天守台付近の石垣と内堀の一部が残るのみとなっています。
どんどん暗くなってきたので、天守台付近を重点的に観察。やはり徳川譜代の城らしく石材の加工が非常に丁寧です。そしてやはり高さもありますね。
そして何より、天守台の規模の大きさ!実際に訪れてみるとよーくわかりますが、徳川宗家でもなければ御三家でもないのに、単立式で天守を建てるにはあまりに大きすぎるのです。
で、実際どうしたかというと中央に天守を据えて、余った周囲の敷地をフル(すぎる)活用したのです。
つまりは一間四方の二層櫓を天守台からはみ出させて四方に置き、それらを多聞塀(小規模な長屋みたいなもの?)で繋ぐことで、かなり変則的かつ無理矢理に天守曲輪を形成したのです。なんということでしょう。
…しかしこれには理由がありまして、元々の計画では廃城になった伏見城の天守を移築するつもりで、天守台もソレ仕様に準備していたそうですが、後水尾天皇の行幸計画による二条城の大改修を進めていた徳川家光の『鶴の一声』によって急遽の計画変更。伏見城の天守は二条城へ、そして元々二条城にあった天守(大和郡山城から移築された天守)は淀城に移築されることになったのです。
しかし建坪の小さい天守を移築することによってデッドスペースが生まれた…しかし淀城は譜代の城、しかも淀川の水運を掌握するために超重要で見た目的に威信を示す必要があった。
その結果、他に例をみない天守が誕生したのです。
天守台の上にたつと、礎石がしっかり残っていて、穴蔵の構造も非常にわかりやすく、天守の平面的な規模が容易に想像できます。
是非とも、木造で復元して欲しい…。
余談ですが、旅の締めくくりに與杼神社にお参りして、ダメ元で御朱印をお願いしたら、なんと快く書いて下さいました!
もうすでに真っ暗なのに…申し訳ないというか、ありがたいというか…最後の最後でラッキーな気分になりました。
今度は、淀古城とセットで、もう少しじっくり時間をかけて見に行きたいですね(笑)。
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2019/01/02 20:56
今年行きます! でも…
姫路城は御城印ないのですね(T-T)
有馬温泉入りながらの 予定を立てるぞ↑↑↑
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