向羽黒山城は永禄4年(1561)に葦名盛氏によって築かれたとされています。隠居のために築いたのですが嫡子・盛興が亡くなると二階堂盛義の子・盛隆に盛興の未亡人を嫁がせて後見人として黒川城に移ったそうです。
盛氏さんは隠居したと言いながらも元気に戦をしまくっていたらしいので隠居城といってもかなりの規模の城ですね。東日本でもかなり大きい山城です。岩崎山の山頂に本丸(実城)が築かれ周囲にかなり大きい竪堀があります。東に弁天曲輪、北に二の丸、北曲輪、三の丸が配され周囲に多数の曲輪が配されているようです。隠居した時は、まだ40ぐらいだったようで戦に集中したかっただけなんじゃないかって思ってしまいますね。
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