続日本100名城

むかいはぐろやまじょう

向羽黒山城

福島県大沼郡

別名 : 岩崎城、巌館
旧国名 : 陸奥

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向羽黒山城
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ごんぎつね

しっかり残る遺構の数々 (2024/05/04 訪問)

ここまで綺麗で巨大な竪堀は見たことない!というほど現地で感動してしまいました。
空堀や曲輪などもしっかりと残っていました。
熊の出没が怖くて、要所を見てさっさと下山してしまいましたが、
また再訪したいと思います。

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ぎりょう

広大な会津の山城に感動! (2024/05/13 訪問)

会津の旅二日目は予報どうりの雨天。雨足も強く同行者も居ることで、向羽黒山城の初登城は無理と思いながら、湯野上温泉から会津若松市に向かいました。途中、同行者から会津美里町には本郷焼の展示施設があるから寄りたいと提案がありました。城址の近くであること、山城の中腹まで車で登れることから、行くだけ行ってみようということになりました。
城址が有る岩崎山を南西側から登り二曲輪(中城)下の駐車場に到着。最高所の一曲輪(実城)への登り口がありますが、雨は降り続いており一曲輪攻城は断念。二曲輪だけでもと、傘をさして登りました。
二曲輪は、東西60m、南北40mの広さが有り、展望台からは会津若松市周辺が望める絶景地。平場は東屋が建ち、植栽など公園化でかなり手が加わっているようですが、かつて城の中心的役割を担った曲輪の雰囲気があります。
その後は弁天神社前の急カーブを下り、二曲輪群と三曲輪を隔てる堀切と、伝盛氏屋敷跡を横目に十日町口大手に下りました。
今回はほんの立ち寄り程度の訪問となり残念でしたが、比高約190m、東西約1.4km、南北約1.5kmに多数の曲輪を連ねた中世会津の代表的な山城の雰囲気を感じ取ることはできました。
永禄4年(1561)に葦名盛氏が築城後、慶長6年(1601)の廃城まで、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝と領主の変遷とともに、おりおりに改修が加えられているらしいのですが、次回は徒歩で登り、時間をかけて遺構の確認をしたいと考えています。

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しんちゃん

蘆名盛氏が隠居のために築いた城なんだけど (2015/05/02 訪問)

向羽黒山城は永禄4年(1561)に葦名盛氏によって築かれたとされています。隠居のために築いたのですが嫡子・盛興が亡くなると二階堂盛義の子・盛隆に盛興の未亡人を嫁がせて後見人として黒川城に移ったそうです。
盛氏さんは隠居したと言いながらも元気に戦をしまくっていたらしいので隠居城といってもかなりの規模の城ですね。東日本でもかなり大きい山城です。岩崎山の山頂に本丸(実城)が築かれ周囲にかなり大きい竪堀があります。東に弁天曲輪、北に二の丸、北曲輪、三の丸が配され周囲に多数の曲輪が配されているようです。隠居した時は、まだ40ぐらいだったようで戦に集中したかっただけなんじゃないかって思ってしまいますね。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/07/23 訪問)

※会津若松城と共に登城
※前日までの尾瀬ヶ原・尾瀬沼散策後、路線バスで会津高原尾瀬口、
 そこから会津鉄道で会津若松駅に到着、駅前泊

9:35若松駅前バスセンター(路線バス)、10:14インフォメーションセンター前
 (徒歩2分)向羽黒山城跡整備資料館(続百名城スタンプ 24HOK)+向羽黒山城跡散策
13:13インフォメーションセンター前(路線バス)、13:55鶴ヶ城西口
 (徒歩4分)会津若松城(鶴ヶ城)(百名城スタンプ 8:30-16:30)
15:40鶴ヶ城・合同庁舎前(高速バス)、17:10,18:06郡山(新幹線)、19:28東京

※鶴ヶ城は複数回登城済みのため天守には入らず売店でスタンプ押印、本丸など散策中心
 スタンプのある売店には、天守に入らずとも天守出口から行けます

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 永禄4年(1561)
築城者 蘆名盛氏
主要城主 芦名氏、蒲生氏、上杉氏
文化財史跡区分 国史跡(向羽黒山城跡)
近年の主な復元・整備 蒲生氏、上杉氏
主な関連施設 説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
住所 福島県大沼郡会津美里町三日町
問い合わせ先 会津美里町生涯学習課文化係
問い合わせ先電話番号 0242-78-2114