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ぴぽぽ

地形が、そのまま残っていて、よかったです (2018/04/21 訪問)

城は、建物はないけど、城郭は、残っています。
道路を挟んだ、慈光院の住職さんの話によると、NPOの方が、お城を整備してくださったそうで、この場所が何だったのかをしるす紙が貼ってありました。住職さんの話では、いま、慈光院がある場所に、城主の住まいがあったそうです
足場が悪い場所もあるので、歩きやすい靴で行くことをおすすめします
トイレは、ないです

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ぴぽぽ

三階櫓からの眺めが素敵でした (2018/04/20 訪問)

白石の駅に車をとめて、そこから歩いてお城を目指しました。
途中の道で、壽丸屋屋敷という建物を発見して無料ということで入ってみました。
明治中期の建物で、案内の方が詳しく説明してくださいました。そこで、建物についてや、片倉家の歴史、商人との関係を詳しく説明してくださり、楽しい時間を過ごすことができました。
お城は、復元された三階櫓からの、眺めはよかったです

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todo94

震災直後 (2011/03/21 訪問)

名古屋臨海高速鉄道あおなみ線荒子駅前にはまだ新しい前田利家初陣の像があった。重文の現存木造塔を持つ荒子観音寺への道路標示は今ひとつ不親切。更にそこから、前田利家の生誕地・荒子城址は、かつては丁寧な表示があって難なくたどり着けたのだが、かなりわかりにくくなってしまっている。その後向かったオープンしたばかりのリニア・鉄道館はさほどの混雑ではなかった。東日本大震災の影響とみられる。

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にのまる

公園です^_^ (2018/04/15 訪問)

深谷城址公園には模擬石垣、模擬塀、模擬堀が設けられていますが、特に模擬石垣はなかなかの出来栄えで、当時モノと騙されるお子達もいるのではないかと余計な心配をしてしまいます。
隣接する富士浅間神社に外堀跡と伝わる堀がありました。

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ちゃんあき

三原城天守台へ (2018/04/21 訪問)

三原城の天守台に行くには駅構内を通る必要がある。

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エグ1394

大垣城 (2011/10/16 訪問)

夫婦で行ってきました。
大垣城は「関ケ原の戦い」の際に石田三成らが入城して西軍の根拠地となった城です。その天守は戦前に国宝(旧国宝)に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の大垣空襲により焼失しました。現在ある天守は1959年(昭和34年)に外観復元されたもので、中は「関ケ原の戦い」についての資料館になっています。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

遺構はよくわからない。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

目を惹く遺構は見当たらない。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

ここの城址碑はちょっと立派。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

目を惹く遺構は見当たらない。

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todo94

菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)

曲輪がはっきりと見て取れて中々いい感じだった。

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エグ1394

田原城 (2018/01/14 訪問)

夫婦で行ってきました。
田原城は三河湾を支配していた戸田氏の居城として知られています。城主が戸田康光のときに、松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(のちの徳川家康)を護送する任を受けましたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元の怒りを買い、攻められて落城しました。その後は松平氏譜代の本多広孝が、さらに家康が関東へと移封したのちは吉田城に入封した池田輝政の重臣である伊木忠次が城主となっています。江戸時代になると、渡辺崋山などを排出した田原藩1万2千石の藩庁として使われました。現在、本丸は巴江神社になっており、二の丸には復元櫓が模擬再建されています。

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エグ1394

挙母城 (2017/12/03 訪問)

夫婦で行ってきました。
七州城は童子山の高台に築かれた城で、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・遠江国・伊勢国・近江国の7つの国が見える高台にあることから、七州城と名づけられました。また挙母藩の藩庁が置かれた城で、挙母城とも呼ばれています。現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。1977年(昭和52年)には隅櫓が復興されました。

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エグ1394

大和郡山城 (2017/08/13 訪問)

夫婦で行ってきました。
大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城です。その後は秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。江戸時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としました。大和は石材に乏しい国であったため、天守台の石垣には墓石や地蔵までもが用いられています(これを「転用石」と呼びます)。なかには「逆さ地蔵」と呼ばれる、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵があります。現在は本丸の石垣や堀が残っており、また大手門、大手東隅櫓、大手向櫓が復元されています。大和郡山城は桜の名所として、日本さくら名所100選にも選定されており、毎年4月1日から行われる「お城まつり」には多くの花見客でにぎわいます。

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エグ1394

松代城 (2017/09/16 訪問)

夫婦で一泊で行ってきました。
松代城は元々、海津城と呼ばれていた城で、武田信玄が山本勘助に命じて築いた城です。甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされています。松代城と改名されたのは、江戸時代に真田信之が入城してからのことです。現在は海津城址公園として整備されており、太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元されています。また付近には江戸末期の御殿建築である真田邸や真田宝物館があります。

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エグ1394

小諸城 (2017/09/15 訪問)

夫婦で一泊で行ってきました。
小諸城は仙石秀久の居城として知られています。江戸時代に入ったのちも、極めて要衝な領地であったため、譜代大名が歴代藩主を務めました。現在は天守台や石垣のほか、2つの重要文化財が残されており、ひとつは市街地に存在する大手門で、もうひとつは懐古園の入り口にある三の門です。この三の門は小諸市のシンボルとして『サザエさん』のオープニングにも登場しています。城址にはソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されています。春の桜だけでなく、紅葉の名所としても有名です。また、かつてこの地で教師を務めていた島崎藤村の詩碑が建てられています。

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エグ1394

上田城 (2017/09/15 訪問)

夫婦で一泊で行ってきました。
上田城は真田昌幸によって築かれた城で、二度にわたって徳川軍を撃退した「上田合戦」が行われたことで有名な城です。「関ケ原の戦い」で真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川家康によって徹底的に破却され堀も埋められましたが、上田藩主として入城した仙石氏によって再建されました。櫓や石垣が当時の遺構として残っています。現在は旧二の丸内が上田城跡公園として整備されており、櫓門や塀などが木造復元されています。また、アニメ映画『サマーウォーズ』では舞台となる家の門が上田城の城門をモデルに描かれています。

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エグ1394

名古屋城 (2017/02/12 訪問)

本丸御殿へ行ってきました。
名古屋城は徳川家康が豊臣氏に対する最終防衛拠点として天下普請によって築城させた城です。初代城主は徳川義直で、徳川御三家のひとつである尾張徳川家17代の居城として利用されました。伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われているように、古くから名古屋のシンボルとして扱われてきました。天守台の石垣は加藤清正が担当したといわれています。大天守に上げられた金のシャチホコは築城当初のものではありませんが、同じ方法で復元製造された金板張りの木造鯱で、現在は名古屋城でしか見ることができません。また、築城当時は最上層のみ銅瓦でしたが、1755年(宝暦5年)に行われた修復工事の際にすべて銅瓦拭きとなっています。この緑青の屋根も名古屋城の大きな特徴です。2009年(平成21年)から本丸御殿を復元しており、現在その一部が公開中です。

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エグ1394

水口城 (2016/09/11 訪問)

夫婦で行ってきました。
水口城は3代将軍・徳川家光が京都への上洛の際の宿館として築かせた城です。小堀政一(遠州)が作事奉行を務め、城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれましたが、けっきょくこの御殿が将軍の宿舎として使われたのは築城時の家光上洛の一度だけでした。現在、本丸跡は水口高校の運動場として利用されていますが、水口城博物館として角櫓が復元されています。館内では水口城の模型や資料が展示されています。

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エグ1394

勝竜寺城 (2016/11/14 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
勝龍寺城は細川藤孝の居城として知られています。「山崎の合戦」では明智光秀がここに本陣を構えました。当時の遺構としては、近隣にある神足神社境内に空堀や土塁が残っています。現在、本丸および沼田丸趾が勝竜寺城公園として整備されており、櫓を模した管理棟が建てられています。勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻が盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごした城でもあり、城内にはふたりの像が建てられています。また夫妻にちなんだ「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月に開催されています。

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