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まんのすけ

素晴らしい城 (2018/04/19 訪問)

見応えのある素晴らしい城だ。

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エグ1394

勝山城 (2015/11/25 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。大阪のタクシー会社の社長が建てたお城で博物館になってます。当日は休館日でした。
江戸時代に勝山市域を治めた勝山藩の勝山城には、天守台は存在したものの最後まで天守が造営されることはなく、その城跡も昭和40年代にはほぼ完全に消滅してしまった。博物館はこういった歴史遺産の記憶を留めるための象徴であり、模擬天守としてではなく、あくまで博物館としての側面が強調されている。
勝山出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清の手により建築され、1992年(平成4年)7月19日に開館した。江戸時代の大名武具や染織品、合戦図屏風、清代の中原地域の民間刺繍、日本の近代書などを収集展示している。現在は公益財団法人多田清文化教育記念財団が博物館を運営している。2014年度(平成26年度)からは、市立の博物館施設を持たない勝山市と連携を結び、収蔵庫の共同利用を行うほか、共催展覧会を開催している。
天守風建物の周囲は数千本の植栽がある日本庭園となっている。毎年4月には館内及びこの日本庭園を利用した大規模な茶会が催されている。

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エグ1394

備中松山城 (2015/10/09 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行してきました。
備中松山城は現存12天守の中では唯一の山城であり、現存天守でもっとも高い所にある城です。日本三大山城のひとつでもあります。海抜約480mの臥牛山の山頂付近に本丸があるため、山の中腹(8合目)にある駐車場から歩いても30分近くかけてのぼることになります。現存天守の中ではもっとも訪問しづらい城といえます。また江戸時代、城主をつとめた水谷氏がお家断絶になったため、『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野長矩の管理とされ、城の受け取りには家老である大石内蔵助が訪れています。そのため山頂にのぼるルートにはそのときに休んだとされる「大石内蔵助の腰掛け石」があります。時期や条件が整えば、竹田城のように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。

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やのっち

宅地造成で消えた加納城 (2018/04/21 訪問)

住宅地の中に、堀と土塁がほんのわずか残るのみ。石碑と案内板はある。当時の外堀に沿って道路が作られていて、外堀のおりひずみの形状も道路からみて取れる。

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エグ1394

岡山城 (2015/10/08 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行してきました。
岡山城は宇喜多秀家の居城として知られています。天守は戦争で焼失しましたが、1966年(昭和41年)に外観復元されています。岡山城の外観は黒漆塗の下見板張りが特徴的で、見た目の印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、「白鷺城」とも呼ばれる姫路城と対比されることもあります。また隣接する大名庭園の後楽園は、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三名園として並び称されています。

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エグ1394

姫路城 (2015/10/08 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行に行ってきました。
姫路城は日本を代表する城で、国宝や世界遺産に選ばれています。現存12天守のひとつで、もっとも大きい現存天守です。黒田官兵衛が毛利攻めの拠点にするようにと羽柴秀吉に献上した城としても知られています。現在の天守は江戸時代に入ってから「西国将軍」と称された池田輝政によって建て直されたものです。中世から修復を繰り返されているため、さまざまな時代の石垣を見ることができます。また姫路城は映画やドラマのロケが行われることも多く、しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。

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掛川城 (2015/02/11 訪問)

夫婦で日帰りしてきました。
掛川城は山内一豊の居城として知られています。「関ケ原の戦い」の際に一豊が徳川家康に掛川城の提供を申し出た逸話は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場します。明治以降は、廃城令によってほとんどの建物が撤去されましたが、1994年(平成6年)に天守が再建されました。この天守は日本初の木造復元天守です。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構です。

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西尾城 (2014/08/03 訪問)

夫婦で行ってきました。
西尾城は酒井重忠や田中吉政の居城として知られています。現在は本丸、二の丸跡の一部が西尾市歴史公園として整備されており、本丸丑寅櫓と鍮石門が復元されました。また姫の丸跡には、西尾城に関する資料が展示された西尾市資料館が建てられています。

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小田原城 (2014/07/22 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
小田原城は北条氏の居城として知られています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となりました。現在は小田原城址公園として整備されており、日本さくら名所100選にも選定されています。天守は1960年(昭和35年)に外観復元されたものです。そのほか常盤木門や銅門、馬出門などが復元されています。土塁の城が多い関東地方において、主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城としても有名です。

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足助城 (2014/04/22 訪問)

夫婦で行ってきました。
足助城は三河鈴木氏の諸家である足助鈴木氏の居城として知られています。松平氏に属しており、1590年(天正18年)の家康の関東入国に従って関東に移ったため、廃城となりました。現在は城跡公園足助城として整備されており、高櫓・長屋・物見矢倉・厨(くりや)などの建物が復元されています。発掘調査成果に基づく戦国時代の山城の復元は、国内最初の事例で「全国ではじめて復元された山城」として謳われています。

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大草城 (2014/04/06 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。
大草城は織田信長の弟、織田長益(有楽斎)によって築かれた城です。1582年(天正10年)、信長が本能寺の変により没すると、尾張一国は織田信雄に与えられ、長益は信雄の家臣として大草城を築きましたが、城が完成する前に、長益は秀吉の御伽衆として仕えることになったため、未完の城のまま廃城となりました。現在は大草公園として整備されており、模擬櫓が建てられています。そのほか、水堀や土塁などの遺構を見ることができます。

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広島城 (2013/08/30 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
広島城は毛利輝元によって築かれた城です。聚楽第を手本にしたといわれ、築城の際には黒田官兵衛がサポートしたそうです。完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれており、大坂城や岡山城らとともに初期近世城郭の代表的な城として知られています。戦争で倒壊した天守は1958年(昭和33年)の「広島復興大博覧会」開催にあわせて再建されました。二の丸の平櫓・多聞櫓・太鼓櫓および表御門も1989年(平成元年)から行われた改修の際に再建されており、内部を見学することができます。水堀越しに見る天守の美しさは格別です。

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郡上八幡城 (2013/07/07 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。
郡上八幡城は遠藤氏や青山氏の居城として知られています。一時的に稲葉貞通が城主を務めたこともあります。1933年(昭和8年)に再建された模擬天守は日本最古の木造再建天守です。小規模な城ながら、城下から眺める天守の姿や、天守から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しく、司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城」と評しています。また、山内一豊の妻である千代が初代城主・遠藤盛数の長女であることから、山麓には山内一豊と妻千代の像があります。

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小牧山城 (2013/05/06 訪問)

夫婦で散歩してきました。
小牧山城は織田信長によって、美濃攻略の本拠地として築かれた城です。信長がはじめて築いた城でもあります。その後、信長は稲葉山城を陥落し、岐阜城と改めて移住したため、小牧山城は約4年間で廃城となりましたが、のちに豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では、家康がこの地に本陣を置いたとされます。江戸時代には家康ゆかりの地として尾張徳川家が保護し、入山が禁止されたこともあり、山中の堀や土塁などがきれいな状態で残っており、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。また近年の発掘調査によれば、石垣を用いた本格的な城であった可能性が指摘されています。現在は山頂に天守を模した小牧市歴史館がありますが、これは名古屋市在住の実業家が寄贈したもので、内部は資料館になっています。

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富山城 (2012/08/31 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
富山城は佐々成政の居城として知られています。江戸時代には富山藩の藩庁として前田利次が入城し、城の修復を行ったそうです。大分県の岡城とともに、滝廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城のひとつといわれています。現在は富山城址公園として整備されており、模擬天守(富山市郷土博物館)が建てられています。

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金沢城 (2012/08/30 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
金沢城は前田利家の居城として知られ、江戸時代には加賀藩前田家14代の居城として利用されました。かつてこの地には加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊」がありました。金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれるほどさまざまな時代の石垣を見ることができます。なかでも重要文化財の石川門は左右で積み方が異なるという変わったつくりになっているので必見です。重要文化財としてはほかにも三十間長屋が遺構として残っています。現在は金沢城公園として整備されており、五十間長屋や河北門などが復元されました。また隣接する兼六園は、徳川家康と前田利家の曾孫にあたる前田綱紀がつくらせた日本を代表する大名庭園です。

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墨俣城 (2012/07/16 訪問)

夫婦で行ってきました。
墨俣城は織田信長が美濃攻略のために、その前線基地として木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に築かせた城と伝えられています。いわゆる「墨俣一夜城」として秀吉の立身出世の象徴として紹介されることが多い城ですが、不明な点が多く、その存在を否定する意見も多いです。現在、墨俣城があったとされる場所は公園として整備されており、模擬天守(墨俣一夜城歴史資料館)が建てられています。犀川越しに見る天守の姿は大変美しく、春には満開の桜に囲まれた天守を見ることができます。

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岩村城 (2012/05/04 訪問)

夫婦で行ってきました。
岩村城は日本三大山城のひとつに数えられる城で、その本丸はもっとも高い海抜717mに位置していました。織田信長の叔母にあたり、絶世の美女だったと伝わる「おつやの方」が女城主として守っていたことでも知られます。岩村城は織田氏と武田氏との境界にある城であったため、たびたび戦火に巻き込まれた城でもあります。遺構の保存状態は良く、現在も石垣や井戸を見ることができます。1990年(平成2年)に表御門や太鼓櫓が復元されました。

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伊賀上野城 (2012/03/29 訪問)

夫婦で行ってきました。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、のちに築城の名手と謳われる藤堂高虎が大規模に改修しました。高虎は徳川家康の命により、豊臣氏を包囲する城として伊賀上野城を拡張しましたが、「大坂の役」によって豊臣氏が滅んだため工事は中止されました。現在は模擬天守が木造で再建されており、藤堂高虎の黒漆塗の兜などが展示されています。また、高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀の高石垣が特徴です。

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トマトマト

やっと (2018/04/20 訪問)

100城、県内制覇です(;^_^A

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